第23話:始まりの場所へ
部隊長の犠牲によって開かれた道を、俺たちは無言で進んだ。
託されたレッドブックの重みが、彼の最後の言葉と共に、ずしりと腕にのしかかる。
その重みは、俺たちの背後から迫る魔獣の咆哮よりも、はるかに重かった。
セキュリティドアの前では、第二小隊の残存兵たちが、俺たちが来た通路の奥に向かって、必死の防衛線を築いていた。
満身創痍のヴァンガードの装甲は至る所がひしゃげ、火花を散らしている。
彼らはその機体を盾にしながら、迫りくる魔獣の群れを食い止めていた。
俺たちの姿を認めると、一人の兵士が安堵と焦燥が入り混じった声を上げた。
「戻ってきてくれたか……! だが、もう限界だ……!奴ら、数が多すぎる!」
彼の言葉を裏付けるように、プラズマ砲の発射間隔は目に見えて長くなり、その威力も衰えている。
バッテリーが尽きかけているのだ。
俺はレッドブックを開き、震える指でページをめくる。
そこに記されていたのは、緊急時用の複雑怪奇なコマンドラインだった。
俺はそれを社員端末に一字一句正確に打ち込み、認証パネルにかざす。
(頼む……動いてくれ……! 隊長の死を、無駄にするな……!)
【EMERGENCY PROTOCOL ACCEPTED: OVERRIDING LOCKDOWN】
数秒の、永遠にも感じられる沈黙の後、重い金属が軋む、耳障りな音を立てて、巨大なセキュリティドアがゆっくりと開いていく。
その隙間から、冷たい、澱んだ空気が流れ込んできた。
それは、希望の扉であると同時に、未知の領域への入り口でもあった。
だが、その希望は、新たな絶望によって即座に打ち砕かれた。
扉の向こうの暗闇から、赤い複眼が、無数にこちらを覗いていたのだ。
「なっ……! 向こうからもか!」
兵士の一人が叫ぶ。挟み撃ち。
絶望が場を支配する。
その瞬間、第二小隊のリーダーが、俺の目を真っ直ぐに見て、叫んだ。
「和泉! 指示を! お前の目的は、この先にあるんだろうが! 俺たちは軍人だ。目的達成のためなら、喜んで駒になる!」
俺に、指示を? 軍人でもない、ただのエンジニアの俺に?
だが、迷っている時間はない。背後からは、限界を超えた友軍の悲鳴。
目の前には、新たな敵の群れ。そして、この扉の先に、全ての元凶がある。
会社員として、人の生死を左右するような決断など、一度もしたことがなかった。だが、もう、ただの会社員ではいられない。
(選べ。俺が、選ぶんだ。この人たちの命の、使い方を)
俺は、奥歯を噛み砕くほどの力で、叫んだ。
「第二小隊は、ここで敵の増援を食い止めてください! 俺たちがゲートを止めるまでの、時間を稼いでほしい!」
それは、彼らに「ここで死んでくれ」と、遠回しに言っているのと同じだった。
俺の全身から、血の気が引いていく。
だが、小隊リーダーは、その非情な命令に、ニヤリと笑って敬礼した。
「了解した。だがここに残るには俺だけだ。……未来を、頼んだぞ、司令塔。必ず、生きて戻れよ」
そういうと、セキュリティドアの向こう側へ数発プラズマ弾を撃ち込み、ドアの前に陣取っていた敵を排除する。
彼の構えていたプラズマ砲のバッテリーパックがガシャという音を立てて排出される。
「今のうちに中へ!」
俺は叫び、リュナと残りの兵士たちと共に、開かれた扉の向こう、サーバーフロアへと転がり込んだ。
そして再びドアは小隊リーダーを残して閉じられた。
中は……、評価室があったところは完全に崩壊していた。
サーバーラックはドミノ倒しのように連鎖的になぎ倒され、無数のケーブルが、まるで巨大な獣の血管のように床をのたうち回っている。
天井からは、断線したケーブルが火花を散らしながら垂れ下がり、スプリンクラーの水と反応して、パチパチと不気味な音を立てていた。
かつて整然と区画を分けていたはずの壁は、どこにもない。全ての部屋の仕切りが破壊され、だだっ広い一つの巨大な空間と化していた。それは、俺たちの日常が、根底から破壊されたことを象徴するかのようだった。
そして、その空間の中央。
かつて、評価室3があったはずの場所に、それはあった。
「……あれが……」
リュナが、息を呑む。
その瞳は、恐怖と、そして深い悲しみに揺れていた。
偶然とはいえ、自分をこの世界に連れてきたゲートが、今、目の前にある。
それは、彼女が護衛任務から逃げてきた、まさにその場所だった。
半透明の、オーロラのような膜が、中空で静かに揺らめいていた。
それはまるで生きているかのように、ゆっくりと脈動し、時折、その表面にリュナの故郷のものと思しき、鬱蒼とした森の風景が一瞬だけ映っては消える。
その風景は、見るたびに鮮明さを増しているように思えた。二つの世界が、ゆっくりと、しかし確実に融合しようとしているかのようだ。
これが、二つの世界を繋いでしまった、唯一の扉。
全ての元凶。
そして、この世界の終わりを告げる、破滅の兆候。
不思議と、そこから何かが新たに出てくる気配は今この瞬間はなかった。
だが、その静寂が、かえって不気味さを増幅させていた。
俺は、その光景から目を離し、近くでかろうじて電源が生きているシミュレーターの管理端末へと駆け寄った。
コンソールを叩き、現在のシステムログを呼び出す。
そこに表示されていたのは、無機質なメッセージだった。
【CONNECTION STATUS: ESTABLISHED】
【WORLD-GATE: ACTIVE... SYNCHRONIZING...】
(接続され続けている……! それどころか、同期が始まっている……!?)
俺は、この絶望的な事実を伝えるため、耳元のインカムに手を当てた。
「先輩! 聞こえますか、俺です! 和泉です!」
数回のノイズの後、牧原先輩の切羽詰まった声が頭蓋に響く。
『愁也か! 無事だったか! そっちの状況は!?』
「はい……! なんとか評価室3があった場所までたどり着きました。ですが……ゲートは、まだ生きています……! そして、このままでは、この世界が……!」
俺の言葉は、途中で途切れた。だが、牧原先輩には、俺の言いたいことが伝わっただろう。このゲートを止めなければ、俺たちの世界は、ずっと繋がりっぱなしで、この悪魔みたいなくそったれな怪物が湧き続けるのだろう。
始まりの場所で、今、本当の最終決戦が始まろうとしていた。




