第33話 男の勝負
アウンは何度も立ち上がろうとしては、すぐに咳き込み、また膝を突く。いったい、自分の身に何が起きているのか、理解出来ていない様子だ。
当然だ。草薙が使ったのは「練気法」。
剛法、柔法に次ぐ、第三の技術。竜虎道拳法の達人が、他の武術と比べても一段格上であると噂されているのは、ひとえに、この練気法があるからである。
それは決してオカルトの類ではない。
この世界には、ありとあらゆるところに、様々なものが「流れて」いる。「流れ」とは世界の本質である。例えば水。例えば風。電線には電気が流れており、人間の体内には血液が流れている。
そして、「気」だ。
「気」について科学的に説明できる者はいない。
もしも、「気」について、それこそ饒舌に以下のように語る者がいるとしたら、その者は何もわかっていない「偽物」と言えよう。
「『気』というのは、スポーツバイオメカニクスや認知科学、神経生理学の観点から見ると、『極めて高度に最適化された身体操作と神経状態』を、古の武術家が感覚的な言葉で体系化したものである。決して目に見えないエネルギーの類ではない」
確かに、ある面では正しい。
だが、ある面では間違っている。
「気」は存在する。この世界を動かす波動であり、エネルギーであり、万物の生命力の源として、確かにあるのである。
その存在を認知し、使いこなすことが出来るのは、本来であれば狂気にも近い鍛錬をこなすことで到達する領域であるが、あろうことか、竜虎道拳法の創始者である「渡来天道」は、その「気」を扱う技法を体系化し、ある高みの領域まで到達した達人であれば誰でも使いこなせるように一般化してしまったのである。
ゆえに、秘伝。
もしもこの技法が他の、邪悪な拳法家にでも知られてしまえば、悪用されることは必至である。
その秘伝の「練気法」を、草薙は自在に使える。
コツは、ある一定のリズムでの呼吸と、さらには体内の血流、神経の伝達までコントロールすること。それにより、体内に尋常ではない破壊的なエネルギーを蓄え、そしてそのエネルギーを拳脚に伝えて、相手へと叩き込む。
もはや防御できる類のものではない。ガードの上から、体内にエネルギーは浸透して、そして内部に破壊を起こす。
アウンは――胸部の中心にある「膻中」へと、気の篭もった掌底を叩きつけられた。
膻中の直下には、心臓や肺、そして自律神経の束が密集している。
ここは、普通に拳打を喰らっただけでも呼吸困難に陥るほどの危険な急所である。もちろん、アウンの防御力があれば、並の拳法家の打撃程度ではびくともしないだろう。
ところが、草薙は「練気法」を使い、内部へと浸透する波動を流し込んだ。
それにより、アウンの胸部の奥側は、大変な状態になっている。心臓は異常なリズムでの鼓動を刻み、肺には小さな穴が開き、神経の伝達も乱れに乱れている。
並の人間なら、戦闘不能になるか、あるいは死んでいてもおかしくないほどの大ダメージである。
にもかかわらず――アウンは、立ち上がった。
グルルルル! と獰猛な獣のような唸り声を上げ、立つのもやっとな状態であるはずなのに、拳を胸前に構えてのファイティングポーズを取る。
「いいじゃねえか! その意気やよし、だ! とことんやろうぜ!」
今度は草薙から攻めかかる番だ。
フットワークの力を失い、すっかりその場に足が居着いてしまっているアウンに対して、草薙は正面から飛びかかる。
アウンのジャブが繰り出された。
草薙は顔面にもろに喰らった。だが、効果は薄い。体内を乱されている状態では、まともなパンチが撃てない。それを理解した上での、真っ向からの突撃だ。
つまりは、もう草薙の勝ちは確定している。
それでも草薙はつまらない決着のつけ方はしたくなかった。
ほんの少しの間であったが、拳を交わしてわかった。アウンは本物の戦士だ。この男に対して、敬意を払う必要がある。だから、安パイな戦い方で終わらせてはいけない。
本気で真正面からぶつかり合う。それでこそ、男同士の勝負っていうものだ。
「ウオオオオオオ!」
「ッルァアアアア!」
草薙とアウンの咆哮が船長室の中に響き渡り、壁を、床を、天井を、ビリビリと震わせた。
完全なるフルコンタクト。二人は出せる限りの力を出して、真っ向からラッシュで撃ち合う。顔面に、胴体に、一般人ならその一発で昏倒するような重いパンチが、連続で叩きつけられる。
それも、やがて終焉の時を迎えようとしていた。
アウンがよろめいた。練気法による掌底を喰らった効果は深く、すでに彼の肉体は完全なる「虚」の状態となっていた。すなわち、防御力がゼロの状態だったのである。そこへ草薙の容赦ない連打を受けたのだから、たまったものではない。
しかし、アウンは踏ん張った。ギリリ、と歯を食いしばり、ズンッ! と無理やりにでも前へと進み出る。
草薙は感じている。次が、アウンの最後の一撃だ。間違いなく、彼の生涯最高の一発を出してくるに違いない。
凡庸な闘士なら、そんな一発が来るとわかっていて、わざわざ喰らいにはいかないだろう。
でも、草薙は非凡である。良くも、悪くも。
(わかるぜ! お前の次の一撃は、頭突きだ!)
アウンの全力が、下半身に集中しているのを感じる。それはすなわち、蹴り技を放つ気は無いということ。当然であるが、下半身に力を込めたら、蹴りを放つ余裕はなくなってしまう。その力の集中のさせ方は、しっかりと両脚を踏ん張って、上半身を使った一撃を放つためのものである。
そして、もう拳打はあり得ない。これだけ撃ち合って、結局押し負けているのだ。パンチでは勝てないとわかっているだろう。
となれば、頭突きだ。
上半身を鞭のように振り、硬い頭蓋を、スピードに乗せて本気でぶち込んでくる。
だったら、草薙が取るカウンターは、ただ一つだ。
「俺もチョーパンには自信があるんでな」
アウンの頭突きの射程距離へとわざと入る。それは、草薙にとっても、自分の頭突きを当てられる間合いだ。
ニヤリ、とアウンは笑った。草薙の意図を察したのだ。
合図は無い。互いの呼吸をはかり、今だ、と思うタイミングを待つ。
そして、その時は訪れた。
二人同時に、お互いの胸ぐらを掴んで、上体をのけぞらせると、一気に頭を振った。
頭蓋と頭蓋がぶつかる、重く鈍い音が鳴り響く。頭突き同士のぶつかり合い。振動がそれぞれの全身へと伝わり、筋肉と骨までをも震わせる。
頭突き勝負の結果は、草薙の負けだった。
「ぐおっ! あっ……!」
ガクンと膝を折り、額を押さえて、呻く。
最後の最後にとんでもない隠し球を披露しやがって、と内心舌を巻きながら、草薙は屈んだ体勢から、アウンのことを見上げた。
アウンは微動だにしない。
白目を剥いている。
あの頭突きが最後の全力だったのだ。体内の気脈を狂わされている状態で無理矢理放ってしまったがゆえに、意識を保つことも困難になってしまったのだろう。
完全に気絶してしまった。
「まったく……こんな無茶苦茶な試合、初めて見ましたよ」
呆れたように言いながら、アリスが部屋の中央にいる二人のもとへ近付いてきた。そして、立ったまま気を失っているアウンの顔を覗き込むと、うん、と確信を抱いた様子で頷いた。
それから、草薙のほうへと腕を伸ばして、高らかに宣言した。
「勝者! 草薙礼司!」
ここに至って、ようやく草薙はホッと安堵のため息をつくのであった。




