翌日の朝
次の日の早朝。私とオズは離宮の裏庭で剣を交えていた。この離宮周辺まで手入れをする庭師などいないので、雑草が伸びて荒れ放題になっている。それでもある程度の広さと、多少凹凸のある地面は実戦形式の鍛錬をするにはかえって向いていた。
「もう、今日中には出ていけそうだな」
まずは軽く打ち合う。練習用に刃を潰した剣でも、ぶつかりあえば金属質の鋭い音を立てた。
「そうですね。早いうちに、と仰っておられましたし、僥倖です」
母上が亡くなってからずっと過ごしていた場所だというのに、持ち出す物は驚くほど少なかった。私とオズ、それぞれトランクひとつぶんに収まった荷物に、どこか空虚ささえ覚えた。
「しかし、ならば日課とはいえ鍛錬などなさらずともよろしいのでは?」
私の打ち込みを受け止め、オズはそう疑問を呈する。私は即座に後方に飛び、別の角度から次の一撃を放った。
「王宮の外でこう剣を振り回すわけにもいかないだろう。最後なんだから付き合え」
そう答えた私に、今度はオズからの剣が迫る。それを避けて剣を一閃させると、オズも身を捻って避ける。
思い通りに動く己の身体に、内心ほっとする。
時を遡ったため、身体は当時のままでも、私の意識には投獄されていた半年間が染みついている。長期間一歩も動くことが許されなかった記憶に動きが鈍っている可能性を危惧していたが、幸いにもそんなことはないらしい。
(体が動かせることが、こんなにも有難いことだとはな)
少しずつ動きを速く、激しくしていく。剣が打ち合う音が連続し、千切れた草や砂が舞う。
「まあ余裕があるのは喜ばしいですが。それでは殿下、余計な口出しですが、学院はどうなさるのです?」
私より長身のオズが振り下ろす重い一撃を、剣を掲げて受け止める。じん、と手に衝撃が伝わった。
「ほとんど通えていないからな。何もせずとも良いかと思っていたが……さすがに学院側に迷惑か」
今は最終学年が始まる直前の時期だ。ただ、王妃から回ってくる執務をこなすため、私はこれまで学院に通う時間的余裕などろくになく、週に一度顔を出せればいいほうだった。
「成績を詐称している時点で迷惑度は変わらないのでは?」
呆れたように言うオズに、私は苦い思いで視線を下げた。受け止めたオズの剣を振り払う。
「……仕方ないだろう」
王妃の指示だったのだ。学院において、セドリックの邪魔はするなと。
学院のクラスは成績順だ。同い年であるセドリックと同じクラスになることを避けるため、私は入学試験以降、学院の試験は半分程度を白紙で提出し、下から二番目程度のクラスに留まるよう調整していた。時を遡る前と同じことが起こるなら、もうすぐ始まる最終学年も、私のクラスはそこだろう。
ざわ、と風が吹いて、足元に伸びた草を揺らした。次の攻撃に備えるため、後ろに下がる。
(ああ……そうか)
ふいに思い至る。ディアナは女子の、セドリックも男子の、それぞれ学年首席だ。当然ふたりとも最高位クラスになる。ディアナにとって、月に一度か二度しか会わない私などより、学院で毎日のように顔を合わせるセドリックのほうが身近な存在になるのは当たり前だ。
「まあそちらはともかく、私が申し上げたいのは卒業資格認定制度のことです」
卒業資格認定制度。文字通り、本来の卒業前に卒業資格を――この国の貴族における成人の資格を得るためのものだ。
「私も使いましたが、」
「お前、あの制度を使ったのか?」
私は思わずオズの言葉を遮っていた。足が止まりかけ、その隙をオズに狙われる。咄嗟に避けた。ひゅっ、と耳元を風切り音がかすめていく。
これはもともと、親の急死により成人前だが爵位を急いで継がねばならなくなった、などの事情がある生徒の救済措置としての制度だ。
しかし、現在ではほぼ形骸化していると言っていい。
オズは何の気負いもなく頷いた。剣を構えたまま数歩距離を取り、ふっと笑う。
「生粋の貴族なら、派閥がどうとか人脈づくりがどうとか仰るところでしょうが。私にはそんなものより優先すべきことがありましたので、入学後すぐに」
いっそ誇らしげに言うオズに、私は今度こそ言葉を失った。
オズは私より三歳上だ。その入学後すぐということは、今から約五年前。
『殿下、さすがに王妃殿下のなさりようはあんまりでは、』
『だとしても誰に訴えるつもりだ。今、王妃に逆らえる者などいない。……私が耐えれば済む話だ』
私が、王妃に従うことを選んだ頃だ。父が崩御して間もない頃でもあり、王妃が王宮を牛耳り始めた。私の住まう離宮からはオズ以外の使用人は引き上げられ、私が使う予算は削られ、しかし執務や書類はどんどん持ち込まれ、体力的にも精神的にも限界が近かった頃。
執務室で私が仕事に埋もれていた時も、オズは隣で共に書類を捌いていた。思い返せば、学院があるからと不在にすることも、課題があるからと自分の作業をすることもなかったはずだ。
「オズ、まさかお前、」
私の補佐をするためか。そう続けようとした私の言葉は、オズの打ち込みと軽い口調で遮られた。朝日を受け、オズの剣が光を反射する。
「便利でしたよ。仮とはいえ成人扱いされますので、出来ることが増えますから。ですので、殿下にもどうかと思って提案いたしました」
オズが回り込んで、私の死角から剣を振るう。反射的に受け止める。きいん、と硬い音がした。
「実の祖父君でいらっしゃるとはいえ、ベネット子爵など今後貴族にお会いする予定があれば、仮の成人資格としても使える卒業資格は得ておいたほうが無難かと」
「それは、確かに便利だが……」
そんなことより、私は知らないうちに、オズにいったいいくつのものを諦めさせたのか。
しかし、オズは剣を引きながらしみじみと言う。私にそれを追う余裕はない。
「もともと私は平民ですので、あのように貴族の集まる場は不得手なのです。制度があったおかげで学院に通わず済み、助かりました。それに多少出自に関して嫌味を言われても、認定証を見せたら相手はたいてい黙りましたし」
制度が形骸化している理由は単純だ。
卒業資格認定はただ手続きをするだけではない。年齢に満たない者を成人として認めるために、本来の卒業試験よりかなり高難度の認定試験が課される。
その試験に合格できる者がいないのだ。
容易に仮成人を増やさないための措置だとは聞く。だがそれもあって、卒業前に資格認定を受ける必要はない、それよりも学院には三年きっちり通って人脈づくりを優先せよ、とするのが貴族間の暗黙の了解だ。
誰も、試験不合格という不名誉を得たくはないのだから。
だから卒業資格を敢えて取ろうとする者はまずいない。資格を認定された者は変わり者と呼ばれるが――同時にその優秀さを周囲に示すことになる。
オズが再度剣を構えた。連撃が来る。いつもの殺陣だ。慣れと感覚で避け、受け止める。
「あの当時は殿下が次期国王に即位されると考える者もおりましたし、その中にはエンフィールド公爵を差し置いて後ろ盾に収まり、殿下を傀儡に仕立てようとする輩もおりました」
そんな者がいたのか。王妃の前に膝を折って以降、周囲からの評価など捨て置いていた私には知らないことだった。
「他の使用人が引き上げられたのは王妃殿下の命だったことも知らず、あなた様自らが私だけを重用していると考えていた者もおりましたね。『平民崩れの貴様よりもうちの息子のほうが』などという者に、『では、あなたのご子息には卒業資格が取れるのですか?』と聞いて認定証を見せると、引き攣った顔をして去っていくのですよ。あれは実に爽快でした」
知らないことが次々と語られる中、さすがにそれは聞き捨てならなかった。攻守を入れ替えざまに剣を叩きつけ、思わず叫ぶ。
「何故その時私に言わなかった!?」
鍔迫り合いをしつつ、くつくつ楽しそうに笑うオズは何も後悔していない。それは見ればわかった。しかし。
私が自分のことで精一杯だった間、オズはひとりでそんな貴族たちの矢面に立っていたのか。
オズは私の叫びを、剣と共に飄々と受け流した。
「正確な情報も得られない愚か者、かつ妙な思惑を持っていたとはいえ、お味方の少ない殿下にお仕えしようとする者を、いち臣下でしかない私の一存で勝手に断ったのです。お叱りを受けたくはないではございませんか」
「誤魔化すな! お前……っ、」
「今になって申し上げたのは卒業資格認定の有用性をご説明差し上げるのに適切だからです。……それで、殿下。認定試験、お受けになります?」
話を戻され、私は言葉に詰まった。
オズがここまで言うのだ。確かに利点はあるのだろう。
だが、そんな真似をして王妃やセドリックの目に止まったら。
(……いや)
オズは、『卒業認定資格の有用性を説明するために話した』と言った。
強く踏み込み、狙いを定めて剣を振りおろす。オズの剣を弾いて、首筋に刃を突きつけた。
「お前がそこまで勝手な真似をしていても、私はお前の資格取得に気がつかなかった……そう言いたいのか?」
私の問いに、オズは満足気に唇の端に笑みを乗せた。両手を挙げ、わざとらしく剣を落とす。
「そんな不遜なことは申しておりませんが?」
「……お前、本当にいい性格をしているな」
私にとっては己の不甲斐なさを突きつけられているも同然だが、オズの真意はそういうことだろう。
もともとろくに学院には通えていないのだ。私が資格を取得し学院に通う必要がなくなったところで、対外的には何ら変化は生じない。
誰にも気づかれないうちに資格だけ取っておき、必要な時にだけその効力を振りかざせ――オズはそう言っているのだ。
「あの認定試験は本来の目的上、申請すれば当日中に受けられますし、合格すればその場で認定証を受け取れます。ですので出立する際に受験し、認定証を手に出て行けば良いのですよ」
「……簡単に言ってくれる」
私が試験に通らないとは考えないのか。
「ええ、あなた様であれば簡単にできると信じておりますので。賭けてもよろしいですよ。何になさいます?」
その信頼が、重い。重いが、不快ではなかった。
「賭けは止めておく。お前から何か巻き上げると後が怖い」
私はオズの首筋から剣を引き、鞘に収めた。鍛錬の終了を察したか、オズも剣を拾い上げる。
「今日、出立前に認定試験を受けておく。手続きは頼めるか?」
「かしこまりました」
オズは慇懃に一礼した。
ストーリー展開がスローペースで申し訳ありません。
ただ、作者は楽しく執筆しておりますのでお付き合いいただけると嬉しいです。




