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死に戻り王子の願い事~君を守るため、私はすべてを手放す~  作者: うすぎぬみやこ
第2章

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積み重なる喪失

初めて評価ポイントが入っていることに気づき、作者は狂喜乱舞しております。

ありがとうございます。

ブックマークしてくださっている方も、ありがとうございます。

「姉さま……」


 失意のまま自室に戻ろうとしたところで、遠慮がちにディアナを呼ぶ声がした。


「アレックス」


 広い廊下の端に所在無さげに立ち尽くす弟に気づき、ディアナは足早に近づいた。


「どうしたの? もう寝る時間でしょう」


 アレックスはまだ八歳。産まれてすぐ母を亡くし、ディアナが母代わりになり育ててきた。


「ギルバート義兄(にい)さまは、もういらっしゃらないのですか?」


 幼いがゆえのまっすぐな問いに、ディアナは答えに詰まった。婚約解消の件を、邸の誰かにでも聞いたのか。アレックスは時折この公爵邸を訪れるギルバートに懐いていた。まだ正式に婚姻をしたわけでもないのに、いつの間にかギルバートを義兄(あに)と呼び慕う程度には。


『義兄さま、剣術を教えてください!』

『それは……。アレックス、きみは次の公爵だろう。私の剣は騎士のような綺麗な剣術ではない。もっときちんとした者から習うほうが、』

『義兄さまがいいです!』

『アレックス、我儘を言わないで。……申し訳ありません、ギルバート様』

『だって姉さま、義兄さまはいつでも姉さまを守ってくれるのでしょう? だから、僕も強くなるんです! いいでしょう、義兄さま?』

『……そこまで言うのなら。ディアナ、練習用の木剣はあるだろうか』


 最初は、戸惑っていたようだった。それでもアレックスの熱意に負け、庭の一画で打ち合いをし、手本を示すギルバートの姿を思い出す。真剣ながら、次第に楽しそうにきらめいていく青い瞳。


『ここで右足に体重をかける。……そうだ。そうすると剣を振るときに速度が出る』


 筋が良いな、とアレックスを褒めていたギルバートの微笑みが、今も瞼の裏に焼きついている。

 綺麗な剣術ではない、と卑下していた。しかし、振り抜かれる剣先は迷いなく、動きは速く力強い。どんな状況下でも生き残るために最適化されたような剣舞は、ずっと見ていたいほど美しかった。


「次も一緒に剣の稽古をしようって、義兄さまが言ってくださったんです。勉強も見てくださるって」


 期待に縋るように、けれど不安を隠せないように言う弟を、ディアナはそっと抱き寄せた。温かな子供の体温に、自分の体が冷えていたことがわかった。


「アレックス。もう、あの方を“義兄さま”とお呼びしてはだめよ」


 アレックスは賢い子だ。ディアナの言い方が、先の自分の問いの答えだと、すぐに察した。


「どうしてですか。じゃあ、義兄さまは約束を、」

「違うわ。あの方が約束を破りたかったはずはないでしょう?」


 ディアナは、弟をより強く抱き締めた。


「きっと姉さまが……わたくしが、悪かったのよ」


 ギルバートを支えたいとずっと思ってきた。けれど、先ほどの父との会話を通じてわかった。


(わたくしは、何ひとつあの方のお力にはなれていなかった)


 彼をよく知る立場にありながら、何もできなかった。


(だから、ギルバート様はわたくしを不要と思われたのかしら。……それなのに、わたくしに非はない、だなんて)


 どうして、最後まで優しいのか。ギルバートにそんな嘘を吐かせたことが心苦しい。あの人は、嘘なんて苦手なのに。


「そんなはずないです!」


 アレックスが小さな手で、それでもディアナを包み込もうと懸命に腕を伸ばして抱き返す。


「義兄さまは姉さまと一緒のとき、ずっと楽しそうでした!」


 姉さまは絶対に悪くないです、とアレックスは力強く訴えた。


「そう、なの?」


 アレックスの言葉が信じられなくて、ディアナはそう問い返した。


「義兄さまは、いつも眩しそうな顔で姉さまを見てたんです。どうしてって僕が聞いたら、『君の姉君が素晴らしい人だから』って、そう仰ってました」


 本当だろうか。けれど、子供のアレックスがそんな嘘をすらすら吐けるはずはない。


「……もしそうなら、嬉しいわ。ありがとう、アレックス」


 そうならいい。少しでも、ギルバートを支えることが出来ていたなら。安らぐ時間を与えることが出来ていたなら。弟の言葉に、ディアナの胸のつかえがほんの少し取れる。一方で、こんな幼い弟に気遣われる自分が情けなくなってくる。


(前を向かなくちゃ……少しでも)


「でも、」


 アレックスの語気が急に弱くなった。ディアナの背に回されたアレックスの腕に、きゅっと力が入った。


「それじゃあ義兄さまは、なんで約束を破るんですか……!?」


 そう訴えた弟を、ディアナはその背を撫でながら宥めた。


「剣の稽古も勉強も、あの方でなくても良いでしょう? 家庭教師の先生がただって来てくださっているのだから」


 ギルバートの代わりなど誰にも務まらない。


(わたくしだってそうなのに)


 卑怯な言い方をしている。その自覚はあった。まっすぐに感情を吐き出せる弟が羨ましかった。

 それでも、婚約を解消した以上、もうギルバートが個人的に公爵家を訪れることはない。従って、アレックスと遊ぶこともないのだ。

 幼いとはいえ、アレックスは公爵家の長男として、これらのことを弁えなければならない。


「違います! 約束はそれじゃありません!」

「アレックス?」


 それでもギルバートでなければ嫌、とは言うだろうと考えていたディアナは、予想と異なる反応に戸惑った。抱き締めていた腕を解き、弟の顔を見る。


「あなた……あの方と何をお約束したの?」

「言いません」

「まあ」

「秘密だって約束なんです、義兄さまが約束を破っても、僕は守ります!」


 ディアナは頑なにそう言うアレックスの頭に手を置いて、何度もゆっくり撫でた。


「わかったわ。あなたがそこまで言うのなら、もう聞かない。だからもう怒らないで。姉さまにそろそろ笑顔を見せてちょうだい」

「ぅ……、はい……」


 まだ不機嫌な様子は隠せていないが、それでもアレックスは姉の願いに頷いた。


「それから、“義兄さま”も禁止。……いいわね?」


 ディアナが重ねて言うと、アレックスは唇を尖らせながらも、もう一度頷いた。

 最後に頭をもうひと撫でして、ディアナは立ち上がった。


「ほら、もう寝台に、」


 父ゲオルグの帰宅は普段より早かったとはいえ、八歳のアレックスにはもう充分遅い時間だ。自室に戻るように促すと、アレックスの手がディアナのドレスをちょこりとつまむ。

 弟のこんな甘え方は久しぶりだ。思わず笑みが溢れる。ディアナはアレックスの要望を言い当てた。


「それじゃあ、今夜は一緒に寝ましょうか」


 アレックスは恥ずかしそうに、黙ってこくりと頷いた。

 一緒にディアナの部屋へ引き上げる。机に置いていた、刺繍が刺しかけにされたハンカチが、ディアナの目に留まった。

 低くて穏やかな声が、耳に蘇る。


『ありがとう。これは大切に飾る』


 ひと月前のお茶会で、ディアナがギルバートにハンカチを贈った時だ。壊れ物を扱うように、ギルバートの指がハンカチの縁をそっと撫でていた。

 触れてもいいのか悩んでいるようにも見えたその仕草に、ディアナの胸がぎゅっと締まった。あの感覚は今でも忘れられない。


『いくらでも刺繍します。ですから、こちらはちゃんとお使いくださいませ』


 だからわざと笑った。ハンカチをギルバートの手に乗せて、押しつけるように次の約束をした。ギルバートは驚いたように少し目を見開いてから、ほんの僅かに口元を綻ばせた。布の質感を確かめるようにハンカチを握って、ハンカチを見つめながら『ああ』と短く頷く声は確かに弾んでいた。

 ギルバートは優しい。しかし普段、その表情が大きく動くことはない。そんなギルバートが、あれほど喜びを露わにすることは珍しかった。


(もう少しで、次のハンカチが出来上がったのに)


 ギルバートの誕生日には間に合うはずだった。しかし、婚約者でなくなった以上、もう一介の公爵令嬢が第一王子に気軽に贈り物などはできない。


「姉さま?」


 アレックスの声に、ディアナははっと我に返る。


「ほら、ブランケットをちゃんとかけて。……おやすみなさい、アレックス」


 寝台に入ったアレックスにふわりとブランケットをかける。ディアナは寝台に腰掛け、一定のリズムでアレックスのお腹のあたりをとんとんと叩く。遅くまで起きて疲れていたのか、アレックスはほどなく寝息を立て始めた。

 ディアナは弟が寝入ったことを確かめて、そっと立ち上がる。

 ゆっくり机に近づいて、作りかけのハンカチを手に取った。幸運を祈る、そんな花言葉を持つ花を選んで、一針一針その花弁を象ってきた。もう贈ることのできないそれを、刺繍枠から外す。

 楽しみにしてくれていただろうか。これを贈ることができていたら、あの人はまた笑ってくれただろうか。


(ギルバート様……)


 婚約者でなくなった以上、王族である彼を名前で呼ぶことはもうできない。

 第一王子殿下、と。そんな無機質な呼び方をしなければならない。


(アレックスには、呼び方を直させたのに)


 次に会うとき、自分は彼を肩書きで呼べるだろうか。名前で呼べないことに、堪えられるだろうか。


(わたくしに、もうその資格はないのに……どうして、考え続けてしまうの)


 きっと、ギルバートが“ディー”と呼んだからだ。そう思い至って、ディアナは首を横に振る。

 あの時は呼ばれたと思った。けれど、時間が経つほど、本当にそうだったのか自信がなくなってくる。


(あれは……きっと気のせいだったのよ)


 婚約の解消を申し出ておいて、名前どころか、それまで口にしたことのない愛称で呼ぶ。少し考えればわかる。ギルバートがそんな分別のない行動をするわけがない。


(あの方が、最後にわたくしを愛称で呼んでくださったなんて……わたくしに、都合が良すぎるもの)


 弁えなければ。そう、自分に言い聞かせる。

 雲が切れたのか、窓から月光が差し込んだ。ハンカチの光沢のある刺繡糸が、光を反射してディアナの手の中で鈍く輝く。作りかけで花弁が足りていない、幸運への祈り。

 唐突に、今朝と同じぞわりとした恐怖が、ディアナを襲った。


「いや……っ!」


 思わず小さく叫んで、ハンカチを取り落とす。ディアナは自分の体を掻き抱いた。


(何、今のは……)


 床に落ちたハンカチを恐る恐る見下ろす。


『――――――なかったくせに』


 どくどくと鳴る自分の心臓の音に紛れて、そんな嘲りが聞こえた気がした。

 ディアナの記憶にはない。けれど、確かに何処かで聞いた言葉。知っている声。


「お嬢様?」


 小さなノックと、自分を呼ぶ囁き。ディアナがはっと顔を上げると、扉が細く開いてマリアが顔を覗かせたところだった。


「お声が聞こえた気がして……あ、坊ちゃまは今夜はこちらでお休みですか?」

「……ええ、そうなの」


 ディアナは、息を整えてどうにかいつも通りの声を出した。


「最近はこうして甘えることもなかったのに……。マリア、今夜アレックスがわたくしの部屋で寝ていること、ポーラとユナに伝えておいてくれる?」


 この邸の侍女長とアレックス付きの侍女に、そう伝言を頼む。


「わかりました。お嬢様も、今夜はもうお休みになりますか?」

「そうね。夜着と、湯浴みの支度を頼んでもいいかしら」

「お任せください。すぐご用意します。お湯の準備ができたら、また参りますね」


 マリアはそう請け負って、扉を閉めた。静けさが戻ってくる。

 ディアナは、ちらりと寝台を見た。アレックスの規則正しい呼吸の音と、それに合わせて上下する胸元。


(……良かった)


 弟は、すっかり夢の中にいるようだった。そのことに安心する。

 ディアナはハンカチを拾いあげた。あの恐怖が蘇ることが怖くて、ハンカチが視界に入らないように皺になるのも構わず握りしめる。

 ディアナは、ハンカチをそのまま引き出しにしまいこんだ。

 引き出しを閉める音が、ぱたんと響いた。

第2章はここまでとなります。幕間をひとつ挟んで、主人公視点に戻ります。

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