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安楽椅子探偵はスパチャで謎を解く ~住所特定班と挑む心霊事件簿~  作者: 伊達ジン


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第52話 バーチャルアイドルの受難

 春の穏やかな陽光が、私のマンションの最上階リビングに降り注いでいる。

 アイランドキッチンには、ニンニクの香ばしい匂いと、ほのかな海の香りが立ち込めていた。


 本日のランチは『春キャベツとホタルイカのペペロンチーノ』だ。

 たっぷりのエキストラバージンオリーブオイルでニンニクと鷹の爪の香りをじっくりと引き出し、そこへ下処理をした富山県産のホタルイカを投入する。ホタルイカの肝の旨味がオイルに溶け出し、乳化のベースができたところで、ざく切りにした瑞々しい春キャベツを加え、サッと火を通す。

 アルデンテに茹で上がったパスタをフライパンに移し、少量の茹で汁を加えて全体を激しく煽り、とろりとしたソース状に仕上げる。最後にイタリア産のカラスミパウダーを振りかければ、春の息吹と濃厚な海の旨味が凝縮された極上の一皿の完成だ。


 私がトングでパスタを皿に高く盛り付けていると、背後でフローリングを引っ掻くような「シャカシャカシャカッ!」という激しい足音が響いた。


「ワフッ! ワフワフッ!!」


 生後半年を過ぎ、キツネ顔の凛々しい若犬へと成長した柴犬のチャイが、まるで弾丸のような速度でリビングを駆け回っている。

 いわゆる「ズーミーズ」だ。

 チャイは真新しいロープのおもちゃを口に咥え、ソファに飛び乗っては床のラグにダイブし、私の足元で急ブレーキをかけては「プレイボウ」を取る。

 そして私が視線を向けると、彼は「捕まえてみて!」と言わんばかりに再び猛ダッシュで部屋の端から端へと走り抜けていった。


「……元気なのは良いことだが、少し落ち着け。埃が舞う」


 私が呆気にとられながらパスタの皿をダイニングテーブルに運ぶと、ソファでクッションを抱きかかえていた純が大きな口を開けて笑った。


「あはは! チャイちゃん、壁にぶつかってるわよ! 楽しそうねぇ」


「店長、すっごいいい匂いがします! 私、大盛りでお願いします!」


 純の隣で動画の編集作業をしていた月子が、ノートPCを閉じて即座にフォークを握りしめる。タナトスとの戦いという未曾有の事態が終息して以来、彼女たちは私が料理を作り始める時間を見計らって、最初からこの部屋に居座るようになっていた。もはやここが誰の家なのか分からない。


「冷める前に食べろ。ホタルイカの肝が固くなる」


 私が三人分のパスタを並べると、二人は食い気味に手を合わせた。


「いただきます!」


 月子が即座にフォークで麺を巻き取り、大きな口を開ける。


「んんっ! ホタルイカのワタのコクがすごいです! 春キャベツの甘みとカラスミの塩気が絶妙なバランスで……これ、毎日食べたいです!」


「ニンニク効いてて美味しいわね。これなら午後の配信の準備も頑張れそう」


 純もフォークを進めながら、ふと思いついたように自身のスマートフォンを取り出した。


「そういえばQちゃん。昨日、ちょっと厄介な相談のDMが来たんだけど、見てもらえないかしら」


「……断る」


 私は即座に視線を逸らし、パスタを口に運んだ。


「他人の厄介事などご免だ。ストーカーや嫌がらせの類なら、警察に行くかセシリアに処理させろ」


「そんなこと言わずに! 相手は『姫宮るる』っていう、登録者数200万人の超大手Vtuberなのよ! ここで恩を売っておけば、今後のコラボとかでウチのチャンネルにも絶大なメリットがあるじゃない!」


「君のチャンネルが潤っても、僕の引きこもり生活の質がこれ以上向上するわけではない。労力の無駄だ」


「じゃあ……今回の件で私に入ったスパチャの収益、8割持ってっていいから! ねっ、お願い!」


 純が両手を合わせて必死に拝み倒してくる。


 ……8割。悪くない数字だ。最高級のトリュフや熟成肉の仕入れに回せば、数ヶ月は優雅なディナーが約束される。


「……チッ。8割だぞ。二言はないな」


 私が渋々頷くと、純はパッと顔を輝かせ、スマホの画面を私に見せた。

 そこには、ピンク色のツインテールをした可愛らしいアニメ調の2Dアバターと、その隣に実写の「手元」だけを映した動画アーカイブが表示されていた。


「彼女、基本は顔出しなしのアバター配信なんだけど、昨日の夜は自分の部屋で『新グッズの開封枠』をやったの。手元だけを実写カメラで映してね」


「それがどうした」


「……この動画の、45分あたりを見て」


 純がシークバーを進める。

 姫宮るるが、ファンから送られてきたという透明なアクリルケースに入ったフィギュアをカメラの前に持ち上げた。

 その瞬間。


『……え?』


 動画の中の姫宮るるが、声を震わせた。

 透明なアクリルケースの表面に、彼女の手元だけでなく、その後ろ――部屋の背後に立っている「黒いパーカーを着た男のシルエット」が、ハッキリと映り込んでいたのだ。


『な、何これ……誰もいないのに……キャアアアッ!』


 悲鳴と共に、配信は強制的に遮断されていた。


「……彼女は完全に一人暮らしよ。タワマンの高層階で、オートロックも完璧。部屋には誰もいなかったのに、配信の画面にだけ男の影が映ってたの。警察にも通報したらしいんだけど、『映像のノイズか加工の可能性があるから、まずは運営会社に相談を』って言われて、本格的な捜査はしてくれないみたいで」


 純が不安そうに私を見る。


「だから、私のところに泣きついてきたのよ」


 私は無言でパスタを咀嚼し、オリーブオイルの香りを鼻腔に抜けさせた。


「……くだらない。よくできた合成だ」


「合成? でも、生配信中ですよ?」


 月子が首を傾げる。


「生配信だろうが、PC内で処理されている映像データなら後からいくらでもレイヤーを重ねられる」


 私は純のスマホを奪い取り、問題のシーンをコマ送りで再生しながら画面を拡大した。


「このアクリルケースに映る男の影のエッジを見てみろ。手前にあるフィギュアや彼女の指先の輪郭に比べて、不自然にシャープすぎる。被写界深度が合っていない。それに、部屋の主照明の光源に対して、影の落ちる角度が完全にズレている。リアルな光学現象じゃない」


「えっと……つまり?」


 純が聞き返す。


「つまり、誰かが彼女のPCに侵入して配信ソフトのレイヤー構造をハッキングし、手元カメラの映像の上に、男の『動画素材』を半透明にして重ね合わせたんだ。自分が背後にいるかのような幻覚を見せて、怖がらせて楽しんでいたんだろう。悪趣味極まりない」


「ええっ!? じゃあ、部屋には本当に誰もいなかったの!?」


「ああ。物理的な侵入者はいなかった。……だが、PCの中に侵入されている時点で、彼女のプライバシーは完全に丸裸にされている状態だ」


「でも店長、どうやってそんなハッキングを? 彼女だって大手の配信者なら、セキュリティソフトくらい入れてるはずですよね」


「そこだ」


 私は立ち上がり、自身のハイスペックPCの前に座った。


「素人のストーカーが、外部から堅牢なファイアウォールを突破するのは難しい。……ならば、内側から鍵を開けたと考えるのが妥当だ」


「内側から?」


「怪しいフリーソフトをインストールしたか、フィッシングメールのリンクを踏んだか……あるいは、物理的な『バックドア』となるデバイスを自ら繋いでしまったかだ。純、彼女に連絡して、直近で新しい機材をPCに接続していないか聞け」


「わかった、LINEしてみる」


 純が素早く文字を打ち込む。大手の配信者同士、すでに個別の連絡先は交換しているらしい。

 数分後、純のスマホが震えた。


「……返事来た。『ファンからのプレゼントで貰った、可愛い猫耳のUSBハブを先週から使ってる』って!」


「決まりだな。そのUSBハブの内部基盤に、マルウェアが仕込まれていたんだろう。ファンからの贈り物という善意を逆手に取った、古典的だが悪辣な手口だ」


「最低……! 女の子の善意を踏みにじるなんて!」


 純が怒りで拳を握る。


「純、彼女に言って、一時的にPCの遠隔操作権限を僕に渡させろ。そのマルウェアの通信経路を逆に辿ってやる」


 純を通じた数回のやり取りの後、私のモニターに姫宮るるのPCのコマンドプロンプトが表示された。

 私は目にも留まらぬ速さでタイピングを開始し、彼女のPCのバックグラウンドで動いている不審なプロセスを洗い出していく。


「……見つけたぞ。システムファイルに偽装して、外部のサーバーと微弱な通信を繰り返している。多段プロキシを使っているが、設定が甘い」


 私は通信ログのIPアドレスの偽装を一枚ずつ剥がしていく。

 数回のルーティングを経由して、私はあっさりと相手の端末の真のIPアドレスを特定した。


「……捕まえた。お返しに、奴のPCのWebカメラを強制起動してやる」


 私がコマンドを実行すると、モニターの片隅に新たなウィンドウが開いた。

 そこに映し出されたのは、薄暗い部屋でニヤニヤと笑いながらキーボードを叩いている、油ぎった髪の男の顔だった。部屋の壁には姫宮るるのポスターが所狭しと貼られ、後ろの棚には無数のフィギュアが並んでいる。


「純、裏回線で特定班を呼べ」


 純が手早く限定配信の枠を立ち上げると、待機していた数万人のリスナーが瞬時に集まってきた。私は男のWebカメラの映像を、裏回線の配信画面に直接流した。


『うわ、きっしょ』

『こいつが犯人?』

『部屋きたなっ』


「特定班。この薄汚い部屋の背景から、奴の住所を特定しろ」


 私の指示と共に、リスナーたちの怒りの集合知が爆発する。

 カメラのわずかな画角から、窓の外に見える景色、ポスターの反射、部屋のコンセントの形状などを次々と解析していく。


『窓の外に見える鉄塔、〇〇電波塔じゃね?』

『てか壁に貼ってあるピザ屋のチラシ、〇〇チェーンだろ。あそこの配達エリア限られてるぞ』

『窓の格子の形、あのへんの築古アパートに多いやつ』

『画質荒くて草、でもGoogleアースで探すわ』

『……見つけたかも。〇〇市北区〇〇町のコーポ〇〇だ。2階の角部屋で、外の非常階段の位置と窓の形が完全に一致する』


 わずか数分で、男の居場所は丸裸にされた。


「……ゲームセットだ。月子、この住所の所轄署に証拠データ付きで通報しろ。サイバー犯罪対策課へ直接繋げ」


「了解ッス!」


 さらに、私はストーカーのPCのスピーカーのボリュームを最大にし、マイクをオンにした。


「純。出番だ」


「……ええ。分かってるわ」


 純はマイクに近づき、画面の向こうで間抜けな顔をして座っている男に向かって、ドスの効いた低い声で言い放った。


「あんた、女の子を怖がらせて楽しいわけ? ……その薄汚い部屋で、警察が来るのを震えて待ってなさい」


 男がビクッと肩を跳ね上げ、カメラに向かって「えっ!?」と間抜けな声を出す。

 直後、男の部屋のドアが激しく叩かれる音が、マイク越しに響いた。

 男の顔が絶望に染まり、映像はそこで強制的に切断された。


★★★★★★★★★★★


 数日後。

 姫宮るるのストーカーは、不正指令電磁的記録供用などの容疑で無事に逮捕された。

 彼女から純のチャンネルに多額のスーパーチャットが振り込まれ、さらにコラボ配信の約束まで取り付けたらしい。純は「これでうちのチャンネルもV界隈に進出よ!」とホクホク顔だ。


「店長、あのホタルイカのパスタ、最高でした! 今度は炊き込みご飯で食べたいです!」


 月子がキッチンカウンターに肘をつきながら、満面の笑みで要求してくる。


「……勝手にメニューを決めるな。僕はその日のインスピレーションに従って調理するだけだ」


 私がコーヒーを淹れ直していると、足元で「ワフワフッ!」と騒がしい声がした。

 見下ろすと、チャイがロープのおもちゃをくわえたまま、私の足に激しく体当たりをしてきていた。どうやら、彼の「遊びのスイッチ」が再び入ってしまったらしい。

 チャイはロープをブルンブルンと左右に振り回し、私に向かって前足をダンッ!と踏み鳴らして挑発してくる。


「ほら店長、チャイちゃんが遊んでほしがってますよ」


 純がソファから笑いながら言う。


「……全く、騒がしいやつらだ」


 私は小さく息を吐き、チャイのくわえているロープの端を軽くつまんだ。


 「ウゥゥーッ!」と嬉しそうな唸り声を上げながら、チャイは全身の力でロープを引っ張り返してくる。


「……引っ張る力が強くなったな。そろそろ散歩の距離を伸ばすか」


 私の独り言に、チャイはロープをくわえたまま尻尾をブンブンと振った。

 モニター越しの悪意がどれほど深くとも、私の周囲には、この他愛のない騒がしさが満ちている。私はコーヒーの香りを楽しみながら、仔犬とのささやかな綱引きに少しだけ本気を出した。

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