第6話:ゲートの向こう側
第13ブロックの前線基地は、出撃前の最後の喧騒に満ちていた。
「全車両、最終チェック完了! いつでも行けます!」
テントの外では、キマイラ隊の各員が出撃に向け、それぞれの牙を研いでいた。
だが、その準備は武装点検だけでは終わらない。
装甲指揮車両に乗り込む直前、俺たちは純白の防護服をまとったメディカルチームに導かれ、仮設のクリーンルームへと押し込まれた。
渡されたのは、小型タンク付きのフルフェイス防護マスク。
「これより防疫措置を開始する。許可が下りるまで外部循環を停止し、完全気密での生命維持を行え」
冷徹なアナウンスと共に、消毒用ミストが霧となって降り注ぐ。
白いもやに包まれる感覚は、どこか宇宙船の隔離区画を思わせた。
(魔獣に殺される前に、微生物で死ぬ可能性がある…。なんて理不尽だ)
俺は、自嘲気味に笑みを浮かべながら、マスクを装着した。――それが、この世界と地球を隔てる最後の「境界線」かもしれないと思いながら。
隣に立つリュナが、見慣れない光景に不安そうに身を縮めている。俺は、彼女の肩を軽く叩き、大丈夫だと無言で頷いた。
消毒を受けてそのまま指揮車両へ乗車をする。
マイク越しに周りの状況が聞こえてくる。
「……観測拠点より連絡。世界シミュレーターの数値は安定。ゲート安定まで、残り30秒!」
張り詰めた声が飛び交う中、俺は装甲指揮車両のシートに深く身を沈め、固く目を閉じた。
隣に座るリュナも、防護マスクの越しに唇を真一文字に結び、膝の上で『賢者の杖』を握りしめている。
そして、俺たちの向かいの席では、響が小さなメモ帳に何かを書きつけ、如月博士が携帯端末の数式を睨みつけながら、それぞれが目前に迫った「未知」と向き合っていた。
車両の窓からは、空までも続くひび割れにたいして高射砲部隊や、りゅう弾砲部隊が配備されているのが見える。
万が一魔獣が漏れだす様なことや、ゲートの向こう側で、不測の事態があればゲートを越えて…次元のはるか彼方から砲弾が飛ぶようになっている。
とはいえ支援範囲はゲートのひび割れの範囲から狙える場所だけなので、過信は禁物だが。
『―――ゲート、安定。突入シークエンス、開始。健闘を祈る』
牧原先輩の冷静な声が、車両のスピーカーから響いた。
その号令と共に、俺たちを乗せた装甲車両の列が、眼前に広がる光のカーテン――安定化されたゲートへと、ゆっくりと突入する。
視界が真っ白に染まり、数秒間の浮遊感と、耳を圧迫するような完全な無音が支配する。
そして、ガクン、という強い衝撃と共に、車両は「向こう側」に到着した。
「ハッチ、オープン!」
後部ハッチが音を立てて開き、外の空気がなだれ込んでくる。
だが、最初に車両から飛び出したのは戦闘部隊だけではなかった。
彼らが周囲の安全を確保すると同時に、上から下まで完全気密の防護服に身を包んだ数名の研究員が、まるで月面に降り立つ宇宙飛行士のように慎重に大地に降り立った。
「大気サンプル、採取開始!……酸素濃度21%程度。窒素濃度78%。地球型世界の可能性が高いです。」
「土壌汚染レベル、計測不能な未知の微生物を多数検出!……緊急性の高い毒素は発見できず。」
「各員、バイタルに異常なし!」
彼らは携帯端末と接続されたセンサーをかざし、この世界の空気、土、そして微細なマナの流れまで、あらゆる環境データを貪欲に収集していく。
それは、オゾンと腐葉土が混じったような、重くまとわりつく濃密な匂いだった。
防護マスクのおかげで空気は外とつながっていないはずなのに、境を超えて世界の香りが漂ってくる。
肌をピリピリと刺すような、静電気に似た感触。
メディカルチームの報告を待たずとも、この世界が俺たちの常識とは全く異なる法則で動いていることを、肌で感じ取っていた。
車両を降りた瞬間、俺は自分の体重に奇妙な違和感を覚えた。
ほんのわずかに、体が軽い。
隣で、屈強な兵士が、何でもないはずの一歩で、僅かにたたらを踏んだ。
その時、隊員たちのヘルメットディスプレイに、一斉にエラーメッセージが走り、警告音が鳴り響く。
『警告! 重力定数に誤差! 全センサー、キャリブレーションを強制リブートします!』
「やはり……!」
白衣のポケットから無数のセンサーを取り出した如月博士が、興奮した声で叫んだ。
「愁也さん、ゲートを挟んでたった数十メートルで、物理法則そのものが書き換わっています! 重力が、地球より3%ほど低い!これは、星自体の組成や、衛星にも違いがあるでしょう!今すぐは難しいでしょうが……これから調べるのが楽しみですね!」
博士の言葉とは裏腹に、リュナは息苦しそうに胸を押さえた。
「マナが……濃すぎて、息が……。それに、何かが、たくさん……見てる……」
「大丈夫ですか、リュナさん!」
響が、心配そうにリュナの背中をさする。
「ええ……故郷の空気のはずなのに……。まるで、たくさんの『精霊』たちが、何かを恐れて、息を殺しているみたい……」
防護マスクのガラスの向こうでリュナの表情は固い。
「防護マスクで外気と触れていないはずなのだが……。」
「これがマナです。こんなに息苦しいなんて……思ってもいなかったです。」
空を見上げれば、明るい昼間だろうが、紅と白の二つの月が浮かび、入り混じった不気味な影を大地に投げかけていた。
まさしく異世界……月が2つあるとは。
「斥候ドローンより報告! 前方2キロ、視界が開けます!」
部隊は改めて慎重に前進し、やがて荒涼とした大地を見渡せる丘の上に出た。
そこで俺たちは、改めて「それ」を目の当たりにした。
遥か遠くの空に、巨大な岩塊が、物理法則を無視して浮かんでいる。
その上には、いくつもの尖塔を持つ、禍々しい城が鎮座していた。
それが、黄昏の旅団の本拠地と考えられる、『浮遊要塞』だった。
「全軍、一時停止!」
オオトモ大佐の号令が飛ぶ。
「これより、部隊を二つに分ける。工作部隊は、この場に橋頭堡を設営、電力ケーブルの敷設準備に入れ。
それから至急、ゲート向こうの砲撃部隊へ座標データを送り砲撃の修正を行え。
愁也リエゾン、リュナ技術顧問、如月博士、天野君、そして佐藤軍曹の第一中隊は、探索部隊として私に続け。メディカルチームから合図があるまでは防護マスクを脱がないように。」
指示を受けて、異世界派遣部隊はてきぱきと動き出す
俺たち探索部隊も、少し先の開けた場所で車両を降りて周囲の探索を始めた。
「……何か、嫌な感じがします」
リュナは、そう言うと、『賢者の杖』を静かに構えた。
「こんなにマナが濃い場所は、初めてです。……久しぶり過ぎて濃く感じるだけかもしれないですが、少し、周りを探ってみます」
彼女が集中すると、杖の先端から、不可視の魔力の波動が同心円状に広がっていく。
「素晴らしい……」
隣で、如月博士が携帯センサーをかざしながら、うっとりと呟いた。
「リュナ顧問から発せられるエネルギーが、地球での実験時よりはるかに大きいです。これで探査範囲が広がっているようです。」
その科学的な感動は、リュナの絶叫によって中断された。
「……! 敵です! 地中に、たくさん潜んでいます! 来ます!」
彼女の警告が言い終わるか、終わらないか。
乾いた大地が、どろどろと黒い泥のように盛り上がり、そこから多数の魔獣が出現して襲いかかってきた。
慌てて非戦闘員の俺たちは車に駆け込み後退を始める。
それを確認した護衛たちは陣形を組んで対応を始める。
「撃てッ!」
佐藤軍曹の号令が響き護衛の兵士たちが射撃を開始する。
新型プラズマライフル『ジャベリン』が一斉に火を吹き、青白い光の槍が魔獣の群れを効率的に駆逐していく。
(……やった、今度こそ、俺たちの力が通用するんだ…!)
佐藤の心に、確かな手応えが生まれる。
魔獣の波が引いたと思った、その矢先だった。
前方の丘の上に、ローブをまとった数人の人影が姿を現した。
「大佐、あれは…」
「分からん。だが、発砲は待て。現地住民の可能性もある」
だが、その考えは甘かった。
ローブの人物たちが静かに手をかざすと、今度は俺たちの足元から、新たな異形の魔獣たちが土中から這い出してきたのだ。挟み撃ちにする罠だった。
「敵性存在と判断! 撃て!」
兵士たちが即座にジャベリンで射撃する。
だが、俺たちには信じられない光景が広がった。
術者たちの前に現れた半透明の魔力の壁に、プラズマの奔流が吸い込まれるようにして、音もなく霧散してしまう。
「なっ…!?」
車両の外へ身を乗り出して双眼鏡で観察していた俺は信じられない思いだった。
「エネルギーが減衰しているんじゃない、プラズマの状態を維持できずに分解されています! ……ジャベリンの波長が、リュナ顧問の魔法に酷似しているからこそ、魔法でカウンターされているのか!」
指揮車両の中から、如月博士の驚愕の声が飛んできた。
術者たちが、報復とばかりにゆっくりと手をかざす。
だが、放たれたのは炎や雷ではなかった。
指揮車両の戦術モニターに、異変が起きた。
整然と隊列を組んでいた味方の識別信号が、突然、痙攣を起こしたように乱れ始める。
「なんだ!?」
俺は、第二分隊の分隊長のボディカメラ映像に切り替えた。
視界がぐらりと揺れ、目の前にいるはずの敵ではなく、隣にいる味方の兵士を映し出す。
『―――裏切り者!』
『敵は、お前だ!』
ノイズ混じりのスピーカーから響き渡ったのは、味方を罵る、意味不明な絶叫だった。
「ぐああああッ!」
「やめろ! 来るな!」
モニターの向こうで、最前線の兵士たちが、突如として叫び声を上げ、頭を抱えてうずくまる。
防護マスクを取り払い、仲間同士で銃を向け始める者まで現れた。
「マスクを外すんじゃない!!……聞こえていないのか。」
オオトモ大佐がマイクで全体へ声をかけるが全く反応がない。
如月博士が隊員のバイタルデータを見ながら叫ぶ。
「全隊員の生体センサーから、異常な脳波が! シータ波が強制的に……!? まるで、悪夢を見せられているような……!」
「―――私が行きます」
リュナが、静かに叫んだ。
「あれは精神干渉系の魔法です。攻撃はできませんが、あの術なら、私が止められます。今度こそ、私が守る番です」
リュナは車両から飛び下り、前線に駆け出すと、静かに詠唱を始めた。
「―――《心を鎮める風よ、この場の淀みを洗い流せ》」
彼女を中心に、柔らかな光のドームが広域に展開し、精神干渉を中和する防御結界が形成される。
「……はっ! 俺は、何を……」
兵士たちの混乱が収まり、指揮系統が回復する。
「プラズマ兵装は結界に無効だ! 武器換装! 実体弾で弾幕を張れ!」
オオトモ大佐が即座に指示を出す。
兵士たちのライフルの銃口から、プラズマの青白い光ではなく、オレンジ色のマズルフラッシュが迸る。
甲高い炸裂音が、異世界の大気に響き渡った。
だが、敵は怯まない。
ローブを着ていたから魔法使いと思っていたが、この世界の魔法使いは、肉弾戦も出来る方の魔法使いのようだ。
人とは思えぬ俊敏さで弾幕をかいくぐり、その距離を詰めてくる。
魔法使いのローブの内側から繰り出される腕には金属の爪が鈍く光を放っている。
金属の爪がヴァンガードの装甲を切り裂き、火花が散った。
無線から、悲鳴に近い声が飛び込んでくる。
「こちら第二分隊!敵の侵攻速度が速すぎる!押し切られるぞ!」
「くそっ、硬い! 50口径でも動きが止まらん!」
プラズマ弾は無力化され、大口径の弾丸も効果が薄い。
俺は、指揮車両の戦術モニターに表示される、味方の識別信号が一つ、また一つと赤く点滅し、やがて消えるのを、奥歯を噛みしめながら見つめていた。
「……大佐、決断を」
モニターに表示される消耗率を見ながら、俺はオオトモ大佐に進言した。
彼の表情に、苦渋の色が浮かぶ。
「…砲撃部隊へ。座標デルタ7、飽和攻撃、用意」
その命令は、ゲートの向こう、地球にいる砲撃部隊へと直接届いた。
「全軍、後退!繰り返す、全軍後退!」
大佐の命令が響き渡る。兵士たちが必死に後退を始める。
その戦略的後退を、逃走と思ったのか敵ががら空きになった陣形になだれ込もうとした、その瞬間。
空が、鳴いた。
ゲートの向こう側から放たれた無数の砲弾が、異世界の空気を切り裂いて降り注ぐ。
数秒間の轟音と振動が全てを支配した後、訪れたのは耳鳴りがするほどの静寂だった。
煙が晴れた先には、巨大なクレーターと、黒い塵となって消し飛んだ敵の残骸があるだけだった。
座標がずれたのか数台のヴァンガードが巻き込まれているが、その姿には傷はない。
あるのは…金属の爪で引き裂かれた醜い傷跡だけだ。
兵士たちが、呆然と立ち尽くす。
ある者は負傷した仲間に駆け寄り、ある者は警戒態勢を再構築しようと、震える手でライフルを構え直している。
斥候ドローンが、生存者を探してゆっくりと戦場を旋回する。
そのカメラが、遠方に人影を捉えた。
モニターにズームで映し出されたのは、旅団のローブではない。
ボロボロの鎧をまとい、傷つきながらも、その瞳だけは決して屈していない、誇り高い戦士たち。
彼らは、この地で戦い続けてきた王国軍の先遣隊だった。
その盾に描かれた紋章を見て、リュナがはっと息を呑んだ。
「あ、あれは……! 王都の騎士団です!」
二つの世界の、最初の邂逅だった。




