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安楽椅子探偵はスパチャで謎を解く ~住所特定班と挑む心霊事件簿~  作者: 伊達ジン


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第28話 歌姫の古傷

 午前4時35分。

 私の安息の地であるマンションの最上階リビングは、異様な熱気と沈黙に包まれていた。


 デュアルモニターの一つには、江東区の地下倉庫を探索する純たちのライブ映像。もう一つには、ファントムが残していった『60分』からカウントダウンを続ける赤いタイマー。

 残り時間は、あと25分を切ろうとしている。

 背後のソファでは、セシリア、ナオミ、ソフィア、エレナの四人が、それぞれの専門スキルを駆使して後方支援の作業に没頭していた。


 極限の緊張状態。

 だが、そんな張り詰めた空気を読まない小さな命が、私の足元にいた。


「……キュゥン、キュン」


 生後3ヶ月の柴犬、チャイだ。

 普段なら熟睡している時間だが、部屋の明かりが煌々と点き、人間たちがピリピリしているのを察知して起きてしまったらしい。

 チャイは私のスリッパに短い前足をかけ、ビー玉のような丸い瞳で、真っ直ぐに私を見上げてきた。そして、「お腹すいた」「かまって」と言わんばかりに、小さな舌で私の足首をペロペロと舐める。


「……お前というやつは。世界が滅亡する前日でも、ご飯の催促をしてきそうだな」


 私はタイマーから一切目を離すことなく、デスクの下に設置した小型の冷温庫へ片手を伸ばした。

 そこには、昨夜の内に『蝦夷鹿肉の赤身』と裏ごしした『カボチャのペースト』をヤギミルクで煮込んで錬成しておいた、特製の『鹿肉とカボチャのミルク・リゾット』が、完璧な人肌の温度で保温されている。


「ほら、食え」


 私が専用の陶器の皿を足元に置くと、チャイは待ってましたとばかりに突進してきた。

 ハフッ、ハフッ、チャプチャプチャプ!

 一心不乱にリゾットを平らげるチャイ。時折、「ん〜っ!」と美味しいものを食べた時特有の鼻を鳴らす音が漏れる。

 あっという間に完食したチャイは、鼻の頭に白いミルクとカボチャの黄色いペーストをベッタリとつけたまま、誇らしげに私を見上げた。

 そして、満足そうに「ふぅー」とため息をつくと、私の足の甲にアゴを乗せ、安心しきったように目を閉じたのだ。


「……」


 この小さな体温と無垢な信頼だけが、冷え切った私の思考を現実に繋ぎ止めてくれる。

 守るべき日常。帰るべき平穏。

 この小さな毛玉のためにも、私は負けるわけにはいかない。


「……癒やしチャージ完了だ。さあ、ゲームを続けようか」


 私は再びモニターに向き直り、インカムのスイッチを入れた。


『Qちゃん! 特定班の言う通りに進んだら、行き止まりの壁に赤い車が突っ込んでたわ!』


 現場の純からの報告だった。

 画面に映し出されているのは、積み上げられた廃車の迷路の最奥部。

 そこには、フロント部分がひしゃげた、古い真っ赤なスポーツカーが放置されていた。


「赤い目を持つ鋼鉄の獣……。その車のテールランプを調べろ。何か仕掛けがあるはずだ」


 私が指示を出すと、月子がカメラを構えたまま車に近づき、深美が懐中電灯でトランク周辺を照らす。


『あ、トランクの鍵穴の横に、変な差し込み口がある』


 深美が指差す。


『特定班、これUSBのポートじゃないか?』

『車のトランクにUSBとか完全に後付けの仕掛けだろ』

『ハッキング用の端末繋いでみろ』


 リスナーたちの指摘通り、不自然なUSBポートがあった。


「純。月子のカバンに入っている、僕の自作ツールをそこに挿せ」


『わ、わかった! これね』


 純がUSBメモリのような機械を差し込む。

 すると、ファントムの仕掛けた迎撃プログラムが即座に起動し、廃車のカーオーディオから、突如として大音量の「音楽」が鳴り響いた。


『――♪ ピュアな気持ちで、ジュリエット! あなたのハートに、チェックメイト!』


「なっ……!?」


 純が弾かれたように後ずさる。

 それは、電子音でチープにアレンジされた、アップテンポなアイドルソングだった。


『うわ、何この古臭い曲』

『地下アイドルの曲?』

『てか、これJUN様の声じゃね!?』


 コメント欄がざわつく。


『や、やめて……! 止めてよ!』


 純は両手で耳を塞ぎ、パニックに陥ったように叫んだ。

 その顔は恐怖に歪み、過呼吸を起こしかけている。


「純先輩! 大丈夫ですか!?」


 月子が慌てて駆け寄る。


「……純。その曲は、お前が昔『ピュア・ジュリア』という名で地下アイドル活動をしていた時のデビュー曲だな」


 私が冷静に指摘すると、純はビクッと肩を震わせた。


『……なんで。なんで、アイツがこの曲を……!』


 スピーカーから、音楽に被さるように、ファントムの歪んだ笑い声が響いた。


『ククク……。驚いたか、岡本純。お前の過去のデジタル・タトゥーをAIで掘り起こすのは造作もなかった。……お前がアイドルを辞めた本当の理由。それも、この車のネットワークに流し込んでやった』


 ファントムの声と共に、ダッシュボードのカーナビのモニターが不気味に明滅し、大量の画像データがスライドショーのように映し出された。


『……なんだこれは。ストーカーの盗撮写真……?』


 深美がライトでモニターを照らして息を呑む。

 そこには、純がアパートに出入りする姿、スーパーで買い物をする姿、果ては部屋の中での着替えの様子まで、異常なまでの執着で撮られた写真データが次々と表示されていた。


『やめろォォォッ!!』


 純が持っていた自撮り棒の柄で、カーナビのモニターを思い切り叩き割った。液晶が蜘蛛の巣状に砕け、画像がノイズに消える。

 彼女はそのまま膝から崩れ落ち、震える両手で顔を覆った。


「……純」


 私はインカム越しに声をかけた。

 彼女がなぜ、「美のカリスマ」などという虚勢を張り、強がって一人で配信を続けていたのか。その理由の片鱗が、ここにあった。


『……私、アイドルなんて、やりたくてやってたんじゃない……! 事務所に言われて、無理やり……!』


 純が、途切れ途切れに語り始めた。


『でも、少しずつファンがついてきて……嬉しかった。……けど、ある日、熱狂的なファンの一人が、ストーカーになったの。毎日のように無言電話が来て、ゴミ袋を漁られて、郵便ポストに切り裂かれた動物の死骸が入れられて……』


 彼女の声は、過去の恐怖をフラッシュバックさせ、小刻みに震えていた。


『警察に言おうとした……。でも、事務所の社長に止められた。「お前がファンサービスで男に媚びを売ったせいだ」「警察沙汰になればスキャンダルになる。他のメンバーにも迷惑がかかる。黙ってろ」って……!』


 理不尽な自己責任論。そして、組織からの切り捨て。


『……誰も、助けてくれなかった。私は事務所をクビになって、逃げるように引っ越して……人間が、誰も信じられなくなったのよ……っ!』


 だから彼女は、誰も頼らずに一人で生きる道を選んだ。


 「JUN様」という強気な鎧をまとい、ネットという安全な壁の向こう側から、承認欲求を満たすために。


『……傑作だろ、Q?』


 ファントムの悪趣味な声が響く。


『過去のトラウマに縛られた可哀想な女。こいつはここでリタイアだ。……さあ、時間は残り15分だぞ』


「……クソ野郎が」


 深美がギリッと奥歯を噛み締める。

 月子は木刀を握りしめ、スピーカーを叩き壊そうとした。


「待て、月子。手を出せばガスが出るかもしれない」


 私が制止する。

 そして、泣き崩れる純に向けて、あえて冷徹な声を投げかけた。


「……純。くだらない感傷に浸っている暇はないぞ。君の過去など、今のこの状況には1ミリも関係ない」


『Qちゃん……! あんた、人の心がないの!?』


「ないさ。僕は探偵だからな」


 私はキーボードを弾きながら続けた。


「だが、これだけは言っておく。……君は今、一人で震えていた過去の『ピュア・ジュリア』じゃない。数万人の特定班を従え、心霊現象の裏に潜む悪意を暴いてきた『JUN様』だ」


『……!』


「君の隣には、君を命がけで守る盾がいる。君の背後には、正義の剣がいる。……そして何より、君の頭脳には、この僕がついている」


 私は、部屋のソファで待機する仲間たちを一瞥した。


「ファントムの野郎は、君を揺さぶることで時間を稼ごうとしているだけだ。そんな三流のサイバー攻撃に、君が屈する義理はない。……顔を上げろ、純」


 インカムの向こうで、純の呼吸が少しずつ落ち着いていくのが分かった。

 彼女はゆっくりと顔を上げ、涙でぐちゃぐちゃになったメイクを、手の甲で乱暴に拭い去った。


『……そうね。あんたの言う通りだわ』


 純が立ち上がる。

 その瞳には、先程までの怯えは消え、代わりに猛烈な「怒り」の炎が宿っていた。


『私を誰だと思ってんのよ。……私は、安楽椅子探偵の第一助手で、最強の配信者、JUN様よ! こんな陰湿なハッキングごときで、私が折れるとでも思った!? ふざけんな!!』


 純の咆哮が、地下倉庫に響き渡った。


『おおおおお!』

『姐さん復活!!』

『過去なんて関係ねえ! 今のJUN様が最高だ!』

『ファントム絶対に許さん』

『赤スパ(50,000円)! 姐さん、そいつをぶっ飛ばせ!』


 コメント欄が、純の覚醒に熱狂し、怒涛のスパチャと応援メッセージで埋め尽くされる。


「よし、その意気だ。……純、その車のダッシュボードの奥、オーディオの配線がむき出しになっている部分があるはずだ。そこをカメラで映せ」


 純は躊躇うことなく車に身を乗り出し、月子がその後ろからカメラで覗き込む。


『あったわ! 赤、青、緑、黄色の導線が絡まってる!』


「特定班。モニターに表示された写真の日付と、今の『曲の再生時間』の関連性を探れ」


 数万人の頭脳が、瞬時にファントムの悪趣味な謎解きを解析する。


『分かった! 写真の日付の末尾と、曲のサビに入るタイムスタンプ(1分24秒)!』

『「1、2、4」番目の導線、つまり赤、青、黄色を切ればいい!』

『緑はダミーだ、切ったら爆発する系のやつ!』


「純、聞いたな。赤、青、黄色の線を切れ!」


『でも私、ニッパーなんて持ってないわよ!』


「そこを退け!」


 深美が横からスッと手を伸ばし、持っていたサバイバルナイフで、三本の導線を一刀両断した。


 プツンッ。

 悪趣味なアイドルソングが鳴り止んだ。

 同時に、車の背後にあった壁が、ウィィィィンという重低音と共にゆっくりと上昇し始めた。


『開いた……!』


 月子が歓声を上げる。

 シャッターの向こうには、長く続く無機質な通路と、その奥に重厚な金属製の扉が見えた。

 あそこに、シエラが捕らわれているはずだ。


「……よくやった。だが、時間は残り10分だ。走れ、純!」


『言われなくても!』


 純は、ヒールを脱ぎ捨て、裸足でコンクリートの床を駆け出した。

 月子と深美がその両脇を固めるように走る。


 彼女の背中には、もう過去の亡霊は取り憑いていない。

 ただ、仲間を助けるという強い意志だけが、彼女を前へ前へと突き動かしていた。


 待っていろ、ファントム。

 お前が開けた「パンドラの箱」の底から出てくるのは、絶望じゃない。

 私たちという、最高で最狂の「希望」だ。


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