第7話:力の槍と、心の壁
硝煙が晴れた後に残った静寂は、勝利の安堵よりも、不気味な余韻のほうが戦場全体に沈殿していた。
キマイラ隊が確保した橋頭堡には、プラズマ兵器が焦がした金属の匂いと、魔獣の体液が蒸発する強烈な臭気とが入り混じり、鼻腔を刺す。
メディカルチームの許可が出て、俺たちはようやく防護マスクを外した。
「……う、……ぁ……」
若い兵士が、強化装甲服のヘルメットを脱ぐと同時に、その場に膝をついた。
嗚咽――精神の糸がぷつりと切れたようなその声に、俺も思わず足を止める。
「モニターには……ちゃんと緑色で『FRIENDLY』って……味方だって表示されてたんだ……なのに……!」
「落ち着いてください」
響が声をかける。俺もしゃがみ込み、彼女と並んだ。
学生である彼女を一人だけ対応に立たせるわけにはいかず、思わず身体が動いた。
本当は、こんな場所に彼女自身がいること自体おかしいのだ。だが――俺の制止を振り切って来てしまった以上、今さら後戻りはできない。
「あなたのせいじゃありません」
まだ青ざめた顔をしながら、響は必死に言葉を紡いだ。
「今、何が見えましたか? いえ――どんなふうに“感じ”ましたか? その体験が、次に皆を守る一番大切な情報になるんです」
兵士は、響の言葉にはっと顔を上げた。
精神干渉魔法――。
黄昏の旅団の術者が用いるあれは、機械のセンサーを欺くものではない。人間の「認知」そのものに干渉する、ほとんど呪いに近い術だった。
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「リュナさん、少しよろしいでしょうか?」
前線指揮所のテントへ向かおうとしたとき、響がリュナを呼び止めた。
声色はいつになく真剣だ。
「これから会う『王都の騎士団』って、どういう方たちなんでしょう? お貴族様なのですよね? 話し方で気をつけるべきことはありますか?」
「響さん……」
「私は正式なリエゾンではありませんが、愁也さんを支えるのが役目ですし。それに、リュナさんの故郷の方々に無礼を働きたくないんです」
リュナは少し考え込み、それから口を開いた。
「彼らは王家と王国に絶対の忠誠を誓う誇り高き戦士たちです。……でも、プライドが高いゆえに、魔力のない者や礼節を欠く者には厳しいかもしれません」
「なるほど……ありがとうございます、リュナさん。肝に銘じます」
響はメモ帳に走り書きをし、きゅっと唇を結んだ。
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橋頭堡の中央に立てられた即席の指揮所テント。
ここが異世界間、最初の公式会談の場となる。
エルドリア王国騎士団長ゲオルグが入ってきたとき、テーブルを見てわずかに眉をひそめた。
そこには、この周辺の地形情報が「板」に映し出されていたからだ。
『我々は、学術研究技術都市より派遣された部隊である』
俺がエルドリア語で言葉を発すると、間を置かず響が訳を添える。AIではなく、彼女自身の声で。
『黄昏の旅団は、貴国を脅かすと同時に、我々の世界にも侵攻を行った。共通の敵を前に――』
俺の言葉を遮ったのは、リュナだった。彼女はゲオルグの前に進み出て、深く頭を下げる。
「エルドリア王国騎士団長、ゲオルグ様。ご報告が遅れて申し訳ありません。王立魔法学院所属、リュナ=ルオフィスと申します」
声はかすかに震えていた。
「私は魔導書を護衛する任務に就いていました。しかし旅団の襲撃を防げず、魔導書は奪われ、先輩方も……! すべて私の責任です。どんな罰もお受けする覚悟です」
テント内に重苦しい沈黙が落ちる。
やがてゲオルグは深いため息を吐き、静かな武人の声音で言った。
「……顔を上げよ、学院の生徒。貴殿が生きて戻っただけでも、良しとせねばなるまい」
リュナが顔を上げた。その時だった。
騎士団の側近らしき男がゲオルグに耳打ちをする。
言葉は聞き取れないが、彼の表情が再び冷ややかに変わり、空気が緊張感を増した。
俺は騎士たちの鎧を思い返す。
華やかな意匠の奥に補修跡が目立ち、兵士たちの顔には疲労と諦観の影がにじんでいた。――虚勢だ。戦力の限界も近いのだろう。
「……ゲオルグ騎士団長」
俺は一歩、前へ出る。
「取引をしよう」
「取引だと? 魔力なき者が、この私と?」
ゲオルグは鼻で冷笑した。
「そうだ。お前たちは旅団に関する『情報』を持っている。俺たちは、旅団と戦える『火力』を持っている」
俺の言葉に、隣の響の表情が強張る。すぐに彼女が補足した。
「私たちには、皆様を助けるための特別な『力の槍』があります」
火力という語を避け、響は言葉を置き換えていた。的確なフォローだ、と内心で思う。
「愁也さん、少し失礼」
リュナが続ける。
「ゲオルグ様。響さんの言うとおりです。その『力の槍』は暴力ではなく、私の魔法を科学の力で解析し、魔獣が忌むエネルギーを再現したものです。それは、あなた方の聖剣と同じく民を守るための力なのです」
響とリュナ、二人が俺の言葉を補ってくれる。
ゲオルグは意外そうに二人を見つめ、再び俺に視線を戻した。
「……続けろ」
「互いに持たぬものを補い合い、共に敵を討つ。対等な取引だ」
空気が一瞬にして凍りつく。ゲオルグの視線に殺気を感じ取った、その時――
「報告します! 王国軍本体が到着しました!」
伝令の兵が駆け込み、重苦しい空気が断ち切られた。
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丘の向こうから現れた王国軍本隊。
鮮やかな旗と金属鎧の整然とした列は壮観で、さきほどの先遣隊の疲れ切った有様が幻に思えるほどだった。
橋頭堡へ本隊が入るや否や、兵士たちの間で噂話が囁かれる。
「見たか? あの妙な鎧の連中……」
「ゲオルグ様の隊と合流した謎の部隊らしい」
「旅団を追い払ったって話だが……」
その頃、三人の少女の姿があった。
学生らしい彼女たちは後方勤務部隊に所属しているらしい。
「謎の軍事組織……?」
エリザベスという名の少女が眉をひそめ、何かを決意したように歩み出す。その後を友人のアンナとセレスティアが慌てて追っていく。
三人が人波をかき分けてたどり着いた先にいたのは、キマイラ隊の兵士、そして中央に立つリュナだった。
「リュナ……!? 本当に、リュナなの!?」
アンナの叫びが響く。
リュナの瞳から涙が溢れ、彼女は友人たちへ駆けていった。
俺は一歩離れ、その光景を見守る。
「生きてた……! 本当に生きてたんだね!」
友人たちがリュナを抱きしめる。涙の雨に、俺の胸も熱くなる。
やがて、泣き止んだエリザベスが姿勢を正し、俺たちを冷静な目で見つめ直した。
その態度は、貴族らしい毅然としたものへと戻っていた。
響はその前に一歩進み、スカートの裾を摘んで丁寧に一礼する。
「初めまして、ローゼンベルク侯爵令嬢殿。天野響と申します。リュナさんとは互いに学友として言葉を教え合った仲です。皆さまとより良い関係を築けることを願っております」
エリザベスたちが驚きの表情を浮かべる。俺も慌てて片言で頭を下げた。
「……はじめまして。いずみ、しゅうや、です」
「……あなた方、私たちの言葉を?」
「はい。リュナさんから学びました。あなた方の文化に敬意を抱いています」
エリザベスはすぐに冷静さを取り戻す。
「リュナを保護してくださったこと、その労は認めます。しかし、この娘は我らが国の至宝。今後は異邦人のお力添えは不要です」
俺は何も言えなかった。
これが、この世界の「常識」なのだろうか。
だがその時。
「違う」
リュナの声が響く。
彼女は友人たちの手をそっと離し、俺たちの隣に並んだ。その瞳に、もはや涙はない。
「みんなの気持ちは嬉しい。でも私はもう、ただ守られるだけじゃない。愁也さんたちは私を『便利な魔法使い』じゃなく、一人の『リュナ』として見てくれた。この人たちと一緒に戦うのは、私自身の意志なの」
エリザベスは驚いたまま黙り込む。
「私はどちらかを選ばない。どちらも繋ぐ者になる。……それが、今の私の“魔法”だから」
俺はそっと、隣に立つリュナの小さな背中を見つめる。
――これが、世界と世界を隔てる壁を打ち砕く最初の衝撃なのかもしれない。
空には二つの月が静かに並び、淡い光を落としていた。まるで新しい関係の始まりを、静かに祝福しているかのように。




