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システムエンジニアと迷いし少女の物語  作者: 書との契約者
第1部 システムエンジニアと迷いし少女の物語
22/57

第22話:レッドブック

 地下駐車場からオフィスエリアへと続く非常階段は、不気味なほど静まり返っていた。

 外で猛威を振るう魔獣たちの咆哮も、シャッターの軋む音も、ここまでは届かない。

 聞こえるのは、俺たちの荒い息遣いと、ヴァンガードのサーボモーターが立てる重く、湿った駆動音だけだ。

 コンクリートの壁には、戦闘の熱で蒸発した水分が結露し、まるで洞窟の中のようにじっとりと濡れている。


「……こっちです」


 俺は、社員端末に表示された施設マップを頼りに、暗闇の中を先導する。

 数日前まで、同僚たちと「週末、どこ行く?」なんて他愛もない話をしながら歩いていたはずの廊下は、今や魔獣の黒い体液でぬめり、

 壁には生々しい爪痕が、まるで巨大な獣が悶え苦しんだかのように深く刻まれていた。


 あのとき逃げ出した経路を逆にたどっていく。

 幸いにもメンテナンス用の通路は一部破損があってもヴァンガードの力があれば問題なく通り抜けられた。


 やがて、俺たちがたどり着いたのは、広大なオフィスフロアだった。

 そこは、俺が社会人としての一歩を踏み出し、数えきれないほどの夜を明かした場所だった。


「……ひどい」

 リュナが、息を呑む。


 パーティションは無残になぎ倒され、デスクはひっくり返り、床には無数の書類と、誰かの私物だったマグカップの破片が、まるで墓標のように散らばっている。

 俺のデスクだった場所は、天井が崩落し、完全に瓦礫の山と化していた。かつて、当たり前のように存在した日常が、暴力によって粉々に砕け散った光景。

 そのあまりにも生々しい残骸に、リュナは息を呑み、俺もまた、胸の奥が締め付けられるのを感じた。


 その瓦礫の陰から、数体の小型魔獣が、赤い複眼を光らせて飛び出してきた。その数は、先ほど地下で見たものよりも、はるかに多い。

「散開! 敵を近づけるな! 弾薬を節約しろ!」


 部隊長の号令と共に、ヴァンガードたちが即座に陣形を組む。プラズマ砲が火を噴き、魔獣たちを的確に撃ち抜いていく。

 だが、彼らの弾薬も無限ではない。

 時折、マガジンを交換する際の、わずかな隙が生まれる。

 その隙を狙って、魔獣の爪がヴァンガードの装甲を切り裂く。

 リュナも杖を構えようとしたが、部隊長がそれを手で制した。

「リュナさんは杖を温存しろ! こいつらは、我々だけで対処できる!」


 その言葉通り、兵士たちは数に勝る魔獣の群れを、冷静かつ効率的に掃討していく。

 だが、彼らの疲労は明らかだった。息遣いは荒く、動きには精彩を欠き始めている。

 俺は、シールドを構え、リュナと兵士たちの間に立ち続けた。

 できることは、それくらいしかなかった。だが、そのシールドが、どれほどの時間、彼らを守れるのか、俺には分からなかった。


 数回の戦闘を切り抜け、俺たちはついに目的地のサーバーフロアへと続く、巨大なセキュリティドアの前にたどり着いた。

 だが、その分厚い鋼鉄の扉は、赤い警告ランプを点滅させながら、固く閉ざされていた。

 まるで、俺たちの行く手を阻むかのように。


「……システム障害による、緊急ロックダウンか」

 俺は、端末をドアの認証パネルにかざす。

 だが、返ってきたのは無機質なエラー音だけだった。焦燥感が、俺の胸を締め付ける。

「ダメだ……! 俺の権限じゃ開けられない! もっと上位の……管理者権限が必要だ!」


 俺が焦って端末を操作し始めた、その時だった。

 俺たちが進んできた通路の奥から、これまでとは比較にならない数の、無数の赤い光が、こちらへ向かってくるのが見えた。

 それは、小型魔獣の群れ。だが、その密度は、まるで津波のようだった。


「敵増援! 後方に防衛線を築け! 何としてでも、時間を稼ぐんだ!」


 背後で、ヴァンガードたちのプラズマ砲が再び火を噴く。だが、敵の勢いは、先ほどまでとは比べ物にならない。絶望的な数の魔獣が、波のように押し寄せてくる。

 俺は、兵士たちの怒号と、魔獣の甲高い悲鳴を背中に聞きながら、ただ必死に、目の前の電子の壁と格闘することしかできなかった。


「くそっ、開け、開け……!」

 俺は、背後で炸裂するプラズマの閃光と、兵士たちの怒号をBGMに、必死で端末を操作していた。だが、目の前のセキュリティドアは、まるで俺の焦りを嘲笑うかのように、無慈悲なエラーメッセージを吐き出し続ける。


【ACCESS DENIED: LEVEL 7 SECURITY LOCKDOWN】

【WARNING: UNAUTHORIZED ACCESS ATTEMPT DETECTED】


「くそっ…! セキュリティレベルが最大だ! クラッキング対策で、内側から完全に封鎖されてる!」

「何としてもこじ開けろ! ここを突破できなければ、我々はここで全滅だ!」

 部隊長が、シールドを構えながら叫ぶ。彼の足元では、ヴァンガードの空になったマガジンが、カラカラと虚しい音を立てて転がっていた。

 弾薬も、尽きかけている。兵士たちの顔には、疲労と、そして死を覚悟したような表情が浮かんでいた。


 その時、俺の脳裏に、あるシステムの存在が閃光のように蘇った。リーダー研修で、講師が物々しく語っていた、あの禁断の書。

(待てよ…リーダー研修で言ってたな…『レッドブック』! あれを使えば…! 保管場所は、この先の管理室のはずだ!)


「隊長! このロックを解除する方法が、一つだけあります!」

 俺は叫んだ。

「ですが、そのためには、一度ここから離れて、『あるもの』を回収しなきゃならない!」

「何だと!?」

「この先の管理室に、このロックを強制解除できる『緊急用の鍵』があります!」


 俺の言葉を、部隊長は即座に理解した。

 彼は、残った第二小隊の兵士たちに最後の指示を飛ばす。

「ここで時間を稼げ! 我々が戻るまで、一歩も通すな! 和泉君、俺と数名が君を援護する! 行くぞ!」

「はい!」


 俺たちは、再び瓦礫の山と化したオフィスフロアを引き返し始めた。

 その道中、部隊長がふと足を止め、ひっくり返ったデスクのそばに落ちていた写真立てを拾い上げた。ガラスは蜘蛛の巣状に割れているが、中には部署の仲間たちの集合写真が収められていた。

「……ここにも、普通の日常があったんだな」

 静かな呟きだった。

「そりゃそうですよ…」俺は、かろうじて声を絞り出した。

「ほんの数日前まで、俺たちがここで普通に業務してたんですから…」

 部隊長は、何も言わずに写真立てを持って再び前を向いた。

「……行くぞ」

 その声には、先ほどよりも強い決意がこもっていた。


 管理室は、サーバーフロアからそう遠くない場所にあった。だが、そこへ至る通路は、すでに小型魔獣の巣窟と化している。

 ヴァンガードがプラズマ砲で道を切り開き、俺たちはなだれ込むようにして室内へ転がり込む。


「これです!」

 俺は、壁に埋め込まれたセキュリティロッカーを指さし、祈るような気持ちで自分の社員端末をかざす。

 ピピッ……認証、失敗。

 無機質なエラー音が響き渡る。やはり、俺の権限だけでは開かない。


「くそっ……!」

 俺は焦り、管理室の奥へと視線を走らせた。そこには、管理者の執務スペースがある。

 通常なら、管理者が常駐しているはずの場所だ。だが、今は誰もいない。

「管理者端末……!」

 俺は、部屋の奥に転がっていた、管理者用の端末に駆け寄った。

 画面は真っ暗だが、電源は生きている。起動すると、パスワード入力が求められた。


「万事休すか……!」

 その時、部隊長が、ひっくり返ったデスクの引き出しを漁り、一枚のメモを見つけた。


「おい、和泉! これだ!」

 そこには、殴り書きで「緊急用管理者パスワード:12345678」と書かれている。


「セキュリティ管理、ガバガバかよ……!」

 俺は悪態をつきながらも、そのパスワードを入力した。画面が切り替わり、管理者権限でのログインが完了する。


 俺は、自分の社員端末から「緊急時使用申請書」を記入して、システム上で提出を行う。

 すると、管理者端末の画面に、瞬時に通知が表示される。


「……承認」

 俺は、迷うことなく承認ボタンを押した。緊急時なんだ。誰がやったって同じだ。


 自分の社員端末に「緊急利用申請が承認されました」という通知が表示される。

 それを、セキュリティロッカーの認証パネルにかざすと、電子錠がカチリと音を立てて開いた。


 ロッカーの中には、一冊だけ、分厚いファイルが鎮座していた。深紅の表紙に、金文字で『RED BOOK』と刻まれている。

「……あった」

 安堵の息を漏らし、俺はそれに手を伸ばした。

 だが、その指先がファイルに触れるか触れないか、その瞬間。


 ―――ガアンッ!


 管理室のドアが、外側から巨大な力で吹き飛ばされた。

 轟音と粉塵と共に、そこに立っていたのは、一体のヴァンガードだった。

 だが、その機体の腹部は大きく破損し、そこから黒い触手が脈打っている。

 バイザーの奥で光るのは、あの魔獣と同じ、禍々しい赤い光だった。


「……こいつ、封じ込めチームのヴァンガードか……!」

 部隊長が吐き捨てる。

「……やられた屍に、寄生されたか」


 赤い光を放つヴァンガードが、プラズマ砲の銃口を、ぎこちなくゆっくりとこちらに向ける。

 絶望的な静寂の中、部隊長が、先ほど拾ったあの割れた写真立てを、俺の胸に押し付けた。


「和泉君。君は、なぜ戦う?」

 俺が言葉に詰まると、彼は静かに笑った。

「……俺は、ただの軍人だ。この写真の中にあるような、くだらなくて、ありふれた日常を守れれば、それでいい。だが、………どうやら俺の仕事は、ここまでらしい」


 それが、最後の言葉だった。

 光が放たれるよりも早く、部隊長は自らのシールドを投げ捨て、敵ヴァンガードに向かって一直線に突進していた。

「隊長っ!」


 俺の叫びも届かない。

 部隊長は、敵の懐に飛び込むと、その破損した腹部に組みついた。そして、自身のヴァンガードの胸部にあるコアユニットをこじ開け、オーバーロードスイッチを起動させた。


「―――俺の部下たちが守ろうとした日常も! お前が守るべき未来も! こんな鉄クズの化け物にくれてやるものかッ! 行け、若いの!」


 彼の最後の叫びは、部下への追悼であり、俺たちへの激励だった。

 そして、俺に託された、未来への希望の叫びでもあった。

 次の瞬間、ヴァンガードのコアが臨界点を超え、全てを飲み込む光となった。

 凄まじい轟音と衝撃波が、狭い通路を駆け巡る。俺は咄嗟にリュナを庇い、床に伏せた。

 爆炎が収まった後、俺が顔を上げると、そこには何も残ってはいなかった。


 黒く焼け焦げた壁と、通路の奥へと続く、ぽっかりと開かれた道だけが。

 部隊長が、その命と引き換えに、俺たちの進むべき道を切り開いてくれたのだ。


 俺は、唇を強く噛しめ、託されたレッドブックを胸に抱きしめた。悲しみに暮れている時間はない。

 部隊長の犠牲を無駄にしないためにも、俺は、再び立ち上がった。その瞳には、新たな決意の光が宿っていた。

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