第30話 世界が変わる時
草薙も、アウンも、二人とも今の試合結果を目の当たりにして、ポカンとした表情で、口を開けたまま固まっている。
ルンルン♪ と上機嫌に鼻歌を歌いながら、真っ裸のイヴは自分の肢体を惜しげもなく晒しながら、観戦していた闘士達のもとへと戻ってきた。そして、草薙達が全員注目していることに気が付き、「?」と小首を傾げた。
「どーしたの? 何かあった?」
「『何かあった?』じゃないでしょ」
アリスは苦笑しつつも、拍手でイヴを出迎える。あらゆる言語に精通している彼女は、しっかり流暢なドイツ語で話しかけている。
「噂には聞いていましたけど、本当に『超人』なんですね。どんな攻撃も弾き返して、逆に一発で相手を殺してしまう。まるでマーベル映画のスーパーヒーローみたいです」
「ごめんねえ、私はDC派なの」
「じゃあ、なおさらですね。さしずめリアルの世界に現れた『スーパーマン』といったところでしょうか」
「それを言うなら『スーパーガール』だよ♪」
にっこりとアリスに対して微笑み、それから、次に試合を控えている草薙とアウンのほうへと振り返った。
「次は君達だね! どんな戦いをするのか、楽しみ♪」
そうやって語りかけた内容を、アリスはすぐにその場で通訳した。草薙と、アウン、それぞれがわかる言語で。
「楽しみ、って言われても、なあ……」
草薙は困惑の眼差しで、アリスとイヴを交互に見た後、アウンと顔を見合わせた。アウンもまた、少なからず動揺している。
これはトーナメントだ。ということは、次の試合の勝者が、イヴと対戦することになる。
(やべえ、勝ち筋が見当たらねえ)
ガリガリ、と草薙は苛立たしげに髪の毛をかく。どんな敵が相手でも、たとえ百人に囲まれようとも、一歩も退いたことのない自分が、今、規格外の化け物を見て、完全に混乱してしまっている。
アウンも同じようで、口元に手を当てて何か考え事をしながら、イライラした様子で足をタンタンと踏み鳴らしている。
すっかり妙な空気が漂っている。
「さあさあ、次が緒戦の最終戦! パッと華やかに、いい試合にして盛り上げてくださいね!」
パンパン! とアリスは手を叩き、強引に全員の気を引くと、さっさと先へと進み出した。
全員、今の試合の衝撃から覚めやらぬまま、モタモタと動き始め、惰性でアリスの後へとついていく。
レストランを出てから、広い廊下に入った。
(ったく、しっかりしろよ、俺!)
草薙は歩きながら、呼吸を整える。乱れてしまった心身を、元通りのコンディションへと戻すために、鼻から吸って口から吐く、腹式呼吸で体内の気の巡りを良くし、血流も正常に循環させる。
隣をゆくアウンも、同様にスウハアと深呼吸を繰り返している。
まずは、このアウンを倒さなければ、そもそもイヴと対戦する資格も与えられない。それどころか、ちゃんと集中して戦わないと、アウンに殺されてしまうかもしれない。
たしか、トーナメント開始時の紹介アナウンスでは、アウン・コー・ミンはミャンマー出身でラウェイなる格闘技の使い手だと聞いていた。
ラウェイ?
知らん、と草薙は顔をしかめた。
日本の武術界では知る人ぞ知る拳豪として活躍しており、それなりに世界各地の武術や格闘技について知識を仕入れていた草薙であるが、ラウェイというのは初耳だった。
世界は広い、と感心しつつも、そんな風に呑気に構えていられる状況でもないので、とりあえず、出来る限りの情報を相手の外見から得ようとする。
アウンの全身は傷だらけだ。黒いタンクトップを着ているため、肌が多く露出しているが、あちこちに切り裂かれたような傷がついている。どんな激しいぶつかり合いをしたらこんな傷がつくのか、と思うほどに凄まじく痛々しい。しかし、当の本人はそれらの傷を勲章のように、まるで気にしていない様子で、廊下を歩いている。
おそらく、ラウェイとは、全身を使って、生身で激しくぶつかり合う、過酷で過激な格闘技に違いない。
それ以上のことがわからないとなると、あとは実際に手を合わせてから、戦い方を確認するしかない。それは非常に草薙にとって不利だ。
(まあ、条件は向こうも同じか)
竜虎道拳法なんていう、日本独自の、世界的に見たらマイナーな拳法、ミャンマー出身のアウンは聞いたこともないだろう。
だから、竜虎道ならではの「秘技」の存在も、把握はしていないはずだ。
普通の武術よろしく、殴る、蹴る、打つ、投げる、極める、といった基本的な技までは想像出来ても、竜虎道の真の熟練者でなければ使いこなせない、あの「秘技」は予測も出来ないだろう。そこに勝機がある。
竜虎道の技の体系は、三種。
剛法、柔法、そして――「秘技」。
コオオオ……体内で、草薙はエネルギーを練り上げていく。先ほどのイヴの異常な戦いぶりを見て、混乱しきっていた脳内が、スッキリと綺麗に磨き上げられていく。
世界がクリアになって見えてくる。
隣のアウンの筋肉が軋む音、骨がこすれる音、血脈の音まで感じ取れるような気すらしてくる。
(勝つ)
拳を握り締め、まっすぐ前方を見据える。
この先に未来があると信じて。
(待ってろよ、初真)
心の中で、息子の名を呼び、ニヤリと笑った。
俺は必ず優勝してみせる――と。




