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幕間第5話:はじめてのハッピーバースデー

 たこ焼きパーティからしばらくたち、ラウンジの空気は以前とは少しだけ変わっていた。

 響の言語セッションのおかげで、リュナの日本語も少しずつ上達している。


「リュナさん、すごい! 今の発音、完璧です!」

「えへへ……」

 セッションの合間、響は興奮した様子でタブレットを操作していた。

「つかぬ事をお聞きしますが、リュナさんの世界では、感謝を伝える時は何て言うんですか? 例えば『ありがとう』って。あと、誰かに良いことがあった時にかける祝福の言葉とか!」

「感謝は……『エファ』。祝福の言葉は、少し長くて……『セリア・アーナ』です。『精霊のご加護を』という意味が込められています」

「セリア・アーナ……! わー、素敵!

『精霊のご加護を』かぁ……。なんだか、すごく大切な言葉って感じがしますね。覚えておこうっと!」

 響は、その音を忘れないように、自分の声で何度も反芻していた。


 その日の午後、きっかけは如月博士だった。彼は、リュナの脳波データの解析に没頭していた。


「リュナ顧問の記憶野からは、『学院』という単語に対し、極めて強い正の感情反応が観測される。愁也さん、この『学院』とは、我々の世界の『学校』という概念とは、何か違うのでしょうか?」

 その問いを、俺がフローラを介して伝えると、リュナは少しだけ、誇らしげに胸を張った。

「王立魔法学院は、エルドリア王国で最も歴史のある、魔法使いを育てるための場所です。私は、一般課程でしたけど……」


 彼女の世界にある、厳然たる身分制度。

 思考リンクで垣間見た友人たちとの屈託のない笑顔の裏に、彼女がどれほどの壁を感じていたのか、俺は少しだけ理解した気がした。


「ほう……『学院』。実に興味深い。ちなみにリュナ顧問の世界では、年齢はどのように数えるのですかな? 生まれた日を基準に一つずつ? それとも、何か別の周期で?」


 博士の純粋な問いに、リュナは少し考えてから答えた。

「生まれた日……は、あまり意識しません。新しい春が来ると、皆、一つ年を重ねます」


「なんと、集団的に加齢する概念ですか! なるほど!」博士は深く頷き、合点がいったという顔で続けた。


「では、その基準で、リュナ顧問が学院に入学されたのは、何回目の春のことですかな?」

「十六回目……の春、です」

「そして、その学院には何年、通われていたのですかな?」

「二年、です」


 その答えを聞いた瞬間、博士の目がカッと見開かれた。

「十六の春で入学し、二年間在籍……! ということは、現在のリュナ顧問の年齢は十八歳! 我々の尺度で言えば、高校二年生か三年生に相当しますな!」


 博士の言葉に、隣で聞いていた響が「えっ」と小さく声を漏らした。

 彼女は二十歳のはずだ。

 もっと年下の、守るべき対象だと思っていたリュナが、意外なほど自分と年が近いことに、純粋に驚いているようだった。

 その眼差しは、もはや言語学者から、一人の友人へと変わっていた。

 博士はそんな俺たちの感傷などお構いなしに、興奮冷めやらぬ様子で続けた。


「では、リュナ顧問! その十八年の始まりとなった『生誕の日』……つまり『誕生日』はいつですかな? 我々の暦に換算できるかもしれませんぞ!」

「たんじょうび……?」


 リュナは、首を傾げた。その単語は、AIのデータベースにも存在しなかったらしい。

 その時、隣でセッションの記録を取っていた響が、目を輝かせて身を乗り出した。


「『誕生日』に相当する語彙や文化がない…!これはすごい発見ですよ!……って、ごめんなさい、つい専門的なことが先に! それより、リュナさん、じゃあ今まで一度も『おめでとう』って言われたことないんですか? それは……ちょっと、寂しいっていうか……」


 俺は、心配そうにリュナの顔を覗き込む響に頷き、身振り手振りを交えて説明した。

「一年に一度、自分が生まれたことを、家族や友達がお祝いしてくれる特別な日のことだよ」

「そうそう! ケーキ食べて、プレゼントもらって! 絶対楽しいですよ!」


 響が力強くフォローするが、リュナはますます困惑した顔をした。

「私の故郷では、生まれた日を覚えている人なんて、ほとんどいません。貴族の方々は、血筋の記録のために、生まれた季節くらいは覚えているかもしれませんけど……。私は、確か『翠風の月』の、十五日目だったと、母から聞いたことがあります」


『翠風の月』。

 その、あまりにも詩的な響きに、響が「素敵……!」と感嘆の声を漏らす。


 だが、科学者は違った。

 如月博士は、すぐさま自分の端末を操作し、目を輝かせた。

「リュナ顧問! ぜひ教えてください! あなたの世界では、一年は何ヶ月なのですか? そして、一ヶ月は、何日なのですかな?」

「え、ええと……一年は、十三ヶ月です。一ヶ月は、29日の月と30日の月が、交互に来ます」

「ほうほう、実に興味深い! ということは、一年は……およそ380日周期、と。これを、我々のグレゴリオ暦に換算すると……」

 博士は、猛烈な勢いで数式を組み立て、シミュレーションを開始した。


 数分後、博士は「おおっ!」と歓声を上げた。

「出ましたぞ! リュナ顧問の誕生日! 我々の暦で言うところの……来週の、月曜日です!」


 その言葉に、ラウンジが、しんと静まり返った。

 来週。あと、七日後。

 あまりにも、突然で、あまりにも、近すぎるその日付。


 その夜。

 俺と如月博士、天野響、そしてモニター越しの牧原先輩は、四人で頭を突き合わせていた。議題はもちろん、一つだけだ。


「―――で、どうする?」

 先輩の問いに、俺は即答した。

「決まってるじゃないですか。やるんですよ、サプライズ・バースデーパーティーを」

「おお、素晴らしい!」

 博士が、子供のように手を叩いて賛同する。


「サプライズパーティー! やりましょう、絶対に!」

 俺の言葉に、誰よりも強く賛同したのは響だった。

 彼女はスマホを握りしめ、企画サークルのリーダーのような頼もしさで目を輝かせる。

「私、大学のサークルで新歓とかの企画、結構やってるんです! まずはケーキと飾り付け! これはマストですよね! 問題は……プレゼント、かぁ……」


 響が顎に手を当てて唸ると、博士が自信満々に提案した。

「ふむ、リュナ顧問の知的好奇心を刺激する『元素周期表タペストリー』などはどうかな!」

「博士、それは彼女が喜ぶというより、博士が欲しいだけでは……」


「じゃあ、服とか……?」

 俺が恐る恐る言うと、響がうーん、と首を捻る。


「服は良いですね! でも愁也さんの言う通り、サイズも好みも分からないのに選ぶのは危険すぎます……。じゃあアクセサリー? でも金属アレルギーとかあったら怖いし……。コスメ? いや、肌に合うか分からないし、そもそも使い方を知らないかも……。うーん、難しい!」


 響が頭を抱える。プレゼントのコンセプトは「彼女の世界にない、新しい価値観」が良いと分かっているのに、具体的な「モノ」に落とし込めない。

 まさに、企画が「煮詰まった」状態だった。


 しばらくの沈黙の後、響が「あっ!」と顔を上げた。


「そうだ! 私たちだけで悩んでてもダメですよ、これ!」

 彼女は俺と博士を交互に見て、きっぱりと言った。


「如月さん、この研究所に、私たち以外に女性の研究員さんとかっていませんか? いくら愁也さんがリエゾンでも、やっぱりこういうのは同性の意見があった方が絶対良いですよ! 他の女性の方にも意見を聞きに行きませんか?」


「女性研究員……うむ、君の言う通りだ!」

 響の提案に、如月博士がポンと手を打った。

「あっ! そういえば、材料物理学部門に、女性研究者がいたはず! 彼女なら、あるいは!」


 こうして俺たちは、そのまま如月博士の案内で、同じサテライトラボの別区画にある、材料物理学部門のラボへと向かうことになった。

 もちろん、響も一緒だ。


 そこにいたのは、白衣をスタイリッシュに着こなし、きっちりとまとめられた髪から、ほのかに上品な香水の匂いを漂わせる、いかにも仕事ができそうな女性研究員、佐々木さんだった。


「―――で、異世界から来たという、あの女の子に、誕生日プレゼントを渡したい、と。そういうわけね」

 佐々木さんは、面白そうに口の端を上げた。


「いいわ、協力する。異文化コミュニケーションにおける、ファーストコンタクトとしてのギフト戦略。最高のサンプルケースじゃない」


 佐々木さんの仕事は、迅速かつ的確だった。

 彼女は、俺たちが持参したリュナの映像データを数分間分析すると、即座に結論を出した。

「なるほどね。リュナ顧問の肌の分光反射率データから見るに、典型的なブルーベース・サマー。毛髪のケラチン構造は色素が薄く柔らかい。骨格シミュレーション上はウェーブと断定。結論、この子にはパステルカラーで粘弾性の低い、柔らかな素材が最適解。いきなり化粧品はアレルギーリスクと心理的ハードルが高いから、まずは天然香料由来のハンドクリーム、もしくは色付きのリップクリームから入るのがセオリーよ」


「すごい……! 人の外見的特徴をそんな風に言語化して分類するんですね! 色彩論と骨格形態学の応用……面白い!」

 響が目を輝かせる横で、男勢はただただ圧倒される。


「さ、行くわよ。和泉。あんたも来なさい」

「え、俺もですか!?」

「当たり前でしょ。最終的に、プレゼントを渡すのはあなたなんだから。自分の目で見て、自分の言葉で『君に似合うと思って選んだ』って言えなきゃ、意味がないのよ」


 そして、運命の月曜日。

 その日の魔法実験は、どこか奇妙な緊張感に包まれていた。

「―――次は『魔法少女エンジェル・ピーチ』の『ピーチロッド』です!」


 如月博士の号令に、俺は内心ひやひやしながら時計をちらりと見る。

 ラウンジでは、佐々木さんと響たちがパーティーの準備を整えてくれているはずだ。

 さっき連絡来たときは、まだケーキが届いていないっていう情報だったから何とか調整させないと……。


「愁也さん、どうかしましたか? さっきから、そわそわして……」

 リュナに怪訝な顔をされ、俺は慌てて首を横に振った。

「い、いや、なんでもない! 今日の実験は長丁場になりそうだからな!」

「む? そうですかな?」

 ケーキ到着が遅れていることを知らない如月博士が、純粋な目で首を傾げる。

 俺は彼にだけ聞こえるように「博士、時間を稼いでください! さっきの実験データ、もう一度、3番と5番のパラメータを入れ替えて再検証の必要性が出てきました! 超緊急です!」と、それらしい嘘を囁いた。

「なにぃ!? それは一大事! よろしい、リュナ顧問! 急遽、追加検証だ!」

 博士はあっさり騙されてくれた。よし、これで30分は稼げる!

 事情説明すると、多分顔に出るしなぁ……。


 実験の合間、俺は「ちょっとトイレに」と嘘をついて席を立ち、天野さんに状況確認のメッセージを送る。


『ケーキ到着。いつでもOK』という頼もしい返信に、俺はガッツポーズをした。


 戻ってくると、今度は如月博士が「おおっと、観測機器に些細なトラブルが! 少々お待ちを!」と、わざとらしい棒読みで叫びながら部屋を出ていく。

 おそらく、飾り付けの最終チェックだろう。


 全ての実験メニューを終え、疲れ果ててリュナを連れてラウンジに戻る。俺の心臓は、これまでの人生で一番、激しく脈打っていた。

 俺がドアを開けると、中は真っ暗だった。


「え? 明かり……ついていないですね……?」

 リュナが、不安そうに俺の白衣の袖を掴んだ、その瞬間。


 パンッ!というけたたましい音と共に、部屋の明かりが一斉に灯った。

「「「リュナさん(顧問)、お誕生日おめでとう!」」」


 クラッカーの煙の向こうで、牧原先輩や如月博士、天野さん、そして佐々木さんをはじめとする、プロジェクトのメンバーたちが、満面の笑みで拍手をしていた。

 テーブルの上には、フルーツがたっぷり乗った、美しいホールケーキが鎮座している。


「……え……? たんじょうび……? 私の……?」

 リュナは、何が起きているのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くしていた。その大きな碧眼が、驚きで揺れている。


 俺は、佐々木さんや響と相談しながら一緒に選んだ、一番大きなプレゼントの箱を、彼女の前に差し出した。

「これ、俺たちから。君に似合うと思って、選んだんだ」

 そして、俺は覚えたての言葉を、拙い発音で必死に紡いだ。

「えーっと……『せ、セリア……あーな?』」


 俺のしどろもどろな祝福に、リュナがぽかんとしていると、隣にいた響が、すっと前に進み出た。

 彼女はリュナの目を真っ直ぐに見つめ、優しく、そして完璧な発音で、こう言った。

「―――Serea arna, リュナ」


 その瞬間、リュナの表情が変わった。

 驚き、懐かしさ、そして込み上げてくる万感の想い。

 AI翻訳機を通さない、人の声で紡がれる故郷の祝福の言葉。

 それは、どんな高価なプレゼントよりも、彼女の心の深い場所に突き刺さった。


「……わ……」

 リュナの目から、ぽろり、と大粒の涙がこぼれ落ちた。

「……私の、ために……?」

 自分のために、こんなにたくさんの人が集まって、自分の知らない文化で、自分の知らない方法で、そして、自分のよく知る言葉で、祝ってくれる。

 その、あまりにも温かい事実に、彼女の心の最後の壁が、音を立てて溶けていくのが分かった。


 プレゼントの箱を開け、淡いブルーのワンピースを見つめる彼女は、涙で濡れた声で、故郷の言葉を呟いた。

「……Efa……」

 そして、はっとしたように顔を上げると、俺たち全員に、花が咲くように笑った。

「……ありがとう、ございます」


 その日、リュナは生まれて初めて、ケーキというものを食べた。

 そして、生まれて初めて、たくさんの人に「おめでとう」と言われた。

 最初は戸惑っていた彼女も、やがて、心の底から嬉しそうに、花が咲くように笑った。


 その笑顔を見ながら、俺は、リエゾンとしての決意を新たにしていた。

 この笑顔を守るためなら、なんだってできる。

 俺たちの、ささやかで、だけど、とても大切な作戦は、大成功に終わった。

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