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ドラゴン・レイジ  作者: 逢巳花堂


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第10話 戦術

 本来なら、アレクセイの投げ技を食らった時点で、もう戦闘不能になってもおかしくない状態であった。


 が、ルカスは、床面に叩きつけられた姿勢のまま、アレクセイの両手を外すと、後方へ転がって間合いを取った。


「なに⁉」


 アレクセイは目を見開いた。受け身も取れないくらいの投げ方で叩きつけたはずなのに、なぜルカスが無事でいるのか、わからない。


 ふと気が付くと、両手に力が入らない。痺れたような感覚が走っており、しっかりと手を握り締めることが出来ず、何事かと首を傾げた。


 そう言えば、ルカスは二、三発、自分の顔を殴った後、今度はアレクセイの両手のある部分に向かって拳を叩きつけていた。


 それは、親指の付け根のあたり。


 無駄な抵抗、と思っていたが、そうではないようだ。現に、アレクセイはもう一度掴みかかるのが難しいほどの状態になっている。


「あっぶね……!」


 ルカスは額の冷や汗を拭った。


 咄嗟に攻撃を仕掛けたのは、アレクセイの親指と人差し指の付け根が交わるところ。そこに、中国拳法でいうところの経脈秘孔がある。相手の握力を一時的に奪えるポイントだ。それにより、なんとか投げ技のダメージを軽減し、さらにホールドを解くことが出来た。


 たまたまである。二度も通用する手ではない。今度組み付かれたら、終わりだ。


 とにかく、アレクセイが掴みかかれない、今この瞬間に勝負を決めなければならない。


 フンッ、とアレクセイは鼻を鳴らした。


「小ざかしい真似をしおって。この程度では俺は止まらんぞ」


 ドンッ! ドンッ! とゴリラのように胸板を叩くドラミングで、ルカスを威嚇してくる。その動作に、武的要素は何一つない。ないのだが、プロレスとしては意味がある。一見、無駄なように思える所作は、プロレスラーとしての矜持を表したもの。


 突然、アレクセイは人差し指を天井に向けて突き出し、ウオオオオ! と吼えた。


 観戦している何人かの玄人は失笑した。だが、笑っていない者もいる。例えば草薙は、この命懸けの決闘において、それでも己のスタイルを崩さないアレクセイに、恐怖すら感じる。


 この勝負、いまだアレクセイが優勢だ。


「フンッッッ!」


 アレクセイは、その巨体に似合わないスピードで一気にルカスの正面へ迫ると、超重量級の腕を振るって、ラリアットを放ってきた。


 ルカスは付き合わずに、後方へと下がって逃げた。


「カモォン!」

「行かねーってば」


 わざわざ英語で挑発してくるアレクセイに対して、ルカスは苦笑しながら、首を横に振る。だが、逃げてばかりでは勝機は訪れない。


 戦っている内に、互いの位置は入れ替わっており、ルカスの背後にステージがある。この状況は非常にまずい。さっき見た限りでは、ステージには何のギミックもアイテムもない。ここを主戦場にしては、勝ち目が無い。


「しょうがないな……やるか」


 真っ向から組み合う気は無い。でも、近付かなければ、攻撃を当てることは出来ない。当たり前の話である。


 ルカスはそれまでの逃げ腰が嘘のように、突然、猛スピードで走り出した。アレクセイの巨体へ向かって、無謀にもまっすぐ突っ込んでいく。


「ハッハァ! 来い! 来い! 来い!」


 嬉しそうに笑みを浮かべて、アレクセイは手招きしている。その懐へと、ルカスは潜りこんだ――かのように見えた直後、いきなり走る方向が直角に折れ曲がった。


 フロアの中央にある階段へ向けて、ルカスは進路を変えたのだ。


「待て! こら!」


 アレクセイは愚直にも、ルカスのことを追って、一緒になって階段へと向かう。


 すでに五段ほど上へ駆け上がっていたルカスは、振り返りざまに、後ろ回し蹴りを放った。身長差を段差でカバーしての一撃。その蹴り足は、見事にアレクセイのこめかみにヒットした。


 しかし、プロレスラーの最大の強みは、その打たれ強さにある。


「……で?」


 頭にルカスの踵がめりこんだ状態で、アレクセイはニヤリと笑った。


 たちまち、ルカスの体は、再び宙に浮いた。アレクセイがルカスの蹴り足をそのまま掴み取り、頭上をスイングするようにして投げ飛ばしたのだ。


 ルカスは、床に後頭部を強打した。さすがにこれは強烈なダメージを受けただろう、と誰もが思った、その瞬間、意外なことにルカスは身をよじらせて、アレクセイの手を弾くようにほどいた。


「な――んだぁ⁉」


 アレクセイは絶句する。頭上で弧を描くようにして振り回し、思いきり床に叩きつけたはずのルカスが、元気でいることに、少なからず動揺している。自分のパワーには絶対の自信をもっているアレクセイだけに、今の状況が信じられないのだ。


 ルカスが後方へと転がり受け身を取って、間合いを離したことで、ダメージが緩和されたからくりが判明した。


 革靴だ。


 床に落ちていた、ルカスが脱ぎ捨てた革靴。それがクッションとなり、ルカスの致命傷を防いでくれたのである。


「運がいいわね、あいつ」


 ステージの上から観戦している百合が呟くと、その隣に立つ草薙がかぶりを振った。


「運じゃねえよ。戦術だ」

「え?」

「あいつ、《《わざとあのあたりに革靴を脱ぎ捨てたんだ》》。階段を生かして戦った際、万が一相手にホールドされて、ぶん投げられた時のことを考えて」

「嘘でしょ⁉ そんなこと、どうやって予測したって言うの⁉」

「予測、じゃない。言ったろ。ありゃあ、戦術だ。すでに仕組んでやがった」


 脳味噌も筋肉で出来ていそうなアレクセイですら、そのことに気が付いたようだ。怒りで顔を真っ赤にして、ゴツ! ゴツ! と両の拳を叩き合わせながら、ルカスへと迫っていく。


「貴様ァ! 男と男の勝負で、卑怯な真似するんじゃねえ!」


 当然、ロシア語でアレクセイは怒鳴っているので、ルカスは聞き取れていない。でも、言わんとしていることは伝わっている。


「そう怒りなさんなって。俺が生きる場所は、四角いリングじゃなくて――戦場なんだぜ」


 ルカスは、姿勢を低くして、ジリジリと後退しつつ、床に落ちている腕時計を拾うと、手に巻き付けた。さながら、メリケンサックのような装着の仕方だ。


 さらに後ろへと下がっていくルカスに対して、アレクセイは何か罠があると感じつつも、怯まず、ズンズンと前へ突き進んでいく。


「お前が! 何を仕掛けようとも! 全部粉砕してやる! 全部だ!」


 そう吼え猛った、まさにその瞬間――


 アレクセイの視界が、突如として真っ暗になった。


 試合開始の前に脱ぎ捨てたスーツのジャケットを、ルカスは拾い上げるやいなや、アレクセイの顔目がけて放り投げたのだ。


「⁉ 小癪な!」


 アレクセイはジャケットを掴み、顔から引き剥がす。


 その一瞬の隙を突いて、ルカスはアレクセイの懐へと潜り込み、脇腹と胸の境目のあたり、筋肉や骨を避けて、的確にダメージを与えられる急所へと拳を叩き込んだ。もちろん、腕時計を装着している側の右拳だ。


「うぐっ⁉」


 どれだけ肉体を筋肉の壁で覆っても、人体には隠しきれない急所の位置がいくつもある。その内の一つを、ルカスは突いたのだ。


 アレクセイの体勢が、ほんの少し、崩れた。


 その「ほんの少し」があれば、ルカスには十分だった。


「さあ、ゴリアテ退治といきますか」


 床から拾い上げたのは、スーツのジャケットだけではない。


 白いワイシャツも拾っていた。


 そして、そのワイシャツで腕時計を包み込んで、スラングショット、あるいはブラックジャックと呼ばれるような類の武器を簡易的に作り上げる。ルカスは、頭上で二回転ほど回した後、腕時計の部分でアレクセイの頭部を思いきり殴りつけた。


 さすがの石頭のアレクセイでも、腕時計ほどの硬度があるもので頭部を強打されては、無事ではいられない。呻き声を上げ、片膝をついてしまう。


 体勢が低くなったところを見計らって、ルカスは仕上げに入った。


 アレクセイの背後へと素早く回り込むと、ワイシャツをロープ状に細くして、アレクセイの太い首へと巻き付ける。そして、思いきり両腕をクロスして、ワイシャツでもって喉笛を締め上げ始めたのだ。


「かっ⁉ はっ!」


 さっきまで怒りで真っ赤になっていたアレクセイの顔は、いつしか、呼吸困難で、苦しみのあまり赤くなり始めた。


 やがて、走馬灯のように、これまでの人生の記憶が、めまぐるしく頭の中を駆け巡り出した。

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