第3話 開戦
会場は、無骨なまでに、コンクリートの壁で囲まれただけの、広さだけはある空間だった。
草薙がリムジンを降りると、すぐに車体は外へと出ていく。どこか臨海の倉庫か展示場なのだろう、微かに潮の香りが漂ってきた気がしたが、リムジンが出ていった後、すぐにシャッターは閉められた。
角刈りのサングラスをつけた黒服が近寄ってきて、「243」と書かれたゼッケンを渡してくる。
「運動会じゃねえんだからよ、恥ずかしいだろ、こんなのつけるの」
と文句を言いつつも、草薙は素直に受け取り、ゼッケンを身に着けた。
すでに他の242名は集まっているようだ。ざっと見回してみると、大したことなさそうな連中も多いが、チラホラと、ただ者ではない雰囲気を放っている闘士もいる。
周りの連中も、草薙をジロジロと眺めている。中には嘲笑を浮かべている者もいる。リムジンの中で聞いた話だと、期待度に応じて、番号はつけられているらしい。243番は最も低い。だから、舐めた目で見てくる者もいるのだろう。
(せいぜい油断してろ。戦いが始まったら、すぐその面、青ざめるぜ)
などと、草薙もまた不敵な笑みを浮かべていたが、その表情が一変した。
まさかの人物を見かけて、思わずそちらのほうへと駆け寄る。
「おい! どうした⁉ なんで、こんなところにいるんだ⁉」
大声を上げてまっすぐ突っ込む草薙を、周囲の者達は怪訝そうに眺めている。悪目立ちしているが、構わず、草薙は、その相手の前へと立った。
一見、まだ二十代前半に見えるが、年齢的には草薙と同級生だったから、いまは三十五歳か三十六歳くらいのはず。
長い黒髪を低い位置のポニーテールで束ねている、その髪型は、学生時代と変わりない。容姿も、どこか少女だった頃の面影を残している。懐かしさがこみ上げてくるのと同時に、草薙は罪悪感も覚えた。
前蛇百合。かつて高校拳法部で共に切磋琢磨し、そして――
「ああ、草薙君。久しぶり」
百合は、複雑な心境の草薙のことは微塵も気にしていない様子で、軽やかに手をヒラヒラと振ってきた。
「碧井さんと結婚したんだってね。おめでとう」
「いや、それは、その……」
「子供も出来たそうじゃない」
「そこまで知ってるのかよ」
「リムジンの中で、色んな情報を聞かせてもらったからね。私の後に、君も来るって教えてもらったんで、近況を尋ねたんだ」
そう言って、百合は、自身のゼッケンを指さした。真剣勝負の場に不似合いな、瀟洒な深紅のチャイナドレスの上に羽織っているゼッケンには、242番の数字。
俺は、百合よりも期待されてないのかよ、と一瞬不満を感じたが、すぐにまた百合との会話に意識を集中させた。
彼女は邪険に扱ってはいけない。
なぜなら、彼女は元恋人だからである。
高校拳法部の頃から付き合っていた。体の関係もあった。それでいながら、色々な事情があって、高校卒業後にすぐ結婚相手として選んだのは、同じ拳法部にいた碧井白湖だった。
特に理由も告げず、百合を捨てることとなった。百合自身もあっさりした性格であったので、何も聞いてこなかったが、それでも心中は穏やかではなかったことだろう。
しかも、白湖と結婚してからも、しばらくの間、百合との逢瀬を重ねていた。
いわゆる不倫の状態である。
(勘弁してくれよ……なんで、こんな場所で、百合と出会わないといけないんだ)
嫌な汗が出てきた。戦いにおいては怖いもの知らずの草薙ですら、女の情念に対しては恐怖を感じてしまう。
「そうそう、質問に答えていなかったね。どうして私がここにいるのか、という君の問いだが、答えはもちろん、金だよ。私もお金が必要なんだ。だから、招待を受けることにした」
「命懸けの勝負なんて、お前に出来るのかよ」
「君は、私を知らない。卒業後、どんな生活を送ってきたか、何も。セックスも二年ほどで飽きたようだしね。そこから先は放置し続けていただろ?」
ぐうの音も出ない。
形勢不利な草薙を、横から眺めていた一人のファイターが、ニヤニヤ笑みを浮かべながら近寄ってきた。
見るからに軽薄そうな白人男性。ストリートギャング崩れだろうか、胸元をはだけさせた花柄のシャツの上から、「165」のゼッケンをまとっている。
「よう、243番のオッサン。こんな場で女を口説こうなんて、空気の読めねえ奴だな。それくらいにしとけよ」
フランス語だ。
しかし、諸事情から意外と外国語に通じている草薙は、相手の言っていることがすぐに理解出来た。すかさず、流暢なフランス語で返す。
「空気が読めてないのはどっちだ。お前、誰だよ」
165番は目を丸くした。まさか、草薙が同じ言語で返事をしてくるとは思わなかったのだろう。
「おいおい、オッサン。どこで言葉を習った?」
「お前に話す義理はねーよ」
「ま、いっか。んなことより、俺様が誰か、って質問だったな。人呼んで『鉄拳のジャン』とは俺のことだ。パリでストリートギャングをやっている」
「素人が」
「あん?」
「立ち居振る舞いを見りゃわかる。お前、格闘技も武術も経験ないだろ。典型的なストリートファイター。喧嘩自慢だけの三流だろ」
「ハハハ! 俺様のことを三流とか抜かすか! 百戦百勝の俺を捕まえて、三流とか!」
ジャンは両手を広げて大笑いする。耳障りな笑い声に、思わず百合は眉をひそめた。自分と草薙の会話に割りこんできたこと自体、不快に感じている様子だった。
直後、ジャンは、草薙の胸ぐらを掴んだ。一触即発の雰囲気に、周りの連中は興味津々に成り行きを見守っている。
「てめえ、こら。243番。ここでぶち殺してもいいんだぞ」
「まだ試合は始まってないだろ」
「招待状読んでねえのか? 勝負は試合中じゃなきゃいけないとは、どこにも書いてなかったぞ」
「なるほど、つまり、ここでお前をぶちのめしたとしても、問題はないわけだ」
「誰が誰をぶちのめすって? 逆だろうが!」
激怒のあまり、顔を真っ赤にさせたジャンが拳を振り上げた、その瞬間だった。
『皆様、お待たせしましたあ!』
会場の中央に設けられたリング。プロレスかボクシングの試合で使われるような、正方形状の高台の上に、黒いレオタード状のバニースーツを着たバニーガールが、マイクを持って立っている。艶やかで滑らかな黒髪ショートヘアの上には、黒いシルクハット。燕尾ジャケットも羽織っている。
『私、今夜の全試合の司会、進行、ジャッジを担当させていただきます、アリスと申します! ア・リ・ス♡ この名前だけ憶えていただければ結構です!』
あまりにも場違いなバニーガールの登場に、会場内のほとんどの人間が毒気を抜かれる。
ジャンもまた、ポカンとした表情で、草薙の胸ぐらから手を離した。
『さーて、だいぶお待たせしているので、さっそく予選を始めようと思います。みんな、準備はいいですよね?』
いやいやいや! ちょっと待てよ! と誰かが声を上げた。会場内の誰なのかはわからないが、草薙は直感で、いまそんな呑気なことを言っているような奴は生き残れないだろうな、と感じた。
いつ何が起こってもすぐに対応出来る。それだけの気構えがある者でなければ、命懸けの戦いなど勝ち抜けるはずがない。
『ルールはありません! 全243名のうち、227名が戦闘不能となり、脱落するまでは、好きなように暴れていただいて結構です! さあ、始めてください!』
試合開始の宣言は、唐突に訪れた。
この宣言を即時受け取れた者は、243名の中でも、わずか30名ほど――その30名は、バニーガールのアリスが『始めてください!』と言った瞬間から、間髪入れず動き始めた。
一番早く動いたのは、百合だった。
真後ろに間抜けに突っ立っていた黒人男性――おそらくボクサー崩れのワル――の顔面を、バックキックで蹴り抜く。グシャリと肉や骨の潰れる音が鳴り響き、すっかり油断していたその黒人男性は呻きながら、砕かれた顔面を抱えて崩れ落ちる。
次いで、草薙。
目の前に立つジャンのみぞおちへと、ワン・インチ・パンチを叩き込む。中国拳法でいうところの寸剄。内臓を粉々に粉砕する。
「げぶぉっ⁉」
ジャンは、自慢の鉄拳を披露する間もなく、一撃で戦闘不能となった。
この5秒ほどの間で、あっという間に、32名が脱落。
残るは211名。さらに195名の脱落を要する。
そして――会場の片隅で、状況をのんびりと見守っていたエントリーナンバー1番が、静かに動き出した。




