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安楽椅子探偵はスパチャで謎を解く ~住所特定班と挑む心霊事件簿~  作者: 伊達ジン


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第45話 空飛ぶ安楽椅子探偵

 東京の夜景が、大きく傾いて見えた。

 腹の底が浮き上がるような強烈な重力の変化に、私は無意識にシートベルトを強く握りしめた。


「高度600メートル。目標まであと2分よ」


 ノイズキャンセリング機能のついたヘッドセット越しに、セシリアの声が響く。

 黒塗りの小型ヘリコプターは、秋の冷たい夜風を切り裂きながら、港区の上空を旋回していた。眼下には、オレンジ色に輝く無数の街灯と、車のヘッドライトが動脈のように流れる東京の街並みが広がっている。

 私は外の景色から視線を物理的に剥がし、膝の上に広げた分厚いノートPCの画面に意識を集中させた。先ほど無理やり胃に叩き込んだ高濃度カフェインとスパイスの劇薬が、高所と外界への根源的な恐怖を、かろうじて怒りと覚醒のエネルギーへと変換してくれている。


「……通信の復旧は絶望的だ」


 私はキーボードを弾きながら、状況を分析した。

 地下の通信インフラの基幹ルーターが物理的に遮断された状態では、外部からのハッキングは海に向かって石を投げるようなものだ。


「地下のアルファチームとのコンタクトも失われているわ。……でも、彼らはプロよ。通信が切れた場合のプロトコルは叩き込んである」


 隣のシートで、セシリアが自身のタブレットを操作しながら言う。


「純たちもそうだ。……僕の指示がなくても、彼女たちは必ずあのドングルをコンソールに挿す」


 問題は、純たちがドングルを挿した「後」だ。

 地下のネットワークが外界から完全に遮断されている以上、ドングルが物理的に接続されても、私から遠隔でプログラムの実行コマンドを送ることはできない。

 外部からの「道」がなければ、あのドングルはただのプラスチックの塊に過ぎない。


「……システムを外側からこじ開けるしかない」


 私はヘリの窓ガラスに顔を近づけ、前方にそびえ立つ赤と白の鉄塔――東京タワーを睨んだ。

 展望台よりも遥か上、タワーの頂上付近には、放送用の巨大なアンテナ群が密集している。


「セシリア。パイロットに指示を。……タワーの特別展望台の真上、アンテナ群と同じ高度でホバリングさせろ」


「正気? この強風の中でタワーに接近するのは、パイロットの腕がいくら良くても危険すぎるわ」


「やるしかない。……奴は地下のインフラを制圧し、このタワーの電波塔としての出力機能を使って、都内のネットワークにマルウェアを流し込もうとしている。つまり、地下のサーバーと頂上のアンテナは、現在『極太の物理ケーブル』で直結されている状態だ」


 私はPCに、私が自作した指向性電波ジャック用のアンテナユニットを接続した。


「地下の扉が閉ざされているなら、天井の煙突から侵入する。……タワーのアンテナが発する微弱な制御電波の隙間を突き、僕のこのPCから、アンテナを逆ハッキングして『受信機』に変えるんだ」


 セシリアは一瞬だけ私を見つめ、ふっと口角を上げた。


「……150億の懸賞金をバラ撒いて、夜の東京の空を貸し切りフライト。その上、こんなスリリングな空中散歩まで楽しめるなんて。最高のデートプランね」


「悪趣味なデートだ。僕の理想は、防音室で犬を撫でることだ」


「パイロット! 高度を上げなさい。目標のアンテナ群まで限界まで寄せて!」


 セシリアの冷たくも力強い指示に、ヘリが大きく機体を傾け、上昇を開始した。


★★★★★★★★★★★


 その頃、東京タワー地下の特別高圧変電施設跡。


「動くな。それ以上近づけば、こいつらの命はないぞ」


 車椅子の男――『神の眼』の支配者が、冷酷な声で言い放った。

 巨大なサーバー群に囲まれた部屋の中央。純、月子、深美、そしてPMCの隊員たちは、十数人の武装兵に完全に包囲されていた。

 アサルトライフルの銃口が、全方位から彼女たちに向けられている。


「……チッ」


 深美が舌打ちをし、構えていた警棒をわずかに下ろした。

 プロであるPMCの隊長も、ハンドシグナルで隊員たちに「待機」を命じる。ここで発砲すれば、遮蔽物のない空間では確実にこちらに死傷者が出る。


「Qとの通信は切った。お前たちへの指示はもう来ない。……ただの素人の小娘と、警察の犬。指揮官を失った駒に、何ができる?」


 黒幕が嘲笑する。

 男の手元のタイマーは、残り『05:00』を切っていた。マルウェアの散布まで、あと5分。


「……誰が、ただの駒だって?」


 沈黙を破ったのは、純だった。

 彼女は両手を軽く挙げたポーズのまま、真っ直ぐに車椅子の男を睨みつけた。


「私たちは、自分の意志でここに来たのよ。あいつの指示なんかなくても、私がやるべきことは決まってるわ」


「強がりを。……撃て。足だけでいい」


 黒幕が指を鳴らそうとした、その瞬間。


「今だッ!!」


 深美の鋭い咆哮が、地下室に響き渡った。


 彼女は腰のベルトから、円筒形の小さな物体をもぎ取り、床に叩きつけた。

 スタングレネード。セシリアのPMCから強引に拝借していたものだ。


 ――カッ!!


 凄まじい閃光と、鼓膜を破るような爆音が密室で炸裂した。


「うわぁっ!?」

「目が……ッ!」


 武装兵たちが咄嗟に目を覆い、銃口がブレる。

 そのコンマ数秒の隙。深美とPMCの部隊が、一斉に獣のように前線へ飛び込んだ。

 深美の警棒が、最も近くにいた兵士の顎を正確に打ち砕く。PMCの隊員たちが、サプレッサー付きのハンドガンで武装兵の手足を的確に撃ち抜き、無力化していく。


「行け、純!!」


 深美が叫ぶ。


「ツッキー!!」


「任せてください!!」


 月子が純の前に飛び出し、迫り来る兵士のライフルを木刀の鋭い一撃で弾き飛ばした。そのまま踏み込み、兵士の鳩尾に強烈な突きを沈める。

 月子が切り開いた道を、純が駆け抜ける。

 目指すのは、部屋の中央にあるメインコンソール。


「な……! 止めろ! その女を殺せ!」


 黒幕が慌てて車椅子を後退させる。


 純は、カバンから小さな黒いドングルを握りしめ、コンソールへとスライディングするように滑り込んだ。

 弾丸が頭上をかすめ、サーバーラックの火花が散る。


「Qちゃん……ッ!!」


 純は、コンソールのUSBポートに、渾身の力でドングルを突き刺した。

 だが、コンソールには何の変化も起きない。ネットワークが物理的に遮断されているこの部屋において、遠隔操作のコマンドがなければ、それはただの無意味な外部ストレージに過ぎない。


★★★★★★★★★★★


「……届け!」


 上空600メートル。ヘリの機内。

 私は極太のアンテナ群に向けて、指向性ジャマーの電波を限界出力で放射し続けていた。


 タワーのアンテナが発する強大な放送電波の海。その中で、わずかに使用されている「設備制御用の微弱な周波数帯」を探り当てる。

 私はヘリの揺れに耐えながら、キーボードを叩き続けた。

 アンテナの制御プロトコルを上書きし、強引に『受信モード』へと切り替える。

 

「言わば、上からなら、街全体が僕のモニターだ」


 タァン!

 私は実行キーを叩いた。


 PCから送信された強力な電波のパケットが、東京タワーのアンテナの受信ポートに直接ぶち込まれる。

 アンテナがそれを吸い込み、タワーの骨組みに沿って地下へと伸びる物理ケーブルを通じて、コンソールに向かって一気に逆流していく。


 ――ピコン。


 私のPCモニターに、一瞬だけ緑色のアクセスランプが点灯した。

 上空から撃ち込んだ電波のパケットが、純が地下のコンソールに突き刺したドングルと同期し、完全に「リンク」した瞬間だった。

 物理的に閉ざされた地下の密室に、天の煙突から強制的に『道』がこじ開けられたのだ。


「……繋がったぞ。一斉送信開始だ」


 私はそのまま、ドングルを中継地点として、地下のメインサーバーへと物理コマンドを叩き込んだ。

 上空から放たれた不可視の刃が、黒幕の構築したシステムを根幹から切り裂いていく。

 インフラを麻痺させるためのマルウェアの起動プロセスが、強制的なシャットダウン命令によって次々と凍結され、サーバーのプロセスが連鎖的に死滅していく。


『……Error. System Shutdown.(エラー。システム停止)』


 私のモニターに、敵の中枢サーバーが完全に沈黙したことを告げるログが流れる。

 マルウェアのカウントダウンが、『00:12』で完全に停止した。


「……チェックメイトだ」


 私はキーボードから手を離し、深く息を吐いた。

 全身の筋肉が強張り、大量の冷や汗がシートを濡らしていた。


「……終わったのね」


 セシリアが、ヘッドセットを外し、安堵の息をこぼした。

 彼女の横顔は、夜の闇の中でひどく美しかった。


「ああ。地下のシステムは完全に凍結させた。武装兵の制圧も、深美たちなら問題ないだろう」


 私はPCを閉じ、重い頭をシートの背もたれに預けた。


「……本当に、無茶苦茶な男ね」


 セシリアが私の方を向き、ふわりと微笑んだ。

 彼女の青い瞳が、東京の夜景の光を反射してキラキラと輝いている。


「引きこもりのくせに、仲間のためならヘリに乗って空まで飛ぶ。……少し、見直したわ。私のビジネスパートナーとして、及第点を与えてあげる」


「……光栄だな。だが、もう二度とこんな外出はご免だ。僕の神経がすり減る」


「ふふっ。そう? 私は結構楽しかったわよ。東京の夜空で、こんなスリリングな時間を共有できたんだもの」


 セシリアはそう言って、窓の外へ視線を向けた。

 足元には、数千万人の生活が息づく、巨大な光の海が広がっている。

 私たちは今、その光の一つ一つが消え去る最悪の未来を、確かに食い止めたのだ。


「……パイロット、芝公園のヘリポートへ戻ってちょうだい。私たちのヒーローを、彼の安全な『お城』に送り届けないとね」


 セシリアの指示で、ヘリコプターが大きく旋回し、高度を下げ始める。

 東京タワーの赤と白のライトアップが、私たちのすぐ横を通り過ぎていった。

 

 耳を劈くローター音と、冷たい夜風が吹き込む機内。

 私はシートベルトを外し、保冷バッグの中から空になった弁当箱と缶を取り出し、丁寧にファスナーを閉めた。

 窓枠に肘をつき、眼下に迫る街の灯りを静かに見下ろす。

 ヘリの着陸態勢を告げる電子音が、冷え切った機内に短く響いた。

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