第27話 第六試合決着
レザは包丁を構えたまま、鳳鳴へ向けて突進していく。
一分の無駄もない動き。どの角度から、どの急所に向かって、どのタイミングで斬りつければ一発で殺せるか、そのシミュレーションはとうに出来ている。
首の頸動脈を狙う。もしも相手が腕で防ごうとするのなら、腕の動脈を斬り裂く。どちらにせよ、チェックメイトだ。
ふと見ると、鳳鳴は後ろ手に、両手を背中の側に隠している。
何を企んでいるのか知らないが、小細工を弄そうとも、武器を相手に素手で立ち向かえるものではない。確かに鳳鳴は強いが、それでも、素手で刃に立ち向かうのは無茶というものだ。
「シッ!」
鋭く息を吐き、レザは包丁を振るった。
その途端、鳳鳴は後ろ手に隠していたフライパンを前に出すと、真っ向から包丁を受け止めた。激しい金属音が鳴り響く。
しかも、もう一方の手に、二個目のフライパンを持っている。
(いつの間に⁉)
自分が包丁を抜き取る時に、鳳鳴もまた調理テーブルからフライパンを抜き取ったのだろうか。とんでもなく、油断も隙もない老人だ。
「ほれ! ほれ! ほれ!」
レザの包丁を片方のフライパンで防ぎつつ、もう片方のフライパンで殴りかかってくる。平たい鉄板ごとき、危険度は低いので、レザは腕でガードするが、次第に形勢はいつの間にか逆転して、自分のほうが押され始めた。
ガンッ! と鈍い音が響き渡り、レザの右手にフライパンが叩きつけられ、包丁を落とされた。拾い上げようとするも、すかさず、鳳鳴は足で包丁を蹴り飛ばし、遠くへとやってしまった。
二つのフライパンで左右から間断なく攻めかかられる。さすがに生身の腕で防ぎ続けるのも厳しくなってきた。服の下で、自分の腕が赤く腫れ上がってくるのが、感覚でわかる。
咄嗟に、レザは一気に体勢を沈み込ませ、がら空きになっている鳳鳴の脚へと足払いを喰らわせた。鳳鳴は足を取られ、転倒してしまうが、素早く後方へと受け身を取って、立ち上がり直す。
そこへ、レザは追撃の膝蹴りを叩き込んだ。鳳鳴の腹に、膝が叩き込まれる。
「ぐっ!」
と呻き、鳳鳴は後ろへとよろめいた。
さらにレザは攻めかかろうとしたが、鳳鳴が両手からフライパンを放すのを、彼は見逃さなかった。一番得意とする、生身の拳法による戦いへと戻ったのだ。
ならば、狙いは読める。
突き進んでいくレザの顔面目がけて、掌底が飛んできた。しかし、その動きをレザはもう読み切っていた。上体をわずかに傾けて、相手の打撃を回避する。そして、大きく踏み込みながらの肘打ちを、鳳鳴のみぞおちに叩きつけた。
勢いに乗り、どんどんレザは攻め込んでいく。鳳鳴は防戦一方どころか、矢継ぎ早に繰り出される連撃を前に、手も足も出せず、とうとう大キッチンの壁際まで追い込まれた。
(これで終わりだ!)
レザは最後の一撃のつもりで、鳳鳴の心臓のあたりを狙って、渾身の突きを放つ。
その拳打を、鳳鳴は真正面から両手で挟むようにして、受け止めた。
「なっ⁉」
ギリギリのところで、拳は鳳鳴の胸部に届かなかった。凄まじい剛力で食い止められたまま、押すことも引くことも出来ない。
「カアァッ!」
気合いとともに、鳳鳴は、レザの拳をひねり上げるのと同時に足払いを仕掛け、そのままの勢いで真横へと思いきりぶん投げる。
吹き飛ばされるように投げ飛ばされたレザは、ワインセラーを囲むガラスへと背中から叩きつけられた。耐久性の高いガラスゆえ、人一人の体がぶつけられたくらいでは、そう簡単には割れない。
しかし、ガラスにもたれかかっているレザの腹部へ、鳳鳴の剛拳が叩き込まれた。拳打の勢いごと、レザの体はガラスを突き破り、ワインセラーの中へと転がり込む。割れたガラスのせいで、レザの頬が軽く切れた。
休む暇など与えない。鳳鳴もまたワインセラーの中へ飛び込む。
レザは手近なところにあるワインボトルを引き抜くと、鳳鳴に殴りかかった。そのボトルを、鳳鳴は腕を上げてガードする。音を立ててボトルは割れ、中のワインが鳳鳴の全身に降りかかった。
レザはさらに、二本、三本と、次から次へとワインボトルを抜き出し、鳳鳴の頭部目がけて殴りつけようとする。だが、全て、鳳鳴の剛腕によって防がれた。あたり一面にワインの匂いが広がる。すっかり、鳳鳴は全身酒まみれだ。
「セイアァッ!」
上体を捻転させての、豪快な裏拳が、レザの頭部に叩き込まれた。あまりの拳打の強さに、レザの頭はガラスを突き破り、ワインセラーの外へとはみ出る。
レザは意識が飛びそうになりながらも、かろうじて、気絶するのだけは避けた。
が、さらに追い討ちで、鳳鳴の回し蹴りが胴部に叩きつけられた。ワインセラーのガラスが砕け散り、レザの体は外へと吹っ飛ばされる。
フラフラとレザは立ち上がった。もはや朦朧としており、あと一手で、敗北確定の状況だ。
――ついに決着の時が訪れようとしていた。
鳳鳴はワインセラーから飛び出すと、レザに向かって、最大最強の一撃を放とうとする。瞬時にレザの懐へと潜り込み、体を密着させた状態から、背を向けての体当たり「鉄山靠」を放った。
と同時に、レザの意識が、ほんの一瞬だけ覚醒した。
それは動物的な生存本能。追い込まれた獣のごとく、この窮地を生き延びるために、ただこの刹那の瞬間、相手の秘技・鉄山靠が激突するタイミングだけ、悟りを開いたような状態となった。
凄まじき重量と破壊力を伴って叩きつけられようとする鳳鳴の胴体を、レザは横へとステップを踏んでギリギリで回避すると、真横から、逆に自分が体当たりを仕掛けた。
攻撃直後の隙を突かれたせいで、鳳鳴の体は弾かれるようにして、壁際のガスコンロの上に倒れ込んでしまう。
――鳳鳴の全身は、先ほどのワインセラーでの戦いで、アルコールまみれだ。
レザはガスコンロに飛びつき、スイッチを入れた。
コンロから火が噴き出る。
アルコールが染み込んだ、鳳鳴の服に、ガスコンロの火が着火した。
たちまち、鳳鳴の上半身は、炎で包まれる。すぐに、炎は体全体を包み込んだ。
「ぐおおおおお!」
鳳鳴は絶叫を上げ、火だるまになりながらも、レザに襲いかかろうとしたが、レザは蹴りを放ち、鳳鳴を引き離した。
やがて、焼け焦げた強烈なニオイを漂わせながら、鳳鳴は力尽きて、崩れ落ちた。
「勝者! レザ・プラタマ!」
もはや生死を確認するまでもなかった。アリスは楽しそうに決着の宣言をし、レザのほうへと手を向けた。
勝った。
だけど、レザは哀しげな色を瞳に浮かべている。
(殺してしまった)
もしも鉄山靠を自分が素直に喰らっていたら、誰も死なずに済んでいたのではないか。鳳鳴を殺さなくても良かったのではないか。
そんな後悔の念が、ほんのカケラほど浮かんできたが、すぐにレザはかぶりを振った。
よそう。今は任務に集中すべきだ。
誰に言われたわけでもない、誰かの支援を得られるわけでもない、この孤独なミッションを成功させるため、とにかく生き延びなければいけない。
その決意を胸に、レザは拳を強く握り締めるのであった。




