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安楽椅子探偵はスパチャで謎を解く ~住所特定班と挑む心霊事件簿~  作者: 伊達ジン


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第47話 ラスト・ショット

 東京タワーの地下、特別高圧変電施設跡。

 カチャリ、と冷たい金属音が響き、深美が男の背後に回って手錠をかけようとした、まさにその一瞬だった。

 

 「神の眼」の支配者と名乗った男――金属プレートで顔の半分を覆った男の身体が、不自然にビクッと跳ねた。


 恐怖に屈し、抵抗の意志を失ったはずの男の瞳に、再びドロドロとした狂気の火が灯ったのだ。


『……ハハッ。ネットの嘲笑だと?』


 男の喉の奥から、乾いた笑い声が漏れた。

 彼は手錠をかけられる寸前の右手を強引に振りほどき、車椅子の座面の下へと腕を突っ込んだ。

 

「動くな!!」


 深美が怒号を上げ、即座に男の腕を極めようと飛び込む。

 しかし、男の動きは異常なアドレナリンによって加速していた。座面の下から引きずり出された彼の手には、黒い起爆スイッチが握られていた。


『世界が終わるんだ。他人の評価など、どうでもいい……っ! 僕の「神の眼」と共に、このタワーの電力を暴走させて、お前らも一緒に炭にしてやる!!』


「……っ!」


 ヘリポートでノートPCの画面を睨みつけていた私は、インカムから聞こえた男の狂気を含んだ叫びに、血の気が引くのを感じた。

 奴は自分の過去が暴露される社会的な死よりも、破滅的な自己顕示欲の完遂を――文字通りの自爆を選んだのだ。


「深美! 奴を止めろ!」


 私の叫びがインカムに響く。

 だが、男の親指は、すでに起爆スイッチの赤いボタンを押し込もうとしていた。

 深美の手が届くよりも、PMCのオペレーターたちの銃弾が男を貫くよりも、スイッチが押される方が早い。

 数秒後には、東京タワーの地下施設が業火に包まれる。


 絶体絶命。

 その死の淵で動いたのは、私たちのチームの「目」だった。


「お取り込み中失礼しまァァァす!!」


 月子の声が、地下の静寂を引き裂いた。

 彼女はジンバルカメラを握りしめたまま、男の正面へと滑り込んだ。そして、カメラのレンズの横に装着されていた、業務用の超高輝度LEDストロボを男の顔面に向けた。


「笑顔くださーいッ!!」


 パシッ、パシャパシャパシャッ!!


 暗い地下室に、太陽が爆発したかのような暴力的な閃光が連続して炸裂した。

 数万ルーメンに達する強烈な光の矢が、金属プレートの隙間から男の網膜を直接焼き焦がす。


『ぐあぁぁぁぁッ!?』


 完全な視界の喪失。

 男は悲鳴を上げ、反射的にスイッチを持った手で顔を覆おうとした。

 そのコンマ数秒の遅れを、氷の女刑事が見逃すはずがなかった。


「させんッ!!」


 深美が地を蹴った。

 彼女は男の懐に飛び込み、起爆スイッチを握る手首を掴み取ると、躊躇なく逆方向へと捻り上げた。

 ゴキッ、と骨が軋む嫌な音が響く。


『あぎゃああっ!』


 男の手から起爆スイッチがポロリとこぼれ落ちる。

 深美はそのまま男を車椅子から引きずり下ろし、冷たいコンクリートの床に叩きつけた。そして、抵抗する隙も与えずに両手を背後に回し、今度こそ確実に手錠の歯を噛み合わせた。


「警視庁だ。……テロ未遂、および公務執行妨害で現行犯逮捕する。大人しくしろ」


 深美が冷酷に言い放つ。男は床に顔を押し付けられたまま意味不明なうわ言を繰り返し、やがて気絶したようにぐったりと動かなくなった。


 落ちた起爆スイッチを、PMCの隊員が慎重に回収し、バッテリーを抜いて無力化する。


『……クリア。ターゲットの完全制圧を確認した』


 インカムから、深美の少し息の上がった、しかし確かな勝利の報告が届いた。

 私はヘリポートの冷たい夜風の中で、肺の底から深く、長く息を吐き出した。


「……よくやった、月子。君のフラッシュがなければ、今頃僕の耳には爆発音が届いていたはずだ」


『へへっ。どんな暗闇でも、決定的な瞬間を逃さないのがカメラマンの意地ですから!』


 月子の明るい声が返ってくる。


『もう、本当に寿命が縮むかと思ったわよ……! ツッキー、あんた最高!』


 純が腰を抜かしたように座り込みながら、月子に抱きつく音が聞こえる。


「深美。そいつの身柄を確保したら、速やかに現場を離脱しろ」


『ええ。私の手配した特殊清掃チームに任せなさい』


 セシリアが、別の回線から涼しい声で引き継いだ。


 私はノートPCの天板をパタンと閉じ、重い頭を上げて、東京タワーの赤と白のライトアップを見上げた。

 吹き抜ける風には都市特有の排気ガスの匂いが混じっていたが、今の私には、それすらも悪くないと感じられた。


★★★★★★★★★★★


 翌日の午後2時。

 私の安息の地であるマンションの最上階。

 キッチンには、凛とした静けさと、本枯節の深く上品な香りが漂っていた。


 私は真新しい木製のこね鉢を前に、真剣な眼差しで白い粉と向き合っていた。

 本日の遅すぎる朝食――あるいは早すぎる夕食は、手打ちの『二八蕎麦』である。

 北海道産の石臼挽きそば粉と、選び抜かれた中力粉を8対2の割合でブレンドする。

 そこに、厳密に計量した冷水を3回に分けて回し入れる。指先を熊手のように立て、粉全体に均等に水分を行き渡らせる水回しの工程だ。少しでも水が多ければ生地はベタつき、少なければパサついて切れてしまう。湿気と温度を計算した、コンマ数ミリリットルの精度が求められる作業だ。

 粉がポロポロとしたそぼろ状になったところで、一気に力を込めて一つの塊へとこね上げていく。手のひらの付け根を使い、生地の空気を押し出すように菊練りを行う。滑らかで艶やかな生地が仕上がった。


 打ち粉を振ったのし板に生地を移し、麺棒を使って均等な厚さに延ばしていく。

 丸から四角へ、そして薄く、薄く。透き通るような均一な厚さに延ばされた生地を折り畳み、重みのある専用の蕎麦切り包丁で、一定のリズムを保ちながらトントン、トントンと細く切り揃えていく。

 切り口の鋭い、美しい麺の束が出来上がる。


 その隣のコンロでは、巨大な鍋にたっぷりの湯がグラグラと沸き立っている。

 私は切り立ての蕎麦をパラリと湯の中に放り込んだ。

 茹で時間はわずか数十秒。蕎麦が湯の表面にふわりと浮き上がった瞬間、網ですくい上げ、あらかじめ用意しておいた大量の氷水に一気に投入する。

 急激な温度変化により、蕎麦の表面がキュッと締まり、コシが生まれる。両手で優しく揉み洗いをして表面のぬめりを取り、水気をしっかりと切ってから、竹製のざるにふんわりと盛り付けた。


 つゆは、本枯節と羅臼昆布で引いた一番出汁に、醤油とみりん、ザラメを数ヶ月間寝かせてカドを取った特製のかえしを合わせたものだ。

 薬味には、おろしたての辛味大根、本わさび、そして極細に刻んだ白ネギを用意した。


「さあ、出来立てだ。伸びる前に食え」


 私がダイニングテーブルに蕎麦を並べたタイミングで、ゲストルームの扉が開いた。

 シャワーを浴びてさっぱりとした様子の純と、髪を高い位置でポニーテールに結び直した月子が顔を出す。


「あー、お腹空いた。こんなにスッキリ目覚めたの、いつ以来かしら」


 純が、大きく伸びをしながら椅子に座る。昨日の過酷な潜入と極度の緊張による疲労は、底なしの眠りによっていくらか回復したようだ。


「最高のお湯と最高の睡眠でしたね! あっ、店長、お蕎麦打ってくれたんですか!」


 月子も目を輝かせながら、箸を手に取る。


 ふと足元を見ると、チャイは陽の当たるラグの上で、へそ天の姿勢で完全に弛緩して眠っていた。部屋の空気が以前の穏やかなものに戻ったことを、この小さな生き物は本能で察知しているのだろう。


「いただきます」


 純が蕎麦を箸で少量つまみ、つゆに半分だけつけて、ズズッと音を立てて啜った。


「……んんっ!」


 彼女の目がパッと見開かれる。


「美味しい……! なにこれ、蕎麦の香りがフワッて鼻に抜ける! 体の中に溜まってた毒が、全部洗われていくみたい」


「ズズッ、ズズズッ! コシがすごいです! 辛味大根がピリッと効いてて、お店で食べるやつより絶対美味しいですよ!」


 月子が一瞬で半分ほど平らげながら絶賛する。


「味わって食え。蕎麦は生き物だ。空気と触れた瞬間から香りが飛び始める」


 私も一口啜った。

 冷たい蕎麦が喉を滑り落ち、鰹出汁の深い旨味と醤油の芳醇なコクが胃袋に染み渡っていく。

 長かったサイバー戦、都市を人質に取られたプレッシャー、そして肉体的な疲労。その全てが、この一杯の蕎麦によって浄化されていくのを感じる。


「……ニュース、見たわよ」


 蕎麦を飲み込んだ純が、少しだけ真剣なトーンで言った。


「あの『神の眼』のサイト、完全にアクセスできなくなってたわ。あの車椅子の男も、名前は伏せられてたけど『広域サイバーテロの容疑で逮捕』って速報が出てた」


「ああ。サーバー群は物理的にも論理的にも完全に破壊した。警察のネットワークも復旧し、深美たちが残党の処理と証拠固めを進めている頃だ。今頃あの自称神様は、取調室で深美に怒鳴り散らされているだろうな」


 私はわさびを少しだけつゆに溶かしながら答えた。


「でしょうね。……でも、私たち、本当にやり遂げたのよね。あの気味の悪いサイトを潰して、誰も見つけられなかった黒幕を引きずり出して」


 純の言葉には、ただの安堵だけでなく、確かな達成感と誇りが滲んでいた。


「僕たちじゃない。数万人の特定班の力だ」


「そうね。特定班のみんなには、次の配信で死ぬほどお礼言わなきゃ。……でも」


 純は箸を置き、私を真っ直ぐに見つめた。


「あんたがヘリに乗って、上空からあの『道』を開いてくれなかったら、私たちは地下で炭になってた。……だから、本当にお疲れ様。そして、ありがとう、Qちゃん」


 素直な感謝の言葉。

 私は視線をそらし、蕎麦湯をつゆに注ぎ込んだ。


「……勘違いするな。僕が動いたのは、僕の平穏な日常と、快適なネット環境を取り戻すためだ。それに、スパチャの対価分は働かないと、セシリアに何を言われるか分かったものじゃない」


「はいはい、素直じゃないんだから」


 純が呆れたように笑い、再び蕎麦を啜り始めた。


「あの、店長! ドローンも飛ばしたし、フラッシュも決めたし、今回のMVPは私じゃないですか!? というわけで、おかわりありますよね!?」


 月子が空になったざるを両手で掲げ、満面の笑みで私を見る。


「……お前の胃袋は本当に底なしだな。茹でてやるから、そこで大人しく待っていろ」


 私が立ち上がってキッチンに向かうと、二人の賑やかな笑い声が背中越しに聞こえてきた。

 窓の外には、秋の柔らかな午後の日差しが降り注ぎ、ラグの上ではチャイが小さく寝息を立てている。

 鍋の中で湯が沸き立つ音と、心地よい日常の風景。


 私は蕎麦の束を手に取り、静かに湯の中へと滑り込ませた。

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