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安楽椅子探偵はスパチャで謎を解く ~住所特定班と挑む心霊事件簿~  作者: 伊達ジン


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第21話 金子、初めてのUberEats

 午後6時。

 私の安息の地であるマンションの最上階リビングは、いつものスパイスの香りではなく、ツンと鼻を突く爽やかな酸味の匂いに包まれていた。


「……シャリの温度は人肌。完璧だ」


 私はキッチンカウンターに白木の寿司下駄を並べ、その奥で真剣な表情を作った。

 今日の夕食は、私が自ら握る『本格・江戸前寿司』である。

 炊き立ての米に合わせるのは、三年熟成の酒粕から作られた赤酢と、ミネラル豊富な天然塩のみ。砂糖は一切使わない、シャープでキレのある「赤シャリ」だ。


 まな板の上には、豊洲の仲卸から特別ルートで取り寄せた極上のネタが並んでいる。

 私はサク取りした本マグロの赤身を切り出し、熱湯をくぐらせてから素早く氷水に落とす『霜降り』の処理を施し、特製の煮切り醤油に数分間漬け込んだ。

 いわゆる『ヅケ』だ。


 右手でシャリをふわりと掴み、左手でネタを持つ。

 米粒と米粒の間に適度な空気を残しつつ、口に入れた瞬間にハラリと解ける絶妙な力加減。親指で軽くくぼみを作り、流れるような所作で形を整える。


「へい、お待ち」


 私は寿司下駄の上に、艶やかに輝くマグロのヅケを二貫置いた。


「うおおおおお! 店長、マジで寿司職人じゃないですか!」


 カウンターの向こう側で、中野月子が目をキラキラさせて歓声を上げた。

 彼女の隣では、岡本純が信じられないという顔で寿司を見つめている。


「Qちゃん、あんた本当に何者なの? ハッカーで探偵で、スパイスカレー作って、ついに寿司まで握り始めたわよ……」


「引きこもりの極みだと言っているだろう。外の回らない寿司屋に行けば、うるさい客と愛想笑いを強要する大将に疲弊する。なら、自分で握るのが最も合理的だ」


 私は冷蔵庫から、霜が降りるほどキンキンに冷やしたグラスを取り出した。

 そして、国産のクラフトビール『IPAインディア・ペールエール』を、泡の比率が7対3になるよう完璧な角度で注ぐ。


「さあ、食え。そして飲め」


「「いただきます!!」」


 二人が同時にヅケを口に放り込む。

 直後、二人の目が限界まで見開かれた。


「んんんんんまッ!! シャリが! シャリが口の中でほどける!」

「マグロの旨味が濃い! なにこれ、銀座で食べたら一貫二千円はするわよ!」


「そして、これを流し込む」


 私はIPAのグラスを掲げた。

 純と月子も慌ててビールを煽る。

 IPA特有の、柑橘系を思わせる華やかなホップの香りと、ガツンと来る強烈な苦味。それが、赤酢の酸味とマグロのねっとりとした脂を、鮮やかに、そして暴力的に洗い流していく。


「ぷはぁっ! 最高のペアリングですね!」


「……クゥン」


 足元から、不満げな声がした。

 見下ろすと、生後3ヶ月の柴犬の仔犬、チャイが「僕の分は?」と言わんばかりに短い尻尾を振って見上げている。

 私はあらかじめ用意しておいた、味付けなしの茹でたマグロの端材を犬用の皿に入れてやった。チャイは「サクッ、ハフッ」と嬉しそうな音を立ててそれを平らげた。


 午後7時半。

 用意した30貫の寿司は、月子のブラックホールのような胃袋を中心に、瞬く間に消滅した。

 私はまな板を片付け、手を洗いながら、二人に向かって宣言した。


「さて。メインディッシュは終わった。次はデザートだ」


「え、デザートもあるの? Qちゃんの手作りプリンとか?」純が期待の目を向ける。


「いや。今日はどうしても、僕が食べなければならない『限定メニュー』がある」


 私はiPadを純の前に突き出した。

 画面に表示されていたのは、都内でも屈指の行列店として知られる『パティスリー・グランクリュ』の公式ページ。

 そして、でかでかと宣伝されているのは、『1日20食限定・幻の和栗モンブラン』だった。


「うわ、これ超有名なやつじゃん。……でもQちゃん、これってお店に朝から並ばないと買えないやつよ? 今からじゃ絶対無理」


「フッ。情弱め」


 私は鼻で笑った。


「この店は、今日の18時から『UberEats』による限定デリバリーのテスト運用を開始したんだ。僕はすでにハッキング……いや、合法的なスクレイピングで、まだ在庫が3つ残っていることを確認している」


「えっ、デリバリーできるの!? じゃあ頼めば……」


「そうだ。純、お前のスマホで頼め」


「……は?」


 純がポカンとする。


「だから、お前のスマホにUberEatsのアプリを入れて、僕の代わりに注文しろと言っているんだ」


「なんで自分でやらないのよ! あんたのスマホでやればいいでしょ!」


「嫌だ。僕の個人情報やクレジットカード情報を、あのプラットフォームに握られるのはハッカーとしてのプライドが許さない」


「……究極に面倒くさい男ね!」


 純は呆れ果てながらも、私の「お前たちの分も奢ってやる」という言葉に釣られ、渋々自分のスマホで注文を完了させた。


『配達員が向かっています。到着予定時刻は20時10分です』


 アプリの画面には、自転車のアイコンがマンションに向かって移動してくる様子が表示されていた。


「へえ、今ってこんなに便利なんですねー」


 月子が感心したように画面を覗き込む。


「ああ。これさえあれば、僕の引きこもり生活はさらに盤石なものとなる。さあ、幻のモンブランとの邂逅を静かに待とう」


 私は紅茶を淹れ、優雅なティータイムの準備を始めた。


 しかし。

 20時10分になっても、インターホンは鳴らなかった。


「……遅いな。どうなっている?」


「えーっと……あれ? 配達員さんのGPS、マンションから3ブロック先の路地裏で止まったままだわ」


 純がスマホを見ながら首を傾げる。

 確かに、自転車のアイコンは15分前からピタリと動いていない。


「道に迷っているのか? メッセージを送ってみろ」


「送ったけど、既読にならないわ。……電話も通じないし」


 私は嫌な予感がして、手元のキーボードを叩いた。


「月子。ちょっと画面を見ろ」


 私はマンション周辺の防犯カメラのネットワークに侵入し、GPSが停止している路地裏の映像をメインモニターに映し出した。


「あっ! あれ、ウーバーの配達用バッグじゃないですか?」


 月子が指差した先。

 薄暗い路地裏の端に、自転車が倒れており、その横に黒い四角い保温バッグが転がっていた。

 しかし、肝心の配達員の姿はない。


「……僕のモンブランが、アスファルトの上に放置されているだと?」


「心配するとこそこ!?」


 純が叫ぶ。


「ただの事故じゃない。自転車は倒れているが、破損はない。……そして、この路地裏の奥にある『第3富士ビル』のシャッターが、少しだけ開いている」


 私は目を細め、即座に探偵モードへと切り替わった。


「純、配信を立ち上げろ。特定班を動かす。月子、木刀を持って出撃の準備だ」


「了解ッス! 私のモンブラン奪還作戦ですね!」


 月子が秒で立ち上がる。


 数分後。純の限定配信がスタートし、待機していた数千人のリスナーが集まってきた。


『みんな! 緊急事態よ! Qちゃんの頼んだモンブランが誘拐されたわ!』


『は?w』

『どういうことだよw』

『Qちゃんついにウーバーデビューしたのか』


「笑い事じゃない」


 私はマイクに向かって冷たく言い放つ。


「特定班。〇〇町にある『第3富士ビル』のテナント情報と、最近の不審な動きを洗え。配達員は、何らかの理由でこのビルに引きずり込まれた可能性が高い」


『了解』

『住所検索した。あのビル、表向きは空きテナントだぞ』

『待って、地元民だけど、あそこ夜中だけ黒塗りの車が出入りしてる』

『裏垢のタレコミ見つけた。「第3富士ビルの地下で違法カジノやってる」って噂がある』


「……違法カジノ、あるいは反グレの拠点か」


 私は状況を推理する。


「配達員は道を間違えてあの路地に入り込み、偶然、カジノの裏口でのトラブルか、現金の搬入作業を目撃してしまったんだろう。口封じのために捕まった」


「ええっ!? じゃあ早く助けないと!」


 純が青ざめる。


「月子! お前は現場に急行しろ! 警察には僕から連絡しておく。……いいか、最優先事項はモンブランの水平維持だ! 絶対に崩すなよ!」


「任せてください! 実業団仕込みのダッシュ、見せてやりますよ!」


 月子は木刀を片手に、弾丸のように部屋を飛び出していった。


 10分後。

 月子は第3富士ビルの路地裏に到着していた。

 彼女の胸元に取り付けられたウェアラブルカメラの映像が、モニターに映し出される。


『店長、着きました! 自転車とバッグ、まだあります!』


「よし。配達員は地下だ。シャッターの横にある通用口から入れ」


 月子は通用口のドアノブを回すが、鍵がかかっていた。


『鍵、閉まってますね』


「……蹴破れ」


『了解ッス!』


 ドゴォォォン!!

 元アスリートの強烈な前蹴りが、鉄製のドアを蝶番ごと吹き飛ばした。


「お取り込み中失礼しまァァァす!! ウーバーイーツでーす!!」


 月子は元気よく叫びながら、地下への階段を駆け下りた。

 カメラの映像が激しく揺れ、地下のフロアが映し出される。

 そこには、バカラ用のテーブルと、数千万の現金。そして、チンピラ風の男たちが5、6人。

 部屋の隅には、ヘルメットを被った若い配達員が、ガムテープで縛られて転がっていた。


「な、なんだお前は!?」

「警察か!?」


 男たちが慌ててナイフや鉄パイプを構える。


『お客様! ご注文の品はお揃いでしょうか!?』


 月子は全く怯むことなく、木刀を上段に構えた。

 男の一人が鉄パイプを振り下ろしてくる。


『遅いッスね!』


 月子は最小限の動きでそれを躱し、男の鳩尾に強烈な突きを叩き込んだ。


 「ぐはっ!」と男が崩れ落ちる。


「や、やっちまえ!!」


 残りの男たちが一斉に襲いかかってくる。


『純先輩、店長! 今日の私、お寿司パワーで絶好調です!』


 月子は笑いながら、狭い室内を縦横無尽に跳び回った。

 木刀が空気を裂く音が響くたびに、男たちが次々と床に沈んでいく。

 手首を打ち、膝を払い、最後にアッパーカット気味の突きでアゴを跳ね上げる。

 わずか3分。

 違法カジノのフロアは、完全に月子一人によって制圧された。


『ふぅ……。お待たせしました! お怪我はないですか?』


 月子は縛られていた配達員のガムテープを剥がした。


「あ、ありがとうございます……! 殺されるかと思いました……」


 配達員の青年が涙声で礼を言う。


『いえいえ! それより、モンブラン無事ですか!?』


「は、はい……バッグの中に……」


 その時、地下カジノの入り口から、聞き慣れた凛々しい声が響き渡った。


「そこまでだ!! 警視庁だ! 全員動くな……って」


 駆け込んできた原田深美は、床に転がる反グレたちと、木刀を構えて笑顔の月子を見て、盛大に溜息をついた。


「……金子。お前ら、また私の管轄外で派手な真似を……。今度は違法カジノの摘発か?」


 インカム越しに深美の呆れた声が聞こえる。


「人聞きの悪いことを言うな、原田刑事。今回はただの『ウーバーイーツの配達トラブル』だ。……事後処理は任せたぞ」


「……このカジノの売上金、証拠品として押収させてもらうからな。感謝しろよ」


 深美は部下たちに指示を出し、男たちを連行していった。


 午後9時。

 私のマンションのリビングに、月子が帰還した。

 彼女の手には、黒い保温バッグがしっかりと握られている。


「店長! 純先輩! 奪還成功です! しかも見てください!」


 月子がバッグから慎重にケーキの箱を取り出し、テーブルの上に置いた。

 箱を開けると……そこには、美しい螺旋を描く和栗のペーストが、1ミリの狂いもなく鎮座している『幻のモンブラン』があった。


「おおお……! 完璧だ! 月子、お前は天才か!」


「へへっ、カメラ用のジンバルを持つ要領で、バッグを完全に水平に保ちながら走りましたからね!」


 私は月子のプロフェッショナルな仕事ぶりに深く感動し、モンブランを皿に移した。


「よし、食べよう。……純、紅茶を淹れ直せ」


「はいはい。……でもさ、Qちゃん」


 純が紅茶を注ぎながら、クスクスと笑った。


「あんた、初めてのウーバーイーツでこんな事件巻き起こすなんて、やっぱり持ってるわね」


「……偶然だ。それに、僕の引きこもりライフを充実させるためには、この程度のトラブルは排除しなければならない」


 私はフォークでモンブランを切り分け、口に運んだ。

 濃厚な和栗の風味と、中に隠されたサクサクのメレンゲが、極上のハーモニーを奏でる。

 事件の後のスイーツは、格別だった。


「ワフッ!」


 足元で、チャイが「僕も甘いのが食べたい」とアピールしてくる。


「ダメだ。お前には犬用ボーロをやる」


 私はチャイにボーロを与え、紅茶を啜った。

 

 ネットと宅配サービスが発達した現代、外に出なくても世界中のあらゆるものを手に入れることができる。

 だが同時に、外の厄介事もこうしてデリバリーされてしまうらしい。


「店長! 私、モンブランだけじゃ足りないんで、今度はピザ頼んでいいですか!?」


「……却下だ。お前の食欲が一番のトラブルだ」


 賑やかな笑い声が、夜のマンションに響き渡る。

 私の安息の地は、今日も平和だった。



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