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ドラゴン・レイジ  作者: 逢巳花堂


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第22話 オンサ・ダ・ファベーラ

 百合の浴びせ蹴りを喰らった後、すぐにその足をはね除けて、イザベラは後転受け身を取りながら素早く起き上がった。


 多少背中は痛むものの、まだ「誤差」の範囲内だ。


 むしろこれくらいのダメージを受けるほうがウォーミングアップになってちょうどいい。


 イザベラは首を左右に倒して、コキコキと首の関節を鳴らした。


 全然、足りない。


 緊張感が足りない。


(この程度、命のやり取りに遙か遠く及ばない)


 人を殺した経験はない。


 だけど、生死を賭けた戦いは何度も味わってきた。



 ※ ※ ※



 ブラジルで最も危険と言われるファベーラ(スラム街)に生まれたイザベラは、物心ついた時から、生き延びるために戦う術を身に着けてきた。


 父はブラジリアン柔術の道場主であった。総合格闘技の試合に出るためではなく、危険な地域で生き延びるための超実戦術を教えるための道場。南米を象徴する猛獣オンサ(ジャガー)の名を付け、オンサ流として営んでいた。


 習いたての頃のイザベラはしょっちゅう泣いていた、と父は笑いながら、夕食時に思い出話をよくしたものだ。


『私、そんな記憶ないんだけど』


 父にからかわれる度に、イザベラは頬をふくらませて、それ以上その話題に付き合うものかと皿の中の料理をかき込む。それは毎日の食卓風景であった。


 父がギャングに撃たれて死ぬまでは。


 ファベーラで生きるための基本は、とにかく「危険な人間と関わらない」ということである。まずギャングがはびこっている。それでなくとも、スラムゆえに一般人が強盗や殺人を起こすことだって日常茶飯事だ。イザベラ達は、仮に門下生がギャングの抗争に巻き込まれたとしても、絶対に介入しないよう気を付けていた。


 それでも、父は撃たれた。


 ただ敵対勢力の要人に似ていた。それだけ、間違えて撃ち殺されてしまったのだ。


『おかしなことを考えるんじゃないよ、イザベラ』


 母がそう諭したのは、父がなくなった日から、イザベラの雰囲気が鬼気迫るものになっていたからである。


 道場はイザベラが跡を継いだ。そして、父の頃よりも、さらに激しく、厳しい練習を門下生達に課した。


『ファベーラで犯罪に巻き込まれて死ぬか、オンサ流道場でしごかれて死ぬか』


 というジョークが街に広まるほど、イザベラは鬼のように実戦訓練ばかりを繰り返していた。


 もうついていけない、と、一人また一人、どんどん道場から人は離れていき、とうとう誰もいなくなってしまった。


 それでも、何かに取り憑かれたかのように、イザベラは一人でも訓練を続けた。


 サンドバッグを殴り過ぎて、破裂して壊れたこともある。しかし、イザベラは自分で修復して、また狂ったように殴りまくり、その日の内にまた壊してしまった。新しい物を買い直す金銭的余裕もなく、仕方なく、シャドーで突き蹴りの訓練をするしかなかった。


 それも限界を迎えた頃、イザベラは街に出た。


 黒く長い髪の毛を、幾重もの三つ編み状に編んだ、その特徴的な髪を夜風になびかせながら、堂々と胸を張って歩きながら、獲物を探す。


 やがて、最初のターゲットを見つけた。


 三人の屈強な男達が、一人の白人の青年を取り囲んで、ナイフを突きつけて脅している。白人の青年はおそらく不用心な旅行者。このあたりがファベーラであることも知らずに迷い込み、強盗どもに襲われたのだろう。


 昔のイザベラだったら、父の教えを守り、関わり合いになろうとしなかった。


 でも、父の死をきっかけに、イザベラは変わっていた。


 正義感ではない。義務感でもない。ただ、合理。道場で出来ることには限度がある。より高みを目指すなら実戦するしかない。


 危険を避けていては、危険に対して身を守ることはできない。


『やめなよ』


 イザベラが声をかけた瞬間、強盗達は一斉に彼女のほうを振り向いた。そして、下卑た笑みを浮かべた。一人の手には財布が握られている。白人の青年から奪い取った物だろう。金を得るという目的を果たした野獣どもは、次に、性欲を満たすことへと目的変更したようだった。


 白人の青年はその隙に逃げ出した。その逃げていく方向は、もっと危険な区画であったが、別にイザベラは止めなかった。生きるも死ぬも、全ては自己責任。それがこの世界の摂理だと、彼女は知っている。まずあの青年は助からないだろうが、知ったことではない。


 それよりも、今は、目の前の強盗三人をどう叩きのめすか、その手順しか頭の中にはなかった。


 一分後、強盗三人は腕や脚を折られて、地面に這いつくばり、呻き声を上げていた。


 久々の実戦ではあったが、十分脅威に対して、己の技が通用すると知ったイザベラは、味を占めた。


 まさに血の味を知った猛獣の如く、毎晩イザベラは夜のファベーラに繰り出しては、次々と犯罪者達を相手に大立ち回りを繰り広げた。


 いつしか彼女の名はファベーラ中に響き渡り、「オンサ・ダ・ファベーラ(ファベーラのジャガー)」と呼ばれるほどの存在となっていた。


 だが、彼女はやり過ぎてしまった。


 ある日、イザベラに叩きのめされたギャングのボスが、面子を潰されたと激怒し、手下どもをイザベラの家へと差し向けた。真っ昼間のことであった。


 不幸なことに、イザベラ本人は買い物のため、外へ出かけていた。もしも彼女が家にいたら、運命は変わっていたかもしれない。


 だが、その時は、誰も武装したギャングを相手に抵抗できる者はいなかった。


 6人いたイザベラの家族は皆殺しにされた。祖父、祖母、母、弟2人、妹1人。みんな罪も無く、温和な日々を過ごしていたというのに、イザベラの勝手な振る舞いの巻き添えを受けて、命を落としてしまった。


 イザベラが帰宅した時には、すでに警察が駆けつけていて、現場検証を行っているところだった。


 家族達の遺骸と対面しても、不思議と、イザベラの胸中には何の感情も訪れなかった。


 悲しみも、後悔も、怒りも、何一つ湧いてこなかった。


 家族から反対されても、常に自らを危地へと置いていたイザベラは――つまるところ――別に父の復讐のために戦っていたわけではなかった。


 イザベラは、自分が善人であると思っていない。


 むしろギャング以上に悪党だと思っている。


 なぜなら、結局のところ、戦い続けていたのは「魂が闘争を求めていたから」。それだけである。


 生まれつき戦闘狂であり、ある意味ではサイコパス。


 戦った相手を殺したことは一度もない。それは優しさからではなく、生かしておけば、復讐心を募らせた相手がより強くなって自分に挑んでくるかもしれない、という期待感から。


 つまりは、イザベラは驚異的なまでに、危険人物なのである。



 ※ ※ ※



 一瞬の間に、過去の回想が、イザベラの脳内を駆け巡った。


 ちょうどそのタイミングで、百合は再び跳躍した。


 回想から戻ってきたイザベラの眼前に、百合の蹴り足が迫ってくる。それでも、イザベラは慌てず、ああ、これは喰らっちゃうな、と呑気に考えていた。


 顔面に飛び蹴りがヒットした。と同時に、イザベラは海老反りになり、蹴りの衝撃を後方へと受け流す。流しつつ、百合の脚を、両腕でしっかりとホールドした。


「なっ⁉」


 予想外だったか、百合は驚きの声を上げた。


 そんな彼女のことを、空中から引きずり落とすように、イザベラは相手の脚をひねりながら床に叩き落とした。


 顔から落下した百合は、鼻をしたたかに打ち、鼻血を噴き出させる。


 イザベラは何の感情も抱かず、淡々と、機械的に、作業的に、グラウンドへと戦いの場を移行し、百合の脚を自分の両手両足でガッチリと押さえ込む。


 そのまま力を込めて――百合の右脚を、一気にへし折った。


 百合の絶叫が、船内にこだました。

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