第20話 壊す
レオニードは、床を蹴り、クルーアッハに向かって真っ向から突撃していく。
それを、両腕を広げてのハグ待ちのような体勢で、クルーアッハはあえて迎え撃とうとする。
「そうだ! それでよい! 挑むがよい! 哀れなる人間よ!」
すっかり調子に乗っているクルーアッハに対し、レオニードは内心「チッ」と舌打ちしたが、ここは挑発に乗ってはいけない、と努めて冷静さを保つようにした。
そして、クルーアッハに衝突する寸前で、レオニードは真横へと跳躍し、スロットマシーンの陰へと姿を隠した。
「ぬ⁉ 面妖な動きをしおって!」
面妖なのはお前の面だよ! と心の中で毒づきながら、レオニードはプレイルーム内に並んで設置されているマシーンや、プレイ台等の障害物を利用して、自分の居場所を悟られないようにしつつ、足音を消しての巧妙な移動術を駆使して、気配までくらませてしまう。
途中で、通過したルーレット台の上から、そこに積まれているコインを10枚ほど拝借した。
今は、クルーアッハの背後にある、巨大な銅像の後ろに隠れている。
(それにしても、この銅像は誰の像だよ、趣味悪ぃな)
鎧を着た髭面の精悍な男が、腕組みして仁王立ちしている像だ。ご丁寧にマントまで着用している。クルーアッハがもっと筋肉質になり、奇妙な化粧をしていなければ、この銅像のような感じになるかもしれない。そういう意味では、似た者同士だ。
「どこだァ! 隠れても無駄だぞ! 我輩の邪眼が貴様の位置を即刻暴いてやるわ!」
(やれるもんならやってみろよ)
心の中だけで応えて、レオニードは先ほどルーレット台より入手したコインを1枚、ポケットから取り出すと、狙いを定めて、指で弾いた。
クルーアッハの真横のスロットマシーンにコインが当たり、カツンと硬質な音を立てる。
「ぬ⁉ そこか!」
音に釣られてクルーアッハが横を向いた、その瞬間、死角からレオニードは回り込み、一気に相手の背後を取ろうとした。
「――と見せかけて、こっちであろうッ!」
いきなり、クルーアッハがギュルンッと180度回転し、こっちのほうを振り向いてきた。あまりの回転の速さに、首だけ捻転したのかと思うほどの、異常な動きだった。
「うおっ⁉」
レオニードは思わず驚いたが、しかし、すでに攻撃間合いに入っている。ためらう必要は全く無い。先に仕掛けたほうの勝ちだ。
「死ねっ! 道化ッ!」
怒号とともに、殴りかかった。
が、そのパンチを、クルーアッハは腕を半円状に動かして、巧みに受け流した。またもパリィだ。攻撃の勢いそのままに、レオニードは前のめりによろけてしまう。
「死ぬのは貴様だ! 愚かな人間よ!」
前傾姿勢のレオニードに向かって、クルーアッハは拳を振り下ろそうとする。
「バカはてめぇだよ! 小僧!」
数多の戦場をくぐり抜けてきたレオニードだ、この程度の展開、予測まではせずとも、いくらでも柔軟に対応出来る。
泥臭いゲリラ戦をいくつも経験し、死線を乗り越え、ここまで生き延びてきた。
こんなふざけた邪神とやらに負けてやる義理は無い。
クルーアッハは、正確に、レオニードのうなじの急所を狙って拳を振り下ろした。だが、その狙いを、このコンマ数秒の時間の中で、すでにレオニードは読んでいた。てめえが殴るんなら、ここだろ? という具合に。
だから、レオニードは――あえて突っ込んだ。
前傾の状態から強引に体を起こして、スキンヘッドの頭頂部から、勢いよく、相手の拳目がけて。
ボギィッ! と骨の砕ける音が響き渡る。
「ぬぐっ⁉ おおっ⁉」
クルーアッハは右拳を押さえて、二歩ほど後退した。手の骨が折れている。もう右手は使い物にならない。ベアナックルで戦うクルーアッハにとって、これはかなりの、文字通りの痛手だ。
通常、ベアナックルの場合、絶対に頭蓋のある頭部を狙ってはいけない。拳が砕けるからだ。そんなことは百も承知であるのに、殴ってしまった。殴らされてしまった。
「ふんッ! この程度の怪我、なんともないわ! 左手のみでも、貴様を屠ってみせよう!」
「俺も随分と舐められたもんだな」
レオニードはボクシングスタイルの構えを取った。あえて、クルーアッハと同じ戦闘スタイルで挑んでやるという、身をもって示す挑発。
「来いよ、邪神さんよォ。お前の得意分野で、相手してやるぜ」
「こォの愚か者がァ! 地獄へ落ちるがよいッ!」
クルーアッハの渾身の左ストレートが放たれる。拳が消えたように見えるほどの豪速。並の闘士であれば、回避することは困難だ。
けれども、レオニードは、その攻撃を読んでいた。今度は野生の勘でも、アドリブでもなく、完璧に組み立てていた作戦。思った以上に単細胞なクルーアッハなら、必ずや己の誇りをかけて、残った左手での一発を放ってくるだろうと思っていた。そうしたら、その通りにパンチを放ってきた。
準備は万端だ。
レオニードの頭上を、超スピードの左ストレートが通過した。チッ、と髪の毛のない頭頂部を、拳がかすめる。紙一重だった。だが、当たらなかった。なぜなら、すでにレオニードは先読みして、タックルのため、体勢を低くしていたからだ。
クルーアッハが拳を空振りさせた、そのタイミングに合わせて、相手の腰にタックルを叩き込んだ。肩から突っ込み、両脚を掴むや否や、あっという間にレオニードは相手を床にひっくり返した。
今度もマウントポジション――は取らなかった。
残された左腕へと飛びつき、腕ひしぎ逆十字固めを極める。そこから、即、腕の骨をへし折った。これは競技でも興行でもない。命のやり取りだ。優しさも躊躇も見栄えも要らない。
「ぐおおおおおお!」
雄叫びのような絶叫を上げるクルーアッハ。
このまま折れた腕を極め続けていてもしょうがないので、とりあえず一旦レオニードは立ち上がった。
……驚いたことに、クルーアッハも立ち上がった。
彼はもう、唯一の武器である両腕を使い物にならなくされている。それでも、なお、挑もうというのだ。
「我輩は不滅!」
クルーアッハは叫んだ。プレイルーム全体を震わせるほどの大音声だ。
「貴様ごときが、我が魂を喰らえると思うなッ!」
「お前の魂なんて不味そうだ。誰が食うかよ」
レオニードは満面に笑みを浮かべた。慢心の笑みではない。勝利を確信した笑みだった。
三分後。
床には、血だまりが出来ており、嬲り殺しにされたクルーアッハの死体が転がっていた。
「悪ぃな。お前はおもしれー奴だったけど、仕事柄、生かして返す選択肢は無いんでな」
その言葉は、冥界へと旅立った邪神の耳には、もう届きようがなかった。




