第31話 第八試合
アリスに案内されて到着した、第八試合の会場は、船長室だった。
豪華客船の船長室とは言っても、そこまで豪奢な造りになっているわけではない。広さ的には、30平方メートルあるかどうか、といったところか。赤い絨毯敷きになっている以外は、壁紙も質素なデザインの単色クリーム色であり、照明も普通のLEDランプである。
部屋の端にシングルベッドが置いてあり、簡素な応接セットと、作業デスク、クローゼットがある以外は、特筆すべき家具類があるわけでもない。
それゆえに、大きく動き回るには狭いながらも、格闘戦をするには十分なスペースが確保されている。
「よし! よし! よおおおし! やるぞ! やるぞおおお!」
相変わらずアウンはやかましい。大声で自分を奮い立たせながら、ガツンガツンと両の拳を叩きつけて、戦闘開始の合図を今か今かと待っている。
対する草薙は、逆におとなしく、呼吸を整えている。ラウェイなる格闘技がどういうものかわからない以上、まずは冷静に相手の出方を見る必要がある。そのためには、アウンみたいな興奮状態になるわけにはいかない。
「今回は、試合会場が狭いので、皆さんは部屋の外でモニターを見ていてくださいね」
そう言って、アリスはタブレット端末を、レオニードに渡した。端末上には、室内に仕込まれた観戦用のカメラを通して映した、様々な角度からの映像が表示されている。
レオニードはニヤリと笑って「OK」と端末を受け取ると、他の者達を促して船長室から出ていった。
部屋には、草薙とアウン、アリスのみが残った。
「それでは――」
アリスはゆっくりと右手を挙げると、
「Fight!」
気合の入った声とともに、一気に手を振り下ろした。
途端に、室内を揺るがすほどの轟音が鳴り響いた。
「イイイヤッホオオオウ!」
アウンだ。
試合開始直後、考えなしにノーガードで突っ込んできたのだ。
まさしく猪突猛進。カウンターを喰らえば大ダメージ間違いなしの無謀な突撃。しかも、思いきり前傾姿勢を取っているから、草薙としてはアウンの頭部に攻撃したい放題の状況である。
(馬鹿か、こいつ⁉)
驚きつつも、草薙はサイドステップを踏み、闘牛士のごとくアウンの突進を回避すると、相手のこめかみ目がけて思いきり腰の入ったストレートを放った。
長引かせるつもりはない。この一撃で決める。
そう思っての一発だった。
アウンはこめかみに拳を喰らい、横倒しになるように吹っ飛んで、ベッドの上に沈むように倒れ込んだ。
(さあ、どうだ⁉)
草薙の経験上、今のカウンターパンチを喰らったら、無事でいるはずがない。こめかみの急所に叩き込まれて、脳震盪が起きるほどの衝撃を受けたはずだ。人体の構造上、あれに耐えられるはずがない。
だが、
「ドウッラアアア!」
雄叫びとともに、アウンは跳ね起き、再びファイティングポーズを取ると、またもや猛スピードで突進してきた。
まさかの、カウンターが効いてない。
「チッ」
草薙は舌打ちし、あらためてサイドへよけてアウンの突撃をかわすと、今度は足払いをかけた。さらに腕を相手のうなじにかけて、顔面から、床に向かって叩き落とす。グシャッ! と鼻が潰れる音がして、「ぶげっ!」とアウンのくぐもった声が聞こえてきた。
殴って駄目なら、投げ技だ。
(これならどうだ⁉)
念のため、間合いを取ったところで、
「ふんぬっ!」
アウンはピンピンした様子で、元気よく立ち上がった。
鼻は、折れたのか、変な形に捻じ曲がっている。しかし、そんなことは一切気にせず、歪んだ鼻をアウンは自分で掴むと、ゴキンッ! と強引に力任せに元の位置に戻した。ブシュッ、と血は噴き出たものの、まったく動じていない。
「やるじゃねえか、てめえ」
当然、アウンのその言葉は、ミャンマーの言語であるので、草薙には理解出来ない。けれども、何を言っているのかは、通訳がなくてもわかる。
「そっちこそ、タフな野郎だな」
草薙の日本語もまた、アウンには通じない。でも、アウンはフッと笑みを浮かべた。もはや、二人の間に言葉の壁は無い。拳と拳を交わして通じ合った心は、どんな言葉よりも雄弁に、互いの気持ちを伝え合う。
「さーて……そんじゃあ……」
アウンは、左右に首を傾けて、コキコキと音を鳴らす。それからニカッと笑みを浮かべて、両の拳を胸前に構えると、ズズズ……と腰を低く落とした。
突撃前の体勢。だが、さっきまでとは様子が違う。
(あんにゃろォ、俺のことを試しやがったな……!)
ただの無謀な突進ではなかった。草薙がどう対応し、どんなカウンターを合わせてくるか、それを確認するための、あえての隙だらけな突進だったのだ。
だけど、普通の格闘家はそんなことはしない。これは台本無しの真剣勝負だ。一発一発が敗北に繋がりかねない。わざとカウンターを喰らおうなんて、正気の沙汰ではない。
とにかく、二回のカウンターで草薙が掴めた相手の情報はただひとつ。異常なまでにタフ、ということのみ。どんな戦い方をしてくるのか、まるでわからない。
それに対して、アウンのほうは、草薙の戦法について様々な情報を掴んだことだろう。そこから勝ち筋を綿密に組み立てているはずだ。
(つまりは俺が若干不利、ってことか……!)
草薙は、正中線を隠すように半身になっての、防御の構えを取った。カウンターの選択肢を切り捨ててまでの、守りの姿勢。これでは勝ちは取れない。
それでも、あえて草薙はあらゆる攻撃手段を自ら封じ込めた。
直感だ。この敵と、ガチンコで真っ向からぶつかり合うと、確実に負けてしまう、という野生の勘。
「行くぞ! オラァァァアアア!」
ドンッ! と床を蹴り、アウンは三度目の突撃を仕掛けてきた。
(どう来る⁉)
とにかく急所にダメージを喰らわないよう、草薙は万全の態勢で、相手のことを待ち構える。
次の瞬間、アウンの姿が消えた。
(なにっ⁉)
咄嗟に、草薙は自分の背後へと向き直ろうとした。目の前からアウンが消えたのは、異常なまでのバネとスピードを生かして、まっすぐ突っ込んでくる状態からサイドへステップを踏んでの、死角――背中側へ回り込んだのだと、判断してのことだった。
ところが、消えたはずのアウンが、また目の前に現れた。
罠だった。草薙はまさに体勢を変えようとしている瞬間で、うっかり防御態勢を解いてしまっていた。そこを狙って、アウンは再びサイドステップで元の位置へと戻ってきたのだ。
(しまった――!)
「ッラァアアア!」
がら空きになっている草薙のみぞおちに、アウンの至近距離からのアッパーカットが叩き込まれた。内臓、骨、神経に伝わってくる強烈な衝撃。一瞬、草薙の意識は吹っ飛びかける。
(――こいつ、まさか!)
草薙は、自分自身の得意分野は、インファイトであると理解している。いかにして相手の懐へ潜り込み、必殺の一撃をぶち込むか、という戦術を駆使するファイター。
近距離戦において、自分の右に出る者はいない、と自負すらしていた。
ところが、ここに、上位互換の存在が現れた。
(俺を上回る、インファイターか!)
ガードが間に合わない。
ほんのひと呼吸程度の、刹那の瞬間に、アウンは十数発の連打を叩き込んできた。




