076⚫️特に何もなし
歴史の書には、奇妙な一日が記されている。
フランス革命が勃発したその日、ルイ十六世は日記にこう書き残したという。
「特になし(Rien)。」
民衆が蜂起し、世界が根底から揺らぎ始めたその瞬間でさえ、
王は趣味の錠前づくりに没頭し、外の騒ぎを単なる’雑音’としか捉えていなかった。
歴史は、ときに残酷なほど同じ構図を繰り返す。
レグナス・ザルン・エインは、謁見の間の玉座に深く身を預け、反乱の急報を受けながらも、その視線はどこか遠くの虚空を彷徨っていた。
「特に、変わりはない。」
その言葉は、報告への返答というより、自らの絶対性を確認する独り言のように響いた。
バルハインは玉座の下から王を見上げ、胸の奥に冷たい泥が沈んでいくような感覚を覚えていた。
「陛下、反乱の規模は未だ不明にございます。ヤット・ラレンは王都から遠く、鎮圧が遅れれば・・・。」
「任せると言ったはずだ、バルハイン。」
レグナスは、羽虫を追い払うかのように、わずかに手を振って言葉を遮った。
「予はいま、公国の動向を見極めねばならぬ。些末な騒ぎに気を取られている暇はない。」
些末。
その一言が、バルハインの胸を深く抉った。
地方都市の軋みは、王国全体の地盤が崩れる前兆だ。
だが、王はそれを理解しようとしない。いや、完成されつつある’自らの王国’に、汚点など存在しないと信じ込んでいるのだ。
「・・・御意。では、直ちに軍を動かします。」
バルハインは深く頭を下げ、重い足取りで謁見の間を後にした。
扉が閉まる直前、彼がふと振り返ると、レグナスはまだ宙を見つめていた。
その表情は、反乱の火種など視界に入らぬと言わぬばかりに、次なる征服の’勝利の絵図’に酔い痴れているようだった。
扉が重厚な音を立てて閉じると同時に、王国の運命は、静かに軋みを増していく。




