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安楽椅子探偵はスパチャで謎を解く ~住所特定班と挑む心霊事件簿~  作者: 伊達ジン


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第48話 大団円:宴のあと

 土曜日、午前11時。

 私の安息の地であるマンションの最上階リビングには、穏やかな秋の陽光が差し込んでいた。


『――日本中を恐怖に陥れた、監視カメラ乗っ取り事件。警察は主犯格の男を逮捕し、単独犯のサイバーテロとして処理していますが、ネット上ではある奇妙な噂が持ち切りとなっています』


 壁掛けの巨大モニターに映し出された週末のワイドショーで、アナウンサーが神妙な顔を作って語っている。

 画面には、SNSの書き込みをモザイク処理したパネルが次々と表示されていた。


『それが、謎の探偵集団「チームQ」の存在です。彼らが警察よりも早く犯人のアジトを特定し、大規模なハッキングでシステムの暴走を止めたのではないかという……』


 私は淹れたてのブラックコーヒーを一口啜り、呆れたように肩をすくめた。

 警察の公式発表では、ファントムの逮捕とシステムの停止は「警察のサイバー犯罪対策課の総力によるもの」とされている。当然だ。民間人が軍事用マルウェアを使い、さらにはPMC(民間軍事会社)を投入してテロリストを制圧したなどと発表すれば、国家の威信に関わる。

 だが、情報の海を完全にコントロールすることは不可能だ。数万人の特定班がリアルタイムで参加していた裏配信の断片や、現場周辺での目撃情報が、都市伝説のようにネット上で増殖し始めている。


「……キュゥン」


 足元から、愛らしい声がした。

 視線を落とすと、チャイが私のお気に入りのクッションの上で、短い四肢を投げ出して無防備に眠っていた。時折、寝言のように鼻を鳴らすその平和な姿が、テレビの向こうの喧騒がいかに馬鹿馬鹿しいものかを教えてくれる。

 私はコーヒーカップを置き、あの長く過酷だった夜の終わりを思い出していた。


★★★★★★★★★★★


 ファントムの確保を見届けた、金曜日の早朝。

 空が白み始めた頃、私は芝公園のヘリポートで、冷たい夜風に吹かれながらボンネットに置いていたノートPCをバッグにしまっていた。

 全てが終わったと脳が認識した瞬間、猛烈な目眩に襲われた。

 無理もない。極限の緊張状態でのサイバー戦、そして私にとって最大の苦痛である「外出」。高濃度のカフェインとスパイスで強制的に回していた脳のエンジンが、完全に燃料切れを起こしたのだ。


「……タクシーを呼べ。僕は帰る。即帰宅だ」


 私がふらつき、機体の横で膝をつきそうになりながら呟くと、地下の制圧を終えて合流してきた純、月子、深美の三人が小走りで駆け寄ってきた。


「Qちゃん! 大丈夫!?」


 純が私の肩を咄嗟に支える。彼女のメイクは崩れ、服は埃まみれだったが、その顔には確かな安堵が浮かんでいた。


「……大丈夫に見えるか。死にそうだ。早く僕を無菌室に帰せ」


「金子、お前は本当に……外の空気に弱いんだな」


 深美が呆れたように額を押さえる。彼女もまた、格闘の末にスーツが汚れ、疲労の色が濃かった。


「それより店長! 私、もう限界です! お腹が空きすぎて、このままじゃ餓死します!」


 月子が、お腹を押さえて悲痛な声を上げた。


「……知るか。各自で勝手に……」


「あら、ちょうどいいわ。私の手配したハイヤーが来ているの。みんなで乗っていきなさい」


 セシリアが、涼しい顔で一台の黒塗り高級車を指差した。


 私は抗議する気力もなく、後部座席に押し込まれた。

 そのままマンションへ直行するはずだった。だが、ハイヤーが都心を走る中、月子の「ラーメン食べたい」という呪詛のような呟きに純が同調し、なぜか車は東銀座の路地裏へと滑り込んでいった。


「……僕は降りないぞ。ここで寝ている」


 私が座席に沈み込んでいると、純がドアを開け、私の腕を強引に引っ張った。


「ダメよ! あんたも顔が真っ白じゃない! 温かいスープ飲まないと倒れるわよ!」


 引きずり出された先には、色褪せた赤い暖簾が揺れる、昭和の風情を残したこぢんまりとした中華そば屋があった。

 早朝にもかかわらず、店内からは豚ガラとネギの香ばしい匂いが漏れ出している。


 私たちは横並びでカウンターに座った。

 高級スーツのセシリア、ボロボロの深美と純、木刀を持った月子、そして死にかけの私。異様すぎる集団だったが、年配の店主は何も聞かず、ただおしぼりと水を出してくれた。


「店長! ここ、『鶏のシンガポール風味』とチャーシュー麺が最高なんですよ!」


 月子が目を輝かせて注文を済ませる。


 数分後。

 カウンターの上に、湯気を立てる皿と丼が並べられた。

 まずは名物の『鶏のシンガポール風味』。

 しっとりと火が入り、艶やかな光沢を放つ蒸し鶏の胸肉。その上には、細かく刻まれたたっぷりのネギと生姜が、熱したごま油と塩で和えられた特製のソースとなって山盛りにかけられている。

 私は気怠い手つきで箸を割り、一切れを口に運んだ。


「……っ」


 一瞬で、目が覚めた。

 冷製の蒸し鶏の淡白な旨味と、生姜の鮮烈な辛味、ネギの香味。ごま油の香ばしさと塩気が、疲弊した体に熱を叩き込む。

 無駄な理屈などいらない、ただひたすらに食欲を直撃する暴力的なまでの「旨味」だ。


 間髪入れずに、『チャーシュー麺』の丼が目の前に置かれた。

 琥珀色に透き通った醤油スープの上には、どんぶりの表面を覆い尽くすほどの、分厚く巨大な豚バラチャーシューが何枚も乗っている。

 スープを一口飲む。

 ノスタルジックな醤油の香りの中に、動物系のコクとほのかな魚介の輪郭があり、冷え切った胃袋を底から激しく温める。


 中細の縮れ麺を啜り、チャーシューに噛み付く。

 箸で持ち上げるだけで崩れそうなほど柔らかく煮込まれた肉塊。醤油ダレと脂身の甘さが口の中で爆発する。

 

 私は無言だった。

 純も、月子も、深美も、そしてあのセシリアでさえも、一言も発することなく、ただ一心不乱に麺を啜り、鶏を頬張っていた。

 極限の死闘を生き抜いた獣たちが、命を繋ぐためにただひたすらに貪り食う。そこには小難しい会話も解説も必要ない、静かで熱を帯びた食事風景だけがあった。


 私がスープの最後の一滴まで飲み干し、丼をカウンターに置いた時。


「……美味いな」


 隣の席で、深美がポツリと呟いた。

 彼女の丼も、見事に空になっていた。


「ああ。……これだから、外の世界も完全に捨てたもんじゃない」


 私が短く答えると、深美は少しだけ口角を上げ、静かに頷いた。


「終わったんだからいいじゃない。これで、本当に平和よ」


 純が、お冷のグラスを傾けながら、天井を見上げる。


「ふふっ。私のブラックカードの請求額、楽しみにしていてね」


 セシリアが、口元のスープをペーパーナプキンで優雅に拭いながら、悪戯っぽく微笑んだ。


 その後、マンションに帰還した私は、スーツを脱ぐ気力すらなく、ベッドに倒れ込んで泥のように眠った。

 そしてその日の午後になってようやく目を覚まし、純たちに手打ちの蕎麦を振る舞ったのだ。


★★★★★★★★★★★


 現在。

 テレビのワイドショーは、まだ『謎の探偵集団』の特集を続けている。


「――このように、警察の手柄とされている事件の裏で、常にこの『チームQ』の影がチラついています。彼らは一体、正義の味方なのでしょうか、それとも……」


 ピンポーン。


 インターホンの音で、私は過去の記憶から現実へと引き戻された。

 モニターを見ると、純と月子が、スーパーのレジ袋を下げて立っていた。


「開けるぞ。……また何か買い込んできたのか」


 数分後、リビングに上がってきた純は、テレビの画面を見るなり大笑いした。


「見た!? Qちゃん! ワイドショー! 私たち、すっかり都市伝説扱いよ!」


「私のことも『凄腕のくノ一』みたいな想像図で描かれてましたよ! ちょっとカッコよくて嬉しいです!」


 月子も冷蔵庫に買ってきた肉や野菜をしまいながら、嬉しそうに報告してくる。


「騒ぐな。どうせ数週間もすれば、新しいアイドルのスキャンダルや政治家の失言に上書きされて、綺麗さっぱり忘れ去られる。……都市伝説は、誰かが語り続けなければ自然消滅する。僕たちが何もしなければ、ただの噂で終わるさ」


 私はコーヒーカップを傾け、冷静に言い放った。

 私たちは表舞台に出るつもりはない。影から事件を解決し、一部の物好きなリスナーからスパチャを巻き上げられれば、それで十分なのだ。


「アホイ! 何のお話してるの?」


 いつものように、ベランダの窓からエレナが顔を出した。

 今日は彼女の母国から送られてきたという、分厚いクッキー缶を抱えている。


「あら、テレビの話? スロバキアの魔女もネットの掲示板で話題になってるわよ。私のファンクラブができる日も近いわね」


 エレナがウインクを飛ばし、ソファに座る純の隣に腰を下ろす。


「ワフッ!」


 賑やかな声で目を覚ましたチャイが、尻尾を振りながらエレナの膝に飛び乗った。


「……お前たち、本当に我が物顔でくつろぐようになったな。ここは僕の城なんだが」


 私が呆れ半分で言うと、純はクッキーの缶を開けながら、不敵に笑った。


「何言ってんのよ。ここはチームQの『前線基地』でしょ? 私たちがいないと、Qちゃん寂しくて死んじゃうくせに」


「……その根拠のない自信はどこから来るんだ」


 私は小さく肩をすくめた。

 私の安息の地には、以前よりもずっと騒がしく、しかし温かい平穏が戻っていた。


「店長! クッキーだけじゃ足りないんで、お昼ご飯、ガッツリしたものお願いします! 買ってきたキャベツと甜麺醤、そこにありますから!」


「……仕方ないな。冷凍してある極上の豚バラブロックがある。回鍋肉で手を打とう」


 私の言葉に、リビングに歓声が響き渡る。

 私は立ち上がり、冷蔵庫を開けるためにキッチンへと向かった。

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