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安楽椅子探偵はスパチャで謎を解く ~住所特定班と挑む心霊事件簿~  作者: 伊達ジン


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第35話 決着、そして…

 火曜日、午前2時40分。

 横浜・本牧埠頭の廃ビル周辺は、闇に沈んだ静寂から一転、パトカーのけたたましいサイレンと、上空を旋回するヘリコプターのローター音に包まれていた。


『金子、現場に到着した! ビルは完全に包囲している!』

『アルファチーム、突入準備完了。上からと下から、同時に行くわ』


 私のインカムに、原田深美とセシリア・クロスの緊迫した声が同時に飛び込んでくる。

 私はマンションの最上階リビングのPCモニターを睨みつけながら、キーボードの上に両手を乗せた。


「……急げ。奴はもうビルにはいない。車で逃走を図っている」


『何だと!?』


 深美が叫ぶ。


「特定班のカメラ解析だ。5分前、ビルの地下駐車場から出てきた黒のSUVが、ライトを消したまま埠頭の南ゲートへ向かっている。……だが、逃がしはしない」


 私は目にも留まらぬ速さでタイピングを開始した。

 ターゲティングするのは、横浜港周辺の高度交通管制システムと、港湾施設のゲート制御サーバーだ。

 ファントムの乗るSUVが通過しようとしている南ゲートのシステムに侵入し、物理的な遮断バーを強制的に降ろす。


『――クソッ! 開け! 開け!!』


 私がハッキングによって開いたファントムの端末のバックドアから、奴の焦燥しきった肉声がスピーカー越しに聞こえてくる。


「無駄だ、ファントム。この周辺の信号機はすべて赤にロックした。ゲートのバーはチタン製だ。車で突っ込めば大破するぞ」


『……Q!! 貴様ァァァッ!!』


 ファントムが絶叫する。

 SUVが急ブレーキをかけ、タイヤがアスファルトを擦る甲高い音が響いた。


「深美、セシリア。ターゲットは南ゲートの前で立ち往生している。……距離にしてお前たちから300メートルだ。行け!」


『了解!』


 だが、世界的なサイバーテロリストであるファントムが、ただ大人しく捕まるわけがなかった。


『……舐めるなよ、Q。僕をただのネズミだと思ったか?』


 ファントムの声が、ふっと冷酷なものに変わった。

 直後、私のデュアルモニターの一つが激しくノイズを発し、真っ赤な警告画面に切り替わった。


「……っ!」


 凄まじいトラフィックの奔流。

 奴は車内のノートPCから、事前に掌握していた海外の巨大なボットネットに遠隔指示を飛ばし、私のマンションのローカルサーバーに対し、尋常ではない規模のDDoS攻撃と、軍事レベルのランサムウェアを同時に叩き込んできたのだ。


『君が僕の逃げ道を塞ぐ間に、君の防壁の隙間を突かせてもらった。……僕が捕まる前に、君のPCと、そこにある「パンドラの箱」のデータを完全に破壊してやる!』


 私のハイスペックPCの冷却ファンが悲鳴を上げ、CPUの温度が急上昇していく。

 処理速度が極端に落ち、マウスカーソルがカクつき始めた。


「Qちゃん! パソコンから変な音してるわよ!」


 後ろで見ていた純が悲鳴を上げる。


「騒ぐな。……この程度の波状攻撃、想定内だ」


 私は深く息を吸い込み、完全に「ゾーン」へと入った。

 画面上の無数の赤いコードの海に対し、私はそれを一つ一つ防御するのではなく、攻撃の「起点」となっているファントムの端末そのものに、カウンターのスクリプトを打ち込み始めた。


 ターンッ、タタタタンッ!!


 私の指が、キーボード上で残像を残すほどの速度で乱舞する。

 ファントムが構築した複雑な攻撃アルゴリズムのパターンを数秒で先読みし、そのシステム構造の根幹にある脆弱性に、私の書いた自己増殖型のウイルスを滑り込ませていく。

 サイバー空間での、剣と剣がぶつかり合うような一騎打ち。

 常人には理解不能な、0と1の極限の死闘。


『な……馬鹿な! 僕の攻撃アルゴリズムが、数秒で完全に先読みされているだと……!?』


「言ったはずだぞ。僕は天才ハッカーだと。5年前に僕に敗れた時のデータをアップデートしていないお前が、僕に勝てるわけがない」


 私は最後のエンターキーを、強く、容赦なく叩き込んだ。


 ――チェックメイト。


 私のPCの負荷がスッと下がり、ファンが静音を取り戻す。

 逆に、ファントムの端末からは「ピーーーッ!」というシステムダウンを知らせる不快なビープ音が鳴り響いた。


『僕の……僕の端末の制御が……奪われた……!』


「お前の車のスマートシステムも完全にハックさせてもらった。エンジンはもうかからないし、ドアのロックも解除できない。窓も開かない。……君は今、自分の車という名の『閉ざされた部屋』に閉じ込められたんだ。君が僕のマンションにしたようにな」


 数秒後。

 完全に追い詰められたファントムの端末のマイク越しに、奴の狂ったような笑い声が微かに聞こえてきた。


『ククク……僕はただの捨て駒に過ぎない。パンドラの箱が開かれた今、真のゲームが始まるんだ……せいぜい足掻け、安楽椅子探偵……!』


 その直後、マイクが車の窓ガラスが外部から乱暴に叩き割られる音を拾った。


『動くな! 警視庁だ!!』

『アルファチーム、ターゲットを制圧!』


 深美の怒号と、PMCのオペレーターたちの報告がインカムに飛び込んでくる。そして、通信は物理的に遮断された。

 完全なる確保だ。


「……終わったな」


 私はヘッドセットを外し、背もたれに深く寄りかかった。

 全身の力が抜け、凄まじい疲労感が襲ってくる。


『Qちゃん! やったー! 勝ったわ!』

「店長! 最高ッス! これでぐっすり眠れますね!」


 純と月子が歓声を上げ、ハイタッチをしている。

 純の裏配信のコメント欄も、『Q最強』『神の頭脳』『ファントム完敗』と、完全なお祭り騒ぎになっていた。


 だが。

 通信が途絶したはずの私のモニターの片隅に、突如としてたった一行のテキストメッセージが表示された。

 おそらく、ファントムが「自身の生体認証から外れる」か「通信が強制切断される」瞬間に発動するよう、あらかじめ仕込んでいた『デッドマンズスイッチ』だろう。


『The eye of God is already looking at you.(神の眼は、すでにお前を見ている)』


「……何?」


 私は眉をひそめた。

 タナトスの最高幹部と名乗っていたファントムが、ただの「捨て駒」だと言った。


 『神の眼』とは何だ?


 黒幕の存在を示唆するその自動送信メッセージに、私の探偵としての直感が、微かな、しかし確かな「悪寒」を感じ取っていた。


 だが、今は考えるのはやめよう。

 私の脳は限界だ。ブドウ糖と良質なタンパク質、そして塩分を強烈に求めている。


★★★★★★★★★★★


 火曜日、午前7時。

 徹夜での死闘を終え、私の安息の地には清々しい朝日が差し込んでいた。

 純と月子は「もう限界!」と言ってゲストルームのベッドに倒れ込み、泥のように眠っている。エレナも「お肌に悪いから寝るわ」と自室へと帰っていった。


 静寂を取り戻したキッチンで、私は最後の力を振り絞って朝食の準備をしていた。

 徹夜明けの疲労困憊した身体を癒やすには、胃腸に優しく、しかし栄養価の暴力とも言える「至高の和定食」が必要だ。


「……火加減、完璧だ」


 私はガスコンロの上の「焼き網」をじっと見つめた。

 網の上でジュージューと音を立てているのは、豊洲の馴染みの仲卸から取り寄せた、極厚の『特上紅鮭』だ。

 フライパンやグリルではダメだ。直火の網で焼くことで余分な脂が落ち、立ち上る煙に燻されることで香ばしさが格段に跳ね上がる。

 皮目はパリッと焦げ目がつき、箸を入れるとふっくらとした身から、ルビー色に輝く上質な脂がじゅわりと滴り落ちる。まさにプロ顔負けの焼き上がりだ。


 次に、副菜の準備にとりかかる。

 縦に切れ目を入れた新鮮な茄子をラップで包み、電子レンジで数分間チンする。火を使わずにトロトロになった蒸し茄子を手で縦にスッと裂き、器に盛る。

 そこにかけるのは、特製の『ピリ辛ごまソースもどき』だ。

 たっぷりのすりごま、一味唐辛子、千切りにした大葉と生姜をボウルに入れ、上質な醤油と、熱したごま油をジュワッと回しかける。

 香ばしいごま油の香りと、大葉と生姜の爽やかな風味がキッチンに弾けた。これをトロトロの茄子にたっぷりとかければ、ご飯泥棒の極みである。


 さらに、冷蔵庫から『キビナゴと玉ねぎの酢漬け』を取り出す。

 事前に漬け込んでおいたもので、キビナゴのほろ苦さと玉ねぎのシャキシャキ感、そしてまろやかな酸味が、疲れた脳をスッキリと覚醒させてくれる。


 そして汁物。

 昆布とカツオの合わせ出汁に、沖縄県産の肉厚で太い『もずく』を大量に投入した澄まし汁だ。

 磯の香りと、もずくのつるりとした喉越しが、乾いた五臓六腑に優しく染み渡っていく計算だ。


「キュゥン……」


 ふと、足元から小さな声がした。

 見下ろすと、愛犬のチャイが、お座りをして私を見上げている。

 焼き鮭の匂いにつられて起きてきたらしい。彼は「僕のご飯は?」と言わんばかりに、黒曜石のような瞳をキラキラと輝かせている。


「お前用の朝食もできているぞ」


 私が無添加の茹でササミとヤギミルクを入れた器をそっと床に置くと、チャイは尻尾をふわりと揺らし、静かに食事を始めた。

 その丸い背中を見ていると、サイバー空間での血を洗うような死闘が、遠い幻だったかのように思えてくる。


「よし。いただきます」


 私は土鍋で炊いたツヤツヤの白米を茶碗に一杯よそい、ダイニングテーブルについた。

 パリッと焼けた紅鮭の皮を齧り、脂の乗った身をご飯と共に掻き込む。


 ……美味い。


 細胞の隅々にまで、タンパク質と塩分が染み渡っていくのが分かる。

 すかさず、ピリ辛ごまソースの絡んだ蒸し茄子を口に運ぶ。ごま油と大葉の香りが鼻腔を抜け、唐辛子の刺激が食欲をさらにブーストさせる。

 合間にキビナゴの酢漬けで口の中をリセットし、もずくの澄まし汁で喉を潤す。


 完璧な和定食のトライアングル。

 徹夜明けの身体に、これ以上の贅沢はない。


「……ふぅ」


 私は食後の温かいほうじ茶を啜り、大きく息を吐いた。

 窓の外では、東京の街がすっかり目を覚まし、眩しい朝日が降り注いでいる。


 ファントムは捕まり、タナトスの残党の襲撃は退けられた。

 シエラも無事だ。私の安息の地は、彼らの犠牲を出すことなく守られたのだ。

 

 だが、私の脳裏には、あの最後のメッセージがこびりついて離れなかった。


 ――『神の眼は、すでにお前を見ている』。


 それが何を意味するのか、今の私には分からない。

 だが、安楽椅子探偵としての直感が告げている。

 パンドラの箱が開かれた以上、この平穏は長くは続かない。真の「黒幕」が、必ず私を次の舞台へと引きずり出すだろう。


「ワフゥ」


 食事が終わったチャイが、私の足元にすり寄り、コロンと仰向けに転がって無防備なお腹を見せた。


「……全く。世界がどうなろうと、お前は平和だな」


 私は微笑み、チャイの柔らかいお腹を撫でた。

 どんな強大な敵が現れようとも、私のこの最強で最狂のチームと、この小さな毛玉の寝顔だけは、私の頭脳の全てを懸けて守り抜いてみせる。


 静かで、温かい朝。

 嵐の後の束の間の平穏の中で、私は静かに次の戦いへの覚悟を固めていた。



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