第29話 超人
レディ・ジャガーこと、マリア・ロペスはペルーに生まれ育った。
幼い頃から抜群の身体能力を発揮して、どんな運動でもたちどころに習得し、プロ顔負けの動きを見せていたことから、周りからは「神童」と呼ばれていた。
その呼び名は、成人するのとともに、いつしか「超人」と呼ばれるようになっていった。
生まれつきルチャドーラとしての素質があったのだ。
ルチャとは、特に劇的な出会いがあったわけではない。単に、自分の身体能力を存分に発揮できる仕事は何があるか、というのを考えた時に、ルチャの世界がやはり一番適しているだろうと思ってのことだった。
『私は、昔から頭が悪かったから』
ある時のテレビのインタビューで、彼女はそう答えた。
賢くないわけではない。それなりに生きる知恵は身についており、愚鈍と言うにはほど遠い頭脳を有している。ただ、一般的な企業で働くには、あまりにも必要なスキルが身についていない。学校はちゃんと通っていたが、そこで勉学したことはあまり実になっておらず、結局のところ、自分は跳んだりはねたりしているのが一番得意だとわかった。それだけの話だ。
もちろん、団体に入ってすぐに頭角を現したわけではない。
それまで喧嘩らしい喧嘩も、格闘技も経験の無かったマリアにとって、ルチャの世界は、最初は非常に地獄のような場所に見えた。
ショーではある。肉体を使ったショー。しかし、一歩間違えれば障害が残るか、下手すれば命を落とす可能性もある、真剣勝負そのもののショーである。
『私、もうやめます!』
何度、泣きながら、そう叫んだかわからない。
人一倍根性があるわけではない。むしろ、メンタル的には弱い部類だと、マリアは自分のことを冷静に観察している。だから、練習で厳しくしごかれては、こんな場所で生き続けるのは無理だ、といつも心折れそうになっていた。
それでも団体に残り続けられたのが、不思議でならない。
マリアは、やはりテレビのインタビューで、こう語ったことがある。
『私の代わりはいくらでもいると知っていました。でも、私に代わりの仕事は無いということも知っていました』
だから、必死で食らいついていた。
どれだけ練習が厳しくても、理不尽な思いをしても、他に行く道は無いからと、ルチャドーラとしての力と技術を磨いていった。
やがて彼女は「超人」から、南米を象徴する強き獣「ジャガー」の冠した「レディ・ジャガー」となり、ルチャ・リブレの世界で最も華やかで、最も人気のあるルチャドーラとして活躍するようになったのである。
※ ※ ※
厨房を出て、すぐのフロアは、これは本当に客船内かと思うほどの大きなレストランが広がっていた。
歌劇などのショーが行えるだけのステージがあり、そのステージを半円状に囲むように、階段状になったフロアには、赤い絨毯が敷き詰められており、人が通るのに十分なスペースを空けてガラステーブルと豪奢なソファが並べられている。
普通のレストランというよりは、ショー・レストラン。食堂となるのはここだけか、他にも場所があるのか、わからない。
ともあれ、レディ・ジャガーは、この環境は自分が戦うのに当たっては、非常にやりやすい場所だと感じた。
高低差があるなら、得意とする空中殺法も使いやすい。
相手が何者かはわからない。イヴ・ヴァールハイト。ドイツ出身のヌーディスト。なぜ一切服を着ていないのか、そして、なぜ彼女がエントリーナンバー3番なのか、まったく理解出来ない。
トーナメントへ進む時の紹介では「超人」と呼ばれていた。
ふざけるな、とレディ・ジャガーは内心憤慨していた。
「超人」なんて呼び名は、並の人間に付けていいものではない。本当に、人よりも優れた身体能力を持っている者のみが許される称号。かつて「超人」と呼ばれていたレディ・ジャガーとしては、あんな、真っ裸でいる変態女が「超人」と呼ばれることが我慢ならなかった。
(化けの皮を剥いでやる)
両者、向かい合う。
「Fight!」
アリスの掛け声が聞こえた。
さっそく、レディ・ジャガーはステージの上に飛び乗った。そこから、間髪入れず、空中高くに跳躍する。
どんな相手でも、頭部は弱点である。正しく打撃を与えれば、一撃で倒すことが可能だ。そして、レディ・ジャガーはルチャの特訓を通して、人間の頭部のどこを叩けば昏倒させられるか、熟知している。
空中でレディ・ジャガーは華麗に回転した。ルチャドーラとしての最高の決め技、ムーンサルト。そこから流れるように、浴びせ蹴りを放つ。
重い音とともに、レディ・ジャガーの蹴りが頭頂部の急所に叩き込まれる。
(どうだ⁉)
見事な空中殺法を見せたレディ・ジャガーは、軽やかに着地して、イヴの様子を窺った。
イヴは――きょとんとしている。
「え……?」
少なからず動揺を見せたレディ・ジャガー。今の一撃は、どんな巨体のレスラーでも、頭をふらつかせてしまうほどの強烈な打撃だったはずだ。
それなのに、イヴには、まったく効いていない。
「ならば!」
レディ・ジャガーはカポエイラの戦い方も習得している。低い姿勢から、無防備に開いているイヴの股間目がけて、跳ね上がるような蹴りを放った。
同じ女として、裸体の女性の局部を蹴ることに、若干のためらいはあった。どんなに鍛えようとしても鍛えられない、その部位は、絶対に蹴っていい場所ではない。
それでも、レディ・ジャガーの勘が告げていた。
この女をまともな女として考えるな、と。
イヴの股間に、レディ・ジャガーの爪先が突き刺さった。
――なのに、イヴは相変わらず、ぽかーんとした気の抜けた表情で、まったく効いていない。
「どうして……⁉」
さすがに、ここまで来ると、レディ・ジャガーは悲鳴に近い声を上げた。
「終わった?」
イヴは呑気にそう言い、
「じゃあ、色々見せてくれたお礼に、『ちょっと』本気出すね」
と不気味な宣言を告げた後――
ブンッ、と無造作に、右手を振った。
それはただの平手打ち。普通の人間なら、ちょっと頬を赤く腫らすだけの、なんてことのない動き。ファイターであれば、鼓膜が破れるくらいのダメージは負うだろう。
だが。
ゴキンッ! とレディ・ジャガーは、自分の首の骨が鳴るのを感じた。
「⁉」
声が出ない。
なぜか、さっきまでイヴを見ていたはずなのに、いつの間にか背後にあったステージのほうを向いている。平手打ちがあまりにも強力で、体の向きが変わったのだろうか。
と思った、次の瞬間、首と脳内がカッと熱くなってきた。
思考が乱れる。何も考えられなくなる。体を動かそうとしても、全然動かない。
そこまで来て、ようやく、レディ・ジャガーは自分の身に何が起きたのかを理解した。
平手打ちを食らった頭部「だけ」が180度回転して、真後ろを向いてしまったのだ。先ほどの首の骨がゴキンッと鳴った音は、骨が外れ、砕けた音だった。
たかが一発の平手打ち。その一発で、致命傷となった。
「うん♪ 私、やっぱり強い♪」
ドイツ語でそう呟いたイヴのひとり言が、最後にレディ・ジャガーがこの世で聞いた言葉となった。
(本物の、超人――!)
試合時間、わずか15秒。
首が逆方向を向いた状態で、力を失い、レディ・ジャガーが崩れ落ちる中、早くも見切りをつけたアリスは、勝者の宣言をした。
「勝者! イヴ・ヴァールハイト!」
化け物が、この闇トーナメントで真の姿を現した瞬間だった。




