第26話 激戦
最初の一撃は、レザが当てた。
レザと鳳鳴、お互いが突きを放ったが、一瞬早く相手の顔面に到達したのは、レザの拳だった。
身長はどちらも168cm。腕の長さも同じ。体格もほぼ同等。ゆえに、レザの攻撃が成功したのは、単純にパンチのスピードの違い。
「ぐぬっ⁉」
鳳鳴は呻き、よろめいた。幸い、レザの狙いは逸れて、額に拳が当たったので、大した痛手にはなっていない。
それでも、鳳鳴は、戦略を組み立て直さなければいけなかった。単純な殴り合いとなれば、速度で勝るレザには太刀打ち出来ない。
コオオオ……と呼吸を整え、鳳鳴は腰を落とし、「待ち」の姿勢を取る。
八極拳は接近戦を得意とする武術だ。また、相手のガードを崩す術にも長けている。だが、レザの身体能力は、老いた鳳鳴よりも一段上のようだ。であれば、わざわざ打ち合いに付き合う必要は無い。
最も相手が隙を見せる瞬間、すなわち、攻撃を仕掛けてくる瞬間。
そこに最大威力の拳打を叩き込めばいい。
しかし――レザも同じことを考えていた。彼もまた「待ち」に入る。
先ほど、拳を交わした時、確かにスピードではレザのほうが勝っていた。けれども、レザの拳は「持っていかれた」。身体能力では、若さゆえにレザのほうが勝っているはず。であるにもかかわらず、レザの拳打は、鳳鳴の拳打の勢いに押されてしまい、正確に相手の顔面の急所を狙っていたはずなのに、狙いを逸らされてしまった。だから、最も効果の薄い額に「当てさせられてしまった」。
真っ向から殴り合いとなれば、勢いの強い鳳鳴の拳に押し負けてしまう。ゆえに、相手から仕掛けてくるのを待つ。
ほんの一瞬、訪れた膠着状態。
そして、二人とも気が付く。このままでは何も始まらない。負けない代わりに、勝ちを拾うことも出来ない。
先に歩を進めたのは――鳳鳴だった。
代々継承してきた一子相伝の技と、武人としての誇りに賭けて、こんな小僧ごときに後れを取るわけにはいかない。その気概と気迫を持って、まっすぐに、堂々と、運歩する。
来たな、とレザは落ち着いて、自分の攻撃間合いへと鳳鳴が入ってくるのを待つ。こっちは、特に賭ける誇りも何も無い。どちらが先に仕掛けるか、などということに興味は無い。勝てばいいのだ。勝って生き残ることこそが全てだ。
あと少しで、レザの射程に入ってくる、というところで、突然、信じられないことが起きた。
ほんの少しまばたきをした、その一瞬の間に、鳳鳴は一気に距離を詰めてきたのだ。
「⁉」
レザは咄嗟に、反射的に、カウンターの一撃を放とうとしたが、間に合わない。
「カァッ!」
裂帛の気合いとともに、鳳鳴が、レザの腹部目がけて、剛拳を叩き込んだ。レザは後方へ5メートルほど吹っ飛ばされる。危うく倒れてしまいそうになるところを、横の調理テーブルを掴んで、かろうじて踏ん張った。
「ぐっ……!」
レザは呻き声を上げる。選択を誤ってしまった。あの瞬間、自分が取るべきだった行動は、カウンターパンチを放つことではなく、鳳鳴の拳打に対してガードの体勢を固めることだった。
迂闊にカウンターを放とうとして、神経が拳のほうへと集中してしまっていた。そのため、腹部の防御が緩くなっていた。そこに、高威力の拳打を叩き込まれたのだ。
(しかも、なんだ、この激痛は……⁉)
腹筋の鎧を突き抜けて、内臓にまで浸透してくる痛み。これが話に聞く、中国拳法の気功というやつかと、レザは舌を巻いた。
鳳鳴の勢いは止まらない。今度は拳法的なすり寄るような運歩ではなく、ズンズンと大股で無造作に歩み寄ってくる。今の一撃がどれだけレザにダメージを与えたか、そのことをよくわかっているからこそ、鳳鳴はためらうことなく前へと突き進めるのだ。
ふうう……とレザは息を吐いた。少しでも呼吸を整えて、本来のコンディションへと戻さなければいけない。
またも、鳳鳴はレザのまばたきの瞬間を狙って、距離を詰めてきた。
だが、今度はその手は喰わない。そして、鳳鳴がどこを突いてこようとするのか、もう見抜いている。
レザは脚を踏ん張らせた。そこへ、鳳鳴の刈り足が叩き込まれる。
「ぬっ⁉」
本来ならば、今の刈り足によって、レザの体勢は一気に崩れてしまい、無防備になるはずだった。そこへ、とどめの一撃を放つ。それが鳳鳴の考えていたシナリオだった。
しかし、レザは直感的に、その鳳鳴の攻め手を見抜いていた。だから、耐えることが出来た。
(まずい……!)
鳳鳴は攻め手を中断し、防御の姿勢に入る。
レザのターンが始まった。
声も発さず、ただ鋭い呼気を吐き出しながら、拳と肘による高速の連撃を放つ。怒濤のごときラッシュを、鳳鳴はある程度はさばいたが、次第に何発かに一発は当たるようになってきた。その内に、半数以上の打撃が上半身のあちこちに叩き込まれるようになり、やがて気が付けば完全にさばき切れなくなっていた。
「ッラァ!」
今度はレザの渾身の一撃が、鳳鳴のみぞおちへと叩き込まれた。
鳳鳴の剛拳ほどの威力はないが、それでも重い一撃だ。鳳鳴は数歩よろめき、後退する。拳打の間合いからは脱したものの、いまだ死地。そこはレザの蹴りの間合いである。
「セアァッ!」
鞭のようにしなる、素晴らしく切れ味のある回し蹴りを、レザは撃ち放った。
鳳鳴のこめかみに蹴り足が叩き込まれる。鳳鳴は横倒しになる形で弾かれ、そのまま側頭部を調理テーブルにガンッ! と叩きつけられた。
さらにレザは追撃を仕掛ける。
たった一歩で、瞬時に鳳鳴の懐へと飛び込むと、その胸ぐらを掴んだ。そして、不可避の肘によるとどめの一撃を放とうとする。
が、鳳鳴は、自分の胸ぐらを掴んでいるレザの腕を巧みに振り払うと、隙だらけになったレザの胸部目がけて掌底を放つ。
ズンッッ! と地響きが聞こえるほどの踏み込みも合わさって、華麗に、見事な反撃の一手が、レザの正中心を捉えた。
「ぐぶっ⁉」
またも5mほど吹っ飛ばされたレザは、まともに立てなくなり、片膝を突いて、胸を押さえて苦しそうに息をととのえている。
鳳鳴は追い討ちをせず、一旦、その場にとどまった。彼自身も、先ほどテーブルに頭を強打したばかりである。本当のところは、脳内を揺さぶられて、目まいが酷い状態だ。
「こいつは、すげぇな……」
大キッチンの端のほうで、他の闘士達と一緒に観戦している草薙は、感嘆のため息をついた。
今までの試合の中で一番テクニカルであり、一番パワフルである。そして、どちらが勝つのか、いまだに先が読めない。
「あっ⁉」
観戦していたイザベラが、思わず声を上げた。
レザが、いきなり調理テーブルの引き出しを開けると、中から包丁を取り出したのだ。そこに包丁があると知っていての行動ではないだろう。何か武器になるものを、と探した結果、運良く、そこに包丁があっただけのことかもしれない。
ジャッジも兼ねているアリスは、レザが凶器を手にしても、何も言わない。ルールは、あくまでも相手を戦闘不能に追いやること。特に反則行為なんてない。
レザの包丁の持ち方は、逆手だ。まるでコンバットナイフでも取り扱うかのように、玄人じみた握り方をしている。本気で相手を殺傷するための、容赦ない構え。
それに対して、鳳鳴は不敵にも笑った。
「わしを相手に武器を用いるのは、悪手じゃぞ、小僧」
目の前の刃を見てもなお、動じることなく、淡々と、拳法の構えを取る鳳鳴。
いまだ勝負の行く末は定まらない。




