幕間2 王妃の思惑
第1章「謁見」にて王妃ジャネットが口にした“約束”に関するエピソードです。
「エンフィールド公爵」
「はっ」
ギルバートを謁見の間から退出させ、ジャネットは内心上機嫌でゲオルグを呼んだ。進み出て跪くゲオルグに、鷹揚に声をかける。
「今回は第一王子が愚かなことをしてしまったわね。王家からせめてものお詫びとして、あなたの娘にはセドリックとの婚約を勧めさせてもらいたいのだけれど……公爵はどう思って?」
「至極光栄にございます。我が娘も、王妃殿下のご配慮に深く感謝するでしょう」
第二王子であるセドリックと再婚約すれば、ディアナは“傷物になってもなお王家が求めるほどの器量を持つ娘”と周知できる。ゲオルグが反対する理由はない。
「それを聞いて安心したわ。ディアナさんは本当に熱心に教育を受けてくれていたから。……けれど、すぐに再婚約ではディアナさんも戸惑うでしょう。正式な婚約は、本人たちの立ち会いのもと、ひと月後として良いかしら?」
ジャネットにとっても、これは待ちわびた状況だった。
竜の言い伝えが残るこの国で、国王の伴侶に過ぎず自身に竜の血を持たないジャネットの立場はそう強力なものではない。次代の国王が立つまで、亡きベルナールの遺志を尊重する姿勢を見せることが必要だった。
(ようやく)
ジャネットが無理やり婚約を解消させるわけにはいかない。家臣の身であるエンフィールド公爵も同様だ。一番穏便な方法は、ギルバート自身に婚約を解消させることだった。
(ようやく、あの女に完璧に勝てるのね)
これで悲願の成就にまた一歩近づく。
「セドリック第二王子殿下とディアナ嬢が結ばれれば、ウィリア王国はますます安泰ですな!」
官僚のひとりが、そう言祝ぐ。それを皮切りに、似たような祝いや賛同の声があちこちから挙がる。
そこに、第一王子について語る言葉は、ひとつもない。
(まさか、五年近くかかるとは思わなかったけれど……あれほど媚を売るだなんて、最後は呆気なかったわねえ)
妙にセドリックを持ち上げ、ディアナが次期王妃に相応しいと訴えたギルバートの無様な姿を思い出し、ジャネットはますます笑みを深くした。
◆ ◆ ◆
それは、国王ベルナールが崩御して間もない頃。
後継者候補である王子ふたりはこの時どちらも十三歳だった。しかも同い年であるが故にどちらが王太子か決まっていない。そのためすぐに新国王即位とはならず、ふたりが学院を卒業し成人となるまで、ジャネットが国王代理として立つことになった。
(必ず、セドリックを王にしてみせるわ)
そう意気込むジャネットであったが、ことはそう簡単ではなかった。
第一王子ギルバートの存在が、どうしても邪魔だった。
生前のベルナールが側妃リリアナを寵愛し、リリアナの死後もギルバートを気にかけていたこと。
ベルナールがギルバートのみに、後ろ盾として公爵家の婚約者を用意したこと。
そして何より、ジャネットの想定以上にギルバートが優秀であったことから、ギルバートに目をかける貴族は決して少数派ではなかったのだ。
「王子殿下がたはどちらも優秀ですなあ。それにしても第一王子殿下にあれほどまでの才覚がおありとは。やはり亡き陛下はご慧眼であらせられる」
王宮勤めの貴族がそう言うのを、ジャネットは偶然耳にした。
「あのまま病弱でいれば良かったものを……忌々しいわねえ」
幼少時は寝込んでばかりで大した公務など出来なかったくせに、ベルナールが体の不調を訴え始めた頃から、反比例するようにギルバートは健康になっていった。
(セドリックも負けてはいないけれど)
国王不在の穴を埋めるため、また国王としての素質を見るためにも、王子ふたりには既に公務を任せ始めている。どちらも問題なく仕事をこなすが、ギルバートと比べるとセドリックは今ひとつ精彩を欠く。
(リリアナの子に……あの子爵家の娘ごときが産んだ下等な王子などに、玉座を渡してなるものですか)
そこで――ジャネットは一計を案じた。
その日ジャネットは、ギルバートに任せる書類に、ある伯爵家からの嘆願書を紛れ込ませた。王子の持つ権限だけでは対応できない内容のものであれば、どれでも良かった。
嘆願書は、当然何も処理されずにギルバートから差し戻された。
「ふふ……真面目すぎるのも考えものよねえ」
ジャネットはひとり笑って、その書類をつまんだ。そして執務机に備え付けのベルを鳴らし、執事を呼ぶ。
「本日の王子妃教育はわたくしが立ち会い、直接ディアナさんを指導します。部屋を一の間から三の間に変更なさい。それから、彼女に貸し出せるように夜会ドレスの用意を」
ジャネットの急な命令に周囲がばたつく。それを意にも介さずジャネットは立ち上がり、ゆっくりと三の間に向かった。
三の間は王宮の南側にある、大きな窓から日差しの差し込む明るい部屋だ。
突然の変更だったにもかかわらず、ジャネットが着く頃には既にディアナが待機していた。ジャネットの姿に気がついたディアナが、すっと礼の姿勢をとる。
「あら、ディアナさん。早いわね」
「王妃殿下、ご機嫌麗しゅうございます。本日はご指導いただけるとのこと、光栄でございます」
「まあまあ、顔を上げて。見事なカーテシーね。さすがだわ」
褒め言葉に、ディアナは少女らしく嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
「それでね、今日の内容なのだけれど」
ジャネットは説明を始めた。
今日は夜会におけるマナーやダンスを指導したい。到着早々悪いが、こちらで用意した夜会向けのドレスに着替えてくれないかと。
「かしこまりました。ですが、王妃殿下をお待たせしてしまうのでは……」
着替えにかかる時間を気にするディアナを、ジャネットは遮った。
「こちらから言うのだもの、それくらい構わないわ。それに陛下が亡くなられた今、あなたには早く王家を支えられる女性になってもらいたいの。無理を言うようだけど、励んでくれると嬉しいわ」
王妃にこうまで言われて拒否できる令嬢はいない。ディアナも例に漏れず、頭を下げてジャネットに従った。
「着替えにはわたくしの侍女を貸します。あなたの侍女は別室で休ませておきなさいな」
優しさと偽って、ディアナから味方を遠ざける。これでジャネットの侍女は、あらかじめ命じておいたように、ディアナの体にコルセットを通常よりきつく締めることだろう。
そのうえで、日差しの降り注ぐこの部屋で、休ませずに長時間立ちっぱなしになる夜会を想定した指導を行えば。
弱冠十三歳の令嬢など、ひとたまりもなかった。
ジャネットの思惑どおりにディアナが意識を失って倒れたのは、ダンスのステップの練習中。指導を始めてゆうに二時間が経とうとした頃だった。
「ディアナさんを客室で休ませてあげなさい。それから、第一王子に知らせを」
ギルバートは、知らせを受けて飛んできた。
「義母上、ディアナが倒れたと……」
今にもディアナの眠る寝台に駆け寄ろうとするギルバートを制し、客室の入り口から様子だけ見せて隣の部屋に連れて行く。王族同士の話だからと侍女たちは部屋から退出させた。
表向き勧めてやったソファに腰を下ろすことなく、ギルバートはジャネットに食ってかかってきた。
「今日は他国の公用語を学ぶ予定ではなかったのですか。それで何故ディアナが倒れるのです?」
「あらまあ、それほど婚約者の予定を把握しているだなんて、随分と仲睦まじいこと」
ベルナールの存命中から、ジャネットはギルバートが婚約者に使うための予算を減らしていた。王妃の身では王子自身の予算に口を出す権限がなかったからだが、しかし、ギルバートはディアナに贈るドレスや宝飾品の品質を落とすことはしなかった。調べさせると、ギルバートは自身の食費や服飾費を削り、それを婚約者費用に回していることがわかった。
「誤魔化さないでください、義母上!」
そのことからも予想していたが、こうして血相を変えるギルバートを見てジャネットは確信する。
(やはり、これはあの娘を大切にしているのねえ)
ただの政略結婚相手に対するもの以上の情を抱いているのは間違いなさそうだった。
だからこそ、これからジャネットが言うことは、ギルバートに突き刺さるだろう。
「お前のせいでしょう?」
想定外のことを言われたように、ギルバートの目が見開かれた。ギルバートが何か言う前に、ジャネットは言葉を重ねる。
「今朝渡したあの嘆願書、何故そのまま返してきたの?」
「あれは私の裁量では、」
「だから何?」
短く断ずる。反論など許さない。
「お前の離宮に届けたのだから、お前の仕事よ。直接の対応ができなくても、別紙に提案を書いて添えるなり、やりようはあったでしょう」
わざとらしく、溜め息を吐いてみせる。
「お前はわたくしが任せた仕事をしなかった。だからわたくしは“うっかり”して、お前の婚約者であるディアナさんに休憩をあげるのを忘れたのよ」
「な……」
自分を脅すためだけに、ジャネットはディアナが倒れるように画策した。それを察したギルバートの顔から、さあっと血の気が引いた。
「今後も似たようなことが起きるかもしれないわねえ。あの娘も、お前の婚約者であったばかりに、可哀そうに」
そう続けると、まるで寒さに晒されたように、ギルバートはその細身の体を震わせた。
「っ、では、義母上は……私に、何をお望みなのですか」
話が早くて助かる。目の前の少年のかすれた声に、ジャネットは口角をゆるりと持ち上げた。
「あら、これからはわたくしの頼みを聞いてくれるだけでいいのよ。安心なさい、手を汚すようなことはさせないわ」
逆に言えば、汚れ仕事以外は何であろうと、ジャネットの命じるまま動く駒になれと。
ギルバートは無言だった。その胸の内では天秤が左右交互に傾いているのか、青ざめた顔のまま、焦点の合わない視線はゆるゆると下がっていく。
その様子をジャネットは満足げに観察する。そして逃げ道を示してやるように、その実、今回の目的をジャネットは口にする。
「それとも、ディアナさんとの婚約をお前から解消する? 彼女はお前にはもったいない娘だものね」
途端、ギルバートがはっと顔を上げて、強く拳を握った。その視線が、一瞬ディアナが眠る隣室に向く。
「それ、は……」
堪えきれなくなったように、ギルバートの口から声が漏れた。すべて言わずとも、それはあきらかな拒絶だった。
(あら)
ジャネットは意外な反応に思わず眉を寄せた。
ディアナの身の安全と、ギルバート自身の尊厳。それらを天秤にかけさせたうえで、第三の道として婚約解消の提案をすれば、容易く飛びつくだろうと思ったのに。
まだ十三歳の子供だ。青臭い正義感が婚約者を放り出すことを良しとしないのか。
(まあ、それならそれでいいわ)
ならばあの娘を手放す気になるまで、じっくりとその心を折るまでだ。
「それなら、今後はわたくしの言うことを聞いてくれるのね? 代わりにお前とディアナさんの婚約はこのままにしてあげましょう。むろんわたくしも、こんな“うっかり”はもう起こさないと約束してあげるわ」
そう言ってやると、今度の沈黙は短かった。
「……わかりました」
「その言葉、嘘はないわね?」
念を押す。するとギルバートは、唇を噛み締めながらもすっとジャネットの前に膝を折った。頭を垂れる。
「私は今後……義母上のすべての命に従います」
声変わりが済んだばかりの、低いがまだ幼さが残る声。しかし迷いの消えた静かな声に、ジャネットは思わず息を吞んだ。ギルバートは顔を上げず、そのまま続ける。
「ですので、この件はどうかディアナ嬢には内密にお願いいたします」
それでも、憎い女の産んだ子が、こうして自分に跪いている。曲がりなりにも第一王子として生きてきたギルバートが誰かに恭順を示すことなど、初めてのはずだ。ぎこちない姿勢にそれが窺える。
その優越感が、ジャネットが一瞬感じたものを自覚する前に押し流した。
「……良いでしょう」
どうせすぐに音を上げて、婚約解消を申し出てくるに決まっている。
ジャネットはそう信じて疑っていなかった。
しかし、ギルバートは耐え続けた。
徐々に執務を増やそうとも。
功績がその手に何ひとつ残らなくとも。
いつしかその恭順の姿勢からぎこちなさがなくなろうとも。
貴族たちの前で罵倒され、折檻を受けても。
“無能王子”と誹られようとも。
あまりにも従順すぎるので、ギルバートがジャネットのすべき執務をこなしていくのは、ジャネットにとって次第にただの日常になった。
(まだ折れないのかしら)
婚約を解消しさえすれば、その境遇から逃れ、ディアナにも危害は加えないというのに。
本当に約束を覚えているのか気になり、ジャネットはギルバートにこう言ってみた。
「もう一度あの娘に、三の間でダンスのレッスンを受けてもらおうかしら」
と。
普段はただジャネットの命令を聞くだけのギルバートはその途端に、そのリリアナに似た涼しげな顔立ちを強張らせた。
そして、ジャネットが三日後までで良いと言って渡した書類の束を、その日のうちに完璧に仕上げて持ってきた。
(あらまあ)
その単純さに呆れ――同時に、面白くなった。
「あの娘とのお茶会で、変わった茶葉を使ってみようかしら」
そう言えば、ある子爵領で頻発する河川氾濫について即実行可能な対策案を出してきた。
「昔使っていた鞭が出てきたのよ。あの娘は乗馬に興味はあるかしら」
そう言えば、関税問題について隣国も納得する折衷案を出してきた。
ジャネットの言い回しは、誰かに聞かれたところで脅しとは思われないだろう。考えすぎ、大袈裟、気のせい――そう断じれば済むだろうに、ギルバートがジャネットの言葉の裏を読み間違うことは一度もなかった。
それがまた小気味良かったし、娯楽になりつつあった。
そうやってギルバートを好き勝手に虐げ弄びながらも、ジャネットは、本来の目的を忘れてはいなかった。
(そろそろあの娘を手に入れないとねえ)
ディアナもギルバートを意のままに動かすには便利ではあるが、彼女の役目はセドリックの婚約者となり、セドリックの王位継承のために後ろ盾となることだ。そうなるとやはりギルバートは邪魔な存在にしかなりえない。
さりげなく話をしたところ、エンフィールド公爵もセドリックの婚約者にディアナを宛がうことは諸手を挙げて賛成した。
以前にギルバートの才覚に気づいていた者たちは、ジャネットの手で少しずつ閑職に追いやられた。
“無能王子”の名も国内に浸透し、ギルバートに味方する貴族はもはやいない。
あとはギルバートを完全に失脚させるだけ。ただ、慣例として王位を得られなかった王子には公爵位と領地が与えられることになっている。また、順位こそ下がるものの竜の血を持つ以上は王位継承権も残る。
ギルバートが公爵になり王宮を離れるとジャネットの監視が届きにくくなる。セドリックの治世を安定させてやるためには、憂いが残らないよう、やはりギルバートは殺したほうが良い。
(適当に冤罪でもかけて、処刑しようかしら)
最後の遊びになるのだから、どうせなら最高の見世物にしたい。
自らの執務のほとんどをギルバートに任せ、時間を持て余すジャネットは日々そんなことを考えていた。
ギルバートが婚約解消を申し出てきたのは、そんな頃だった。




