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安楽椅子探偵はスパチャで謎を解く ~住所特定班と挑む心霊事件簿~  作者: 伊達ジン


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第34話 逆襲の特定班

 火曜日、午前1時30分。

 作戦決行の30分前。私の安息の地であるマンションの最上階リビングには、甘く暴力的な香りが立ち込めていた。


「……焦がしバターの風味、完璧だ」


 私は厚底のステンレス鍋のフタを開け、静かに息を吐いた。

 本日の夜食は、映画のお供の最高峰、『究極のバターポップコーン』だ。

 市販の電子レンジ用など論外である。丸く弾けるマッシュルームタイプの乾燥コーンを厳選し、焦げにくい米油と、不純物を取り除いた高級なグラスフェッドバターをたっぷりと引いた鍋に投入する。

 火にかけ、鍋をリズミカルに揺すり続けると、やがて「ポンッ!」という小気味良い音と共に、コーンが次々と花開いていく。弾け終わった熱々のポップコーンに、さらに追いバターを絡め、ミネラル豊富なゲランドの塩と、隠し味のトリュフパウダーを振って完成だ。


 そして、この塩気と脂の塊に合わせるペアリングは、炭酸ではない。


 『特濃マンゴーラッシー』だ。


 糖度抜群の完熟アルフォンソマンゴーの果肉に、無糖の濃厚なギリシャヨーグルト、少量のハチミツ、そしてカルダモンパウダーを一つまみ加え、ブレンダーで滑らかになるまで撹拌する。

 ポップコーンの強烈な塩気とバターのコクを、マンゴーのトロピカルな甘酸っぱさとスパイスの香りが優しく包み込み、無限に食べ進められる悪魔のループを生み出す。


「ポンッ! ポポポンッ!」


 私が残りのコーンを弾けさせていると、足元で「ワウッ!?」と驚いたような声がした。

 見下ろすと、愛犬のチャイが、鍋の中から鳴り響く謎の破裂音に対し、腰を低くして警戒態勢を取っていた。

 チャイは鍋に向かって「ウゥゥ……」と威嚇するように唸り声を上げ、また一つ「ポンッ!」と音が鳴るたびに、ピクッと体を震わせて後ずさりする。見えない敵と一生懸命に戦おうとするその小さな姿は、これから本物のテロリストとサイバー戦を繰り広げる私の極度の緊張感を、ふっと和らげてくれた。


「大丈夫だ、チャイ。これは美味しい音が鳴る魔法の鍋だよ」


 私が冷ましたポップコーンを一つ差し出すと、チャイは恐る恐る匂いを嗅ぎ、サクッと音を立てて食べた。そして「なんだ、敵じゃないじゃん」とでも言うように尻尾を振り、もっとくれと私のスネに鼻先をこすりつけてきた。


「……腹ごしらえと癒やしのチャージは完了だ。さあ、仕事を始めよう」


 私は山盛りのポップコーンボウルとマンゴーラッシーのグラスをPCデスクに運び、ヘッドセットを装着した。


 時刻は、午前1時55分。

 リビングには、岡本純と中野月子が待機している。エレナ・ヴァルゴヴァとナオミ・セント・ジェームズは別室で情報収集のスタンバイ。セシリア・クロスと原田深美は、PMCの部隊を率いて品川のダミー倉庫周辺に展開している。


 数日前に純の自撮り棒から取り外された超小型の盗聴器は、今も防音ケースに覆われたガラスのボウルの中に置かれている。


「純。時間だ。台本通りに頼む」


 私が合図を出すと、純はボウルのフタを少しだけ開け、むき出しの盗聴器に向かって演技を始めた。


「……ハァ、ハァ……Qちゃん、品川の倉庫の地下に着いたわ。指示通り、オフラインの物理サーバーにドライブを接続するわよ」


 純は、いかにも重い荷物を運んできたかのような、息を切らした切羽詰まった声を出す。女優顔負けの迫真の演技だ。


「よし、接続確認した。データの転送を開始する。……月子、周囲の警戒を怠るな」


 私もマイクに向かって、緊迫した声で返す。


「了解ッス! 誰も近づけさせません!」


 月子も木刀の素振り音を立てながら応じた。


 これで、盗聴器の向こうにいるファントムには、「Qの仲間が品川のダミー倉庫でパンドラの箱のデータを移行している」という偽の情報が確定事実として伝わったはずだ。

 私が前もって用意した台本の肝は、「パンドラの箱を外部ネットワークから切り離された『オフラインの物理サーバー』に移す」という点にあった。

 ファントムが本当に「パンドラの箱」を狙っているのなら、データが完全にオフラインへと隔離されるこの瞬間を指をくわえて見ているはずがない。天才ハッカーである奴なら、オフラインのサーバーを外部から操作するために、必ず「物理的なブリッジ」を構築する手段に出てくる。


 私の予測通り、インカムに別回線からセシリアの報告が入った。


『アルファチームより報告。品川のダミー倉庫に侵入者あり。見張りの目を盗み、地下の物理サーバーにリモートアクセス用のドングルを接続した模様よ』


「……ご苦労。泳がせておけ」


 手駒を使って物理的なバックドアを作らせたか。用意周到な野郎だ。

 だが、そのドングルが接続されたダミーサーバーには、奴が喉から手が出るほど欲しいデータが眠っている。


 私はPCのモニターを睨みつけ、品川のダミーサーバーへのアクセスログを監視した。


 ――午前2時00分。


 ログに、異様なトラフィックの急増が記録された。


「……来たぞ。食いついた」


 ダミーサーバーの強固なファイアウォールが、接続されたドングルを経由した未知のゼロデイ・エクスプロイトによって次々と突破されていく。

 見事な手際だ。並のハッカーなら数ヶ月かかる防壁を、ものの数秒で破っている。ファントム自身の仕業に間違いない。


「……だが、お前が破ったその壁は、僕がわざと『開けやすく』しておいたものだ」


 私はキーボードを弾き、最後の防壁が破られた瞬間に発動する『カウンター・プログラム』を起動した。

 ファントムがダミーデータをダウンロードしようと接続を確立したその瞬間。私が仕込んでいた軍事用マルウェアが、逆に奴の接続経路を遡ってファントムの端末へと一斉に雪崩れ込んだ。


 ――ガァァン!!


 私のモニターに、敵のネットワーク構造が視覚化されて表示される。

 複数のプロキシサーバーを経由した複雑なルーティング。だが、私のマルウェアはそれを次々と食い破り、ついに敵の「発信源」のIPアドレスを特定した。

 さらに、マルウェアはファントムの端末に接続されているWebカメラとマイクを一瞬だけ強制起動させ、わずか「3秒間」だけ、敵のアジトの内部映像と環境音を傍受することに成功した。


 直後、ファントムが異常に気づき、物理的に回線を切断したため、通信は途絶えた。


「……逃げ足の速い野郎だ。だが、尻尾は掴んだぞ」


 私は傍受した3秒間の映像と音声データを再生した。

 映像は暗く、ファントムの顔は映っていない。だが、背後の窓ガラスに、外のネオンの光が不規則に反射しているのが見えた。赤と緑の点滅、そして遠くに見える巨大なクレーンのような影。

 音声には、ファントムの舌打ちと共に、遠くから微かに聞こえる「重低音のサイレン」と「鉄と鉄がぶつかるような軋む音」が録音されていた。


「Qちゃん! 場所、分かった!?」


 純が身を乗り出して聞いてくる。


「IPアドレスの偽装は剥がしたが、割り出せたのは『横浜港の港湾エリア』という広大な範囲までだ。……この3秒の映像と音の断片だけで、具体的な建物を特定するのは、僕のAIでも数時間はかかる」


 私はポップコーンを一つ放り込み、ニヤリと笑った。


「だが、僕たちには、AIよりも速く、数万の『目』を持つ最強の武器がある」


「……特定班ね!」


 純が自撮り棒を握り直し、目を輝かせた。


「純、裏配信を立ち上げろ。タイトルは『最終決戦:亡霊の居場所を暴け』だ!」


 午前2時10分。

 深夜の最も深い時間帯にもかかわらず、純の裏チャンネルが稼働した瞬間、待機していた数万人の『特定班』たちが雪崩れ込んできた。


『待ってたぜ!』

『徹夜組の底力見せてやるよ』

『Qからの依頼だろ、任せろ!』


 コメント欄が凄まじい勢いでスクロールしていく。


「特定班、よく聞け」


 私はマイクに向かって、冷静かつ熱を込めて語りかけた。


「ターゲットは、世界的なサイバーテロリスト『ファントム』。奴の現在地は、横浜港の港湾エリアのどこかだ。今から、奴のアジトの窓から見えた『光の反射』と、マイクが拾った『環境音』のデータを投下する。……このわずかな手がかりから、奴が潜伏している具体的な『建物』を特定してくれ!」


 私は傍受した3秒間の動画ファイルを、配信の画面に表示させた。


 数万人の精鋭たちの知力が、一斉にフル回転を始める。

 彼らはGoogleマップ、ストリートビュー、船舶の運航情報サイト、果ては横浜周辺のライブカメラの映像を駆使し、驚異的な速度で情報を解析していく。


『この窓ガラスに反射してる赤と緑の点滅、ただのネオンじゃない。間隔が一定だ』

『これ、ガントリークレーンの航空障害灯の点滅パターンと完全に一致するぞ』

『奥に見える影の形からして、本牧埠頭か大黒埠頭のどっちかだ!』


 光の解析が瞬時に進む中、別働隊が『音』の解析結果を投下する。


『マイクに入ってる重低音のサイレン、あれ「ボーッ」って音じゃなくて「ファーン」って鳴ってる。大型コンテナ船じゃなくて、深夜に稼働してる特定の製鉄所のサイレンだ』

『鉄が軋む音は、すぐ近くでコンテナの積み下ろしをしてる音だ! 深夜2時に稼働してるヤードは限られてる!』


「ナオミ! 音響の周波数データと特定班の情報を照らし合わせろ!」


 私が別室のナオミに指示を飛ばす。


『任せな! ……ビンゴよQ! このサイレンの残響音とコンテナの摩擦音の距離感、本牧埠頭のD突堤周辺と完全に一致するわ!』


 ナオミからの確報が入る。


「本牧埠頭D突堤! エリアは絞られたぞ、特定班! 窓から見えるクレーンの角度から、建物を特定しろ!」


 コメント欄の熱量がさらに跳ね上がる。


『D突堤の地図出た!』

『クレーンの灯りがこの角度で窓に反射するってことは、海沿いギリギリの建物じゃない』

『少し内陸に入った、高さのあるビルだ!』

『ストリートビューで確認! D突堤の西側にある、廃業した7階建ての海運会社のビル! 窓ガラスの形が動画の反射の歪み方と一致する!』

『間違いない、ここだ! 住所特定完了!』


 午前2時25分。

 配信開始から、わずか15分。

 数万人のリスナーによる人海戦術と、狂気とも言える執念の解析が、ついに世界最高のハッカーが隠した物理的座標を完全に暴き出したのだ。


「……素晴らしい。最高だ、お前ら」


 私は鳥肌が立つのを感じながら、特定された住所をセシリアと深美の端末に送信した。


「セシリア、深美。座標を送った。品川のダミー倉庫から横浜の本牧埠頭へ、全戦力を移動させろ! 奴はそこにいる!」


『承知したわ。PMCのアルファチームをヘリで直行させる』


 セシリアの冷たくも頼もしい声が響く。


『所轄の強行犯係も動かす。……今度こそ、逃がさんぞ』


 深美の声には、警察官としての怒りと執念が満ちていた。


「Qちゃん、私たちはどうするの!?」


 純が自撮り棒を握りしめて聞いてくる。


「僕たちは、この部屋で奴を完全に『詰み』に持っていく。……ファントムは今、僕のウイルスに対処するため、一時的に外部ネットワークから孤立しているはずだ。その隙に、奴の逃走経路となるあらゆるシステムを僕がジャックして封鎖する」


 私はマンゴーラッシーを一気に飲み干し、糖分を脳の髄まで行き渡らせた。


「純、配信はこのまま続けろ。特定班の数十万の『目』で、本牧埠頭周辺の監視カメラをハッキングし、周辺の道路の様子を監視させろ。ネズミ一匹逃がすな」


「了解、ボス! ……さあ、特定班! ここからが私たちの逆襲よ! 絶対にあの亡霊を逃がさないわよ!」


 純の煽りに、コメント欄が怒涛の赤スパチャと共に「おおおおお!」と雄叫びを上げる。


 最強の盾と矛が現場へ急行し。

 最強の頭脳と目が、逃げ道を全て塞ぐ。


「……チェックメイトだ、ファントム」


 私はキーボードに両手を叩きつけ、ファントムのアジト周辺の交通管制システムへのハッキングを開始した。

 ポップコーンの香りが漂う安息のリビングから、数万人の仲間と共に放つ、最高で最狂の逆襲劇が、いよいよクライマックスを迎えようとしていた。


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