第2話:査察官と、費用対効果と、終わりの始まり
規則正しく明滅するサーバーのアクセスランプ、キーボードのタイピング音、そして時折響く、研究者たちの穏やかな会話。
ぼんやりとした春霞のような空気に、どこか緩んだ静けさが漂っていた。
その平穏を切り裂いたのは、牧原先輩だった。
「―――全員、手を止めろ。少し、厄介な話がある」
いつになく険しい表情で観測室へ入ってきた牧原先輩。その一言で、室内の空気は一瞬で氷点下に転じた。
研究者たちは手を止め、小さく息をのむ。
「近々、財務企画部の連中が、査察に来ることになった」
牧原先輩は嫌悪を隠さず吐き捨てる。
「彼らは我々とは違う物差しで物事を見る。我々の研究を『金のなる木』か『金を食う厄介者』としか見ていない。……いいか、絶対に失礼だけはするな」
オンラインでの形式的なやり取りはあれど、現実に乗り込んでくるのか。
その重さを、俺たちは後日、嫌というほど知ることになる。
会議スペースに響いたのは、笑顔なのに一切の温度を持たない声だった。
「―――『闇の魔導師』衣装一式、調達費200万円。『魔法少女マジカル・サラ』関連備品、350万円……和泉さん、これは一体どういう研究資材ですか?」
スーツに身を包んだ財務企画部の男――田中と名乗る。その指が分厚い予算執行報告書を隅々までなぞり、冷たい視線で俺たちを値踏みしてくる。その隣には、緊張を隠せないリュナと響。
(くそっ、いきなり一番痛いところを……!)
俺は心の中で舌打ちした。以前、リュナの有給休暇にかこつけて無理に通した予算――やはり、田中にはマークされていたか。
「……それは、被験者と『概念』との同期率を高めるために、不可欠な装備です」
隣の如月が、科学者として淡々と弁明する。
「科学の進歩とは、短期的なコストパフォーマンスで測れないものが――」
「お言葉ですが、如月博士」
田中は如月の言葉を断ち切り、冷ややかな口調で続けた。
「先日の高エネルギー暴走事故でのリュナ技術顧問の結界術は評価しています。そのため、封じ込め技術の研究予算は承認しました。しかし、この『魔法少女の衣装』は趣味にしか見えません。会社の金で個人的嗜好を通すのはご遠慮願いたいのですが?」
「それは違います!」
堪えきれず響が声を上げる。
「あの衣装は、リュナさんの魔法の力を最大限に引き出すための儀式 に必要なんです。神話でも、神との交信に特別な装束や言葉を使いますよね? この衣装はリュナさんと物語 を繋げる大切な――」
「天野さん、でしたね」
田中は鼻で笑い、響の言葉を容赦なく遮った。
「あなたの専門は言語学だったかと思いますが、ここは神学の教室ではない。私が求めているのはデータと論理的説明だけです。物語 や儀式 がどれだけ都市の利益に貢献するのか、説明していただきたい」
田中は無表情を保ったまま、指先でメガネを押し上げる。
響も如月も、ぐっと言葉を飲み込む。
「……まあまあ、田中さん」
俺は二人の間に入り、少しでも空気を和らげようと試みる。
「考え方を変えてみてほしい。この研究は、誰も知らない新型ウイルスに備えるワクチン開発のようなもの。今コストを惜しんで打ち切れば、将来は何百倍もの損失になる。これは未来への投資 だと思ってもらえませんか」
田中は初めて少しだけ表情を崩した――が、それは納得ではなく、値踏みの色合いだ。
「投資、ですか。では問います。この魔法少女の衣装 とやらが都市に直接どう貢献すると?」
そのあまりに直線的な問いに、俺は答えに詰まる。
―――Wrrrrrr! Wrrrrrr! Wrrrrrr!
観測室を突き抜け、聞いたこともない強烈な緊急アラートが鳴り響いた。
「何だ!?」
如月、牧原先輩、オペレーターたちが、即座に自席へ駆けだす。
田中はただ、状況が理解できず凍りついたまま、紙の束を不安げに握りしめている。
「……この波形……まさか……」
如月が、呆然とモニターを見つめる。
「未知の素粒子……コードネームMagic の放射パターン! けど、波形が完全に人工的――極めて規則正しいパルス信号です! 一体誰が……!?」
リュナの顔から血の気が引き、肩が震える。失ったはずの仲間たち――異形の怪物に全てを奪われた、あの日の絶望がよみがえる。
「……マナ、です」
か細い声。
「どうして……ここから、マナの気配が……?」
隣にいた響が、そっとその肩を抱く。
「博士! 反応源、屋外です! この施設から離れていますが、高度500!」
別のオペレーターが叫ぶ。
科学者たちが矢継ぎ早に用語を飛ばし合う中、田中はただ呆然と距離を置いたままだ。
違和感――合理だけでは測り切れない、圧倒的な恐怖に世界が浸食されていく。
牧原先輩がコンソールに向かい過去データと照合する。
「間違いない……リュナさんが魔法を使った時のエネルギーパターンと完全一致だ……!」
その一言が、田中の理屈を断ち切った。
彼が握る予算報告書の束が、乾いた音を立てて床に散らばった。
牧原先輩は、凍り付いた田中に向き直る。静かだが、鋼の力を込めて告げた。
「田中さん、あなたの言うことは正しい。平時なら衣装代など論外だろう。
だが今、起きているのは我々の常識が通じない現実だ。この異常なパルス信号が概念による攻撃なら?
あなたが趣味と切り捨てた衣装が、唯一の切り札になるかもしれない。
……ご理解いただけましたか。費用対効果という物差しが、通用しない世界なんです」
アラートと共に、日常の静けさは音を立てて崩れ去った。
俺は、震えるリュナの肩をそっと支えた――
それは、彼女を守るという小さな約束と、まだ見ぬ苦難に共に立ち向かう誓いだった。




