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安楽椅子探偵はスパチャで謎を解く ~住所特定班と挑む心霊事件簿~  作者: 伊達ジン


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第39話 最初の犠牲者

 月曜日、午後9時。

 都市の監視カメラが乗っ取られ、プライバシーが崩壊していく異常事態の最中。私のマンションの最上階リビングには、ソースが焦げる暴力的な香りと、出汁の優しい香りが同居していた。


「……残り物には福がある」


 私は、冷蔵庫の奥で眠っていた半端な豚バラ肉、少し萎びたキャベツ、ピーマン、玉ねぎを包丁で手早く切り分けながら呟いた。

 本日のディナーは、究極の『余り物焼きそば』と『高野豆腐の煮物』だ。

 大衆食の代表格である焼きそばだが、作り方次第でプロ顔負けの一皿になる。市販の蒸し麺はそのまま炒めるのではなく、あらかじめ電子レンジで温めてほぐした後、ごま油を引いたフライパンで両面にパリッと焦げ目がつくまで焼き付ける。これが麺に香ばしさと食感を生む絶対条件だ。

 別のフライパンで豚肉と野菜を強火で炒め、焦げ目をつけた麺を戻し入れる。そこに、オイスターソース、ウスターソース、醤油、そして隠し味に少量のカレー粉をブレンドした特製ソースを一気に回し入れ、強火で水分を飛ばしながら煽る。

 ジュワアアァァッ!という音と共に、ソースの焦げる匂いが食欲の限界を突破させる。

 皿に盛り、青のりと削り節、紅生姜を添えて完成だ。


 一方の高野豆腐の煮物は、干し椎茸と昆布の戻し汁にカツオ出汁を合わせ、薄口醤油とみりんで味を調えたつゆで、じっくりと含め煮にしてある。

 ジャンクなソース味の焼きそばで火照った舌を、高野豆腐からジュワッと溢れ出す上品な出汁の旨味が優しくリセットする。和とB級グルメの完璧なコントラストだ。


「クゥ〜ン……」


 香ばしい匂いに釣られ、足元にチャイがやってきた。

 彼は私の足の甲に丸い顎をちょこんと乗せ、上目遣いでジッとこちらを観察している。何か美味しいものが落ちてこないか待っているらしい。


「お前には犬用のおやつだ」


 私が無添加のヤギミルククッキーを一つ与えると、チャイは嬉しそうにサクッと音を立てて食べ、そのまま私の足元で満足げに丸くなった。

 どんな極限状態であっても、この小さな毛玉の平和な寝息と完璧な食事が、過熱する私の探偵脳を適正温度に保つための冷却水の役割を果たしているのだ。


 私は焼きそばの皿と高野豆腐の小鉢をPCデスクに運び、箸を割った。

 デュアルモニターには、世界中のカメラを乗っ取った悪趣味なサイト『神の眼』の画面と、裏回線で動いている数万人の特定班のチャット欄が流れている。


「……さて、仕掛けは上手く作動したか」


 私は高野豆腐を一口齧り、出汁の旨味に目を細めながら、インカムのスイッチを入れた。


『Q! こっちの準備、完了したわ! いつでもいけるわよ!』


 インカムから、ナオミの自信に満ちた声が響いた。

 彼女は今、自身の地下クラブのスタジオで、複数の機材を並べて待機しているはずだ。


「よし。純、月子。特定班が割り出した『敵のAIが監視に使うカメラの法則性』を利用し、見事に死角を縫ってナオミのクラブの地下まで潜入できたな。そっちの状況はどうだ」


『こっちもオッケーよ! ……ちょっと、これ本当に大丈夫なの? 』


 純の、少し抗議めいた声が返ってくる。


『純先輩、演技指導はバッチリですから! さあ、いきますよ! アクション!』


 月子の気合の入った声が続く。


 数秒後。

 私のモニターに映し出されていた『神の眼』のトップページが、突如として激しく明滅し、大きなウィンドウがポップアップした。

 それまで表示されていた「誰もいない黒い安楽椅子」の映像の横に、新しいライブ映像が強制的に固定されたのだ。


「……来たな」


 その映像を見た瞬間、裏回線の特定班だけでなく、『神の眼』を見ている世界中の野次馬たちが一斉にパニックに陥った。


 映像の舞台は、どこかの薄暗い廃工場のような場所。

 コンクリートの壁と剥き出しの鉄骨。そこに、一本のパイプ椅子がポツンと置かれている。

 そして、その椅子には――岡本純が、太いロープでぐるぐる巻きに縛られ、顔を涙と汗でぐちゃぐちゃにして座らされていた。


『や、やめて……! 誰か、助けてぇっ!!』


 純の悲痛な絶叫が、ノイズ混じりの音声で配信される。

 カメラの画角は、まるで盗撮カメラのように固定されており、画面の端には「黒い目出し帽を被り、バールを持った大男のシルエット」が微かに揺れ動いていた。


『おい、嘘だろ!?』

『JUN様が誘拐された!?』

『拉致現場のライブ映像かよ!』

『神の眼のトップに固定されてるってことは、犯人の仕業か!?』

『Q! 早く助けてやれよ!』


 表の匿名チャット欄も、裏の特定班のコメント欄も、完全に蜂の巣をつついたような騒ぎになった。


『金子!! これを見ているか!!』


 インカムに、警視庁の深美から怒鳴り声が飛び込んできた。


「ああ、見ている」


『純が誘拐されたぞ! 今すぐあの映像のIPアドレスを解析して場所を特定しろ! 私たちも全力を挙げる!』


『ちょっと待ちなさい原田刑事。金子さん、これ……本当に純なの?』


 セシリアの冷静な、しかし僅かに疑念を含んだ声も続く。


 私は、焼きそばの豚肉をキャベツと一緒に口に運び、ゆっくりと咀嚼した。

 ソースの焦げた香ばしさがたまらない。


「二人とも、落ち着け。……そして特定班のリスナーたちも、パニックになるな。深呼吸しろ」


 私はマイクに向かって、極めて平坦な声で言った。


「その映像は、『フェイク』だ」


『……は?』


 深美の呆けた声が漏れる。


「ナオミ、月子。種明かしをしてやれ」


 私が合図を出すと、裏チャンネルの配信画面が切り替わり、満面の笑みを浮かべたナオミと、カメラを持った月子が映し出された。


『Yo! みんな騙された? アタシの音声編集と、ツッキーのカメラワークのコラボレーション、最高にドープだったでしょ!』


 ナオミがピースサインを作る。


『はい! ここ、ナオミさんのクラブの地下にある倉庫スペースです! 廃工場っぽく見せるために、ちょっと照明落としてみました!』


 月子がカメラをパンさせると、縛られていたはずの純が、自分でロープをスルスルと解きながら不機嫌そうに立ち上がる姿が映った。


『もう最悪! ただでさえすっぴん晒されて腹立ってるのに、さらに涙流すために目薬さして、泥メイクまでして……これ、女優のギャラもらうわよ!』


 純がプンプンと怒りながら、顔を拭いている。


「そして、画面の端に映っていた大男のシルエットは、月子が木刀にパーカーを被せて揺らしていただけの影絵だ」


『な、なんだって……!? じゃあ、あの誘拐映像は、お前たちが作った偽物だと言うのか!? なぜ事前に言わなかった!』


 深美が混乱と怒りの入り混じった声で叫ぶ。


「君が事前に知っていれば、管轄外の無許可の囮作戦など絶対に止めたか、あるいは正式な手続きを踏もうとして時間をロスしただろう? 敵のAIの裏をかくには、一瞬の猶予もなかったんだ。……だが、ただのドッキリじゃない。敵の『神の眼』のシステムを逆に利用した、壮大な攪乱作戦だ」


 私は高野豆腐を一口かじり、出汁の旨味を味わいながら解説を始めた。


「奴らのシステムは、街中の無数の監視カメラをハッキングしている。だが、数百万台のカメラの映像を全て人間が監視しているわけじゃない。高度なAIアルゴリズムを使って、『異常事態』や『注目度の高い人物』を自動的にピックアップし、トップページに表示させているんだ」


『なるほど……。純の顔と、悲鳴の音声をAIに検知させたのね』


 セシリアが瞬時に理解を示す。


「その通りだ。ナオミのクラブの裏口に、あらかじめハッキングされやすいダミーのネットワークカメラを設置し、そこで純の『誘拐フェイク映像』を流した。……すると、敵のAIはそれを『最高の見世物』だと判断し、自動的に『神の眼』のトップページに固定表示させた」


『でもQちゃん、それをして何の意味があるの?』


 純がメイクを落としながら尋ねる。


「敵のシステムの『食いつき方』を見るためだ。……偽の映像データが、どの経路を通って、どのように処理され、トップページに反映されたか。その『データの流れ』を、僕は完全に逆探知していた」


 私はモニターに、複雑なクモの巣のようなネットワーク図を表示させた。


「どんなに強固な要塞でも、自分から『情報を取りに来る』ための門は必ず開けなければならない。敵のAIが純のフェイク映像を吸い上げたその瞬間、奴らのファイアウォールに一瞬の死角が生じた」


 私はニヤリと笑った。


「その隙に、僕は奴らのコア・サーバーに繋がる『道』を見つけた。……ご苦労だったな、純、月子、ナオミ。君たちのオスカー級の演技のおかげで、反撃の準備は整ったぞ」


『おおおおお!』

『そういうことか!』

『Qちゃんマジ天才』

『まんまと騙されたわw』

『赤スパ(10,000円):JUN様の迫真の演技に乾杯』


 特定班のコメント欄が、安堵と興奮で爆発的に盛り上がる。


『……全く、寿命が縮む思いだったぞ。次は容赦しないからな!』


 深美が怒号を飛ばすが、その声には明らかな安堵が混じっていた。


「……さて」


 私は焼きそばの最後の一口を平らげ、ほうじ茶で口の中をリセットした。

 胃袋も脳も、エネルギーは完全に満たされた。


「敵のシステムの構造は割れた。次は、この無数にあるカメラのネットワークを一つずつ潰していく。……特定班、引き続きカメラの特定作業を頼む。奴らの『眼』を、こちら側から全て塞いでやる」


 私は安楽椅子に深く座り直し、キーボードに両手を乗せた。

 都市を巻き込んだ劇場型犯罪。

 だが、その主導権は、すでにこちらの手に渡りつつあった。


「さあ、見えない黒幕。お前の自慢の『眼』を、僕と数万人の共犯者で、一つ残らず潰してやる」


 冷酷な宣言と共に、キーボードを叩く音が、夜のリビングに高らかに響き渡った。


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