第3章 災害
「ゴールド・オーガニゼーション機は、無事に離陸しました。先ほど訪れた町に忘れ物がないか、今一度ご確認ください。」
機内のスピーカーからアナウンスが流れる。
サイは機内の通路を走り、窓のそばまでやって来た。
「うわぁ……。」
少し寂しそうに呟く。
「母さんに許可をもらわないまま来ちゃった。」
窓の外を見つめながら、小さくため息をつく。
「どうしよう……。」
「母さん、きっと悲しんでるよね。」
その時だった。
「ねえ、君。」
後ろから声をかけられる。
サイが振り向くと、一人の少年が立っていた。
「一人なの?」
「う、うん。」
サイは少し緊張しながら頷く。
「君も僕と同じ新しい参加者?」
少年が尋ねる。
「うん!」
「お兄さんも?」
「そうだよ。」
少年は微笑んだ。
「応募した人たちは、みんなこの飛行機で本部へ向かうんだ。」
「へぇ。」
サイは目を輝かせる。
「知らなかった!」
「あっ、そうだ。」
少年はポケットから小さなチョコレートを取り出した。
「これ、あげる。」
「えっ!」
サイは嬉しそうに受け取る。
「ありがとう!」
その笑顔を見た瞬間――
少年の表情が一瞬固まった。
(この子……。)
アグラタと同じように、どこか驚いたような表情を浮かべる。
「どうしたの?」
サイが首をかしげる。
「……いや。」
少年は小さく首を振った。
「何でもない。」
それだけ言うと、そのまま歩き去ってしまう。
サイは不思議そうにその背中を見つめた。
「変なお兄さんだなぁ。」
小さく呟く。
「まあいいや!」
手の中のチョコレートを見て笑顔になる。
「チョコレートもらえたし!」
包みを開けて嬉しそうに食べ始めた。
再び窓の外へ目を向ける。
「高いなぁ。」
「家が小さな箱みたいに見える。」
景色を夢中で眺めていると――
「あっ!」
「僕の家だ!」
サイは窓へ顔を近づけた。
「母さーん!」
「聞こえるー!?」
もちろん届くはずはない。
それでもサイは大声で叫ぶ。
「僕、父さんみたいにゴールド・オーガニゼーションに入るよ!」
「そして、いつか立派な政府の人になって、この国を平和にする!」
「母さんに絶対証明するから!」
その時だった。
「……あれ?」
サイは遠くの空を見つめる。
黒い煙がゆっくりと立ち上っていた。
煙はどんどん大きくなり――
ドォォォン!!
突然、大きな爆発音が響く。
「うわっ!」
サイは慌てて耳をふさいだ。
同時に機内へ警報が鳴り響く。
再びスピーカーから声が流れた。
「ゴールド・オーガニゼーション隊員へ。」
「これより第一都市へ引き返します。」
「大規模な地震が発生しました。」
「直ちに救助活動を開始してください。」
「なお、新規参加者は機内から降りることを禁止します。」
「えっ?」
サイは耳から手を離した。
「今、何て言ったの?」
「どうして戻るの?」
しかし次の瞬間。
「そんなことより!」
サイはぱっと笑顔になる。
「母さんに会える!」
その頃、他の参加者たちも通路へ集まってきていた。
「今の放送、聞いた?」
「どうしよう!」
「僕たちも降りるの?」
「いや、降りちゃ駄目って言ってたよ。」
「じゃあどうする?」
「ここから見るしかないね。」
やがて飛行機は再び地上へ降下していく。
その頃には地面も激しく揺れ始めていた。
スピーカーが再び流れる。
「参加者の皆さん、落ち着いてください。」
「この飛行機は安全です。」
「どうか慌てず、機内で待機してください。」
その間にも隊員たちは次々と飛行機を降りていく。
警察官。
医師。
消防隊員。
それぞれ装備を持ち、全力で町へ駆け出した。
「急げ!」
ロッキーが大声で叫ぶ。
「一人でも多く助けろ!」
隊員たちはそれぞれの持ち場へ散っていく。
サイはその様子を見つめていた。
「大変そう……。」
不安そうに呟く。
「母さんのところへ行かなきゃ!」
そう言うと、勢いよく飛行機を飛び出した。
「おい!」
後ろから他の参加者が叫ぶ。
「どこへ行くんだ!」
しかしサイは止まらない。
地面へ降り立った瞬間、不思議そうに足元を見る。
「地面が揺れてる……。」
周囲では人々が悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。
「みんな、すごく慌ててる……。」
サイは拳を握る。
「早く母さんを探さなきゃ!」
そう言って家へ向かって走り出した。
「急げ! みんなをあの草原まで避難させろ!」
ロッキーが大声で指示を飛ばす。
「草原?」
走りながらサイがつぶやく。
「あそこって、今朝みんなで朝ご飯を食べた場所だ。」
「皆さん、こちらです!」
カイが人々を安全な場所へ誘導する。
避難する人々は次々と草原へ向かって走り始めた。
「ここしか避難できる場所がないなんて……。」
カイは悔しそうにつぶやく。
その時――
「ん?」
カイは目を見開いた。
人混みの中を、一人の少年が必死に走っている。
「サイ!?」
「君、どこへ行くんだ!」
カイは慌てて後を追いかける。
サイは走りながら周囲を見回した。
揺れる建物。
悲鳴。
舞い上がる砂ぼこり。
「建物が……。」
「今にも倒れそうだ……。」
その時だった。
「あっ!」
サイの目が大きく開く。
「母さん!」
マワールの姿を見つけた。
彼女も必死に逃げていた。
「母さん!!」
サイは力いっぱい叫ぶ。
マワールが振り向く。
「サイ!」
驚いた表情になる。
「母さん!」
「僕――」
しかしマワールは叫んだ。
「来ちゃ駄目!」
「ここは危ない!」
「早く飛行機へ戻りなさい!」
「えっ?」
サイは驚く。
(どうして母さんが知ってるんだろう。)
そんなことを考える間もなく、
「母さん!」
「一緒に来よう!」
サイは必死に手を伸ばす。
しかしマワールは首を振った。
「駄目!」
「あなたは早く逃げて!」
「でも――」
その瞬間だった。
ゴゴゴゴ……
マワールのすぐ近くにあった建物が大きく揺れる。
「母さん!」
サイは青ざめた。
「危ない!!」
全力で走り出す。
マワールも上を見上げた。
「きゃあっ!」
ドォン!!
建物の一部が崩れ落ちる。
「母さん!!」
サイは叫ぶ。
瓦礫の下敷きになったマワール。
胸から上だけが外へ出ていた。
「サイ……。」
苦しそうな声だった。
「逃げて……。」
「早く……。」
「嫌だ!」
サイは涙を流しながら近づこうとする。
「僕が助ける!」
しかしその瞬間――
ぐいっ!!
誰かが後ろからサイの腕をつかんだ。
「離して!」
サイは必死にもがく。
振り向くと、
そこにはカイがいた。
「ここは危険だ!」
カイはサイを抱き寄せ、その場から離れようとする。
「嫌だ!」
「離して!」
「何するんだよ!」
サイは泣き叫んだ。
その時。
さらに大きな岩が崩れ落ちる。
マワールは最後に微笑んだ。
優しく。
いつものように。
そして――
ドォォン!!
巨大な瓦礫が落ちた。
「母さん……。」
サイは呆然と立ち尽くす。
目の前で。
母親の姿が完全に瓦礫の下へ消えた。
「母さん……。」
震える声でつぶやく。
そして、
「母さああああああああん!!!!」
悲痛な叫びが町中へ響き渡った。
***
「くそっ!!」
ロッキーは怒りを抑えきれず、勢いよく壁を殴った。
「ちくしょう……! 俺たちはなんて無力なんだ!」
夕日が少しずつ沈み始め、空は茜色に染まっていた。
彼らは朝からずっと第一都市の救助活動を続けていた。
「ロッキーさん、どうかご自分を責めないでください。」
カイが静かに声をかける。
「責めるなだと!?」
ロッキーは振り向き、悔しそうに拳を握った。
「街の住民の三〇%が助からなかったんだぞ!」
「こんな救助隊員のどこが誇れるっていうんだ!」
カイは少し目を伏せる。
「ですが、今は隊長へ報告することが先です。」
「……そうだな。」
ロッキーは深く息を吸い、気持ちを落ち着かせようとした。
それでも悔しさは消えなかった。
「では、私は先に失礼します。」
そう言うと、カイはロッキーを残して部屋を後にした。
***
「つまり、生存者は七〇%ということか。」
アグラタが静かに尋ねる。
「はい。」
カイはうなずいた。
「被災者の確認はほぼ完了しました。」
「残るのは、まだ発見されていない方々の捜索です。」
「そうか……。」
アグラタは静かに息をついた。
「こちらが今回確認できた死亡者名簿です。」
カイは数枚の書類を差し出す。
アグラタはそれを受け取り、一人ひとりの名前を確認し始めた。
「……ん?」
彼の視線が、一つの名前で止まる。
「マワル……?」
カイは静かに答えた。
「先ほどの少年――サイ君のお母さんです。」
アグラタは眉をひそめる。
「確認ミスではないのか?」
「いいえ。」
カイは首を横に振った。
「間違いありません。」
少しの沈黙のあと、静かに続ける。
「サイ君のお母さんは……亡くなりました。」
***
夕日に照らされた機内の通路を、一人の少年が静かに歩いていた。
無表情で、淡々と前だけを見つめながら歩いていく。
やがて通路の先に、小さな子どもの姿を見つけた。
サイだった。
彼は窓の外を見つめながら、静かに涙を流している。
何度も涙をぬぐっているが、次から次へと涙があふれて止まらない。
少年は少し不思議そうに見つめたあと、ゆっくりサイのほうへ歩いていった。
少年はサイの前で足を止めた。
サイは泣き続けていて、少年が近づいてきたことにも気づいていなかった。
「おい。」
少年が静かに声をかける。
サイはしゃくり上げながら顔を上げた。
「……何?」
涙をぬぐいながら、小さな声で答える。
「どうしてここにいる?」
「新入隊員は全員、部屋に集まっているはずだ。」
少年は無表情のまま尋ねた。
サイは答えなかった。
涙をこらえようと何度も目をこする。
「……どうして泣いている?」
その一言を聞いた瞬間――
サイは再び声を上げて泣き出した。
少年は少しだけ困ったように眉を動かす。
「母さんが……。」
サイは震える声でつぶやく。
少年は黙って続きを待った。
「母さんが……もう、いないんだ……。」
サイは声を詰まらせながら泣き続ける。
少年は眉をひそめた。
「どうして?」
「さっきの地震で……建物の下敷きになって……。」
サイは涙を流しながら答えた。
「新入隊員は外へ出てはいけなかったはずだ。」
少年は静かに言う。
「母さんに話したくて外へ出たんだ……。」
「でも……。」
「目の前で母さんが死ぬところを見てしまった……。」
サイは顔を覆い、肩を震わせた。
少年は黙ってサイを見つめる。
そして、その顔を見た瞬間――
(この子の顔……。)
彼もまた、アグラタと同じように驚いた。
(今の気持ちは、痛いほど分かる。)
(だけど、この子は……。)
(あの人によく似ている。)
少年は静かに口を開く。
「泣くのはやめろ。」
サイは涙をぬぐいながら小さくうなずいた。
「分かってる……。」
「さっきから頑張ってるんだけど……。」
「そうか。」
少年は短く答えた。
しばらくして、サイは少しずつ落ち着きを取り戻した。
悲しみが消えたわけではない。
それでも、先ほどより涙は止まっていた。
少年はサイへ右手を差し出す。
「俺はラジ。」
「ラジ・アヴィセンナだ。」
サイは不思議そうにその手を見つめる。
「ラジ……?」
「ああ。」
サイはその手を握り返した。
「僕はサイ。」
「サイ・サルヴァハルサ。」
「よろしく。」
ラジは小さくうなずく。
「サイ。」
「少しは落ち着いたか?」
「うん。」
「今は……少しだけ。」
サイは小さく笑った。
「そういえば、お兄さんは何歳?」
「十五歳だ。」
「へぇ!」
「僕は十歳!」
ラジは静かにうなずく。
「そうか。」
サイはラジの服を見て目を輝かせた。
「お兄さん、お医者さんなんだね!」
ラジは少し驚く。
「どうして分かった?」
「だって白衣を着てるもん!」
サイは嬉しそうに答えた。
ラジは小さく笑う。
「よく見ているな。」
「それなら新入隊員試験にも受かるかもしれない。」
サイは胸を張った。
「もちろん!」
「絶対合格する!」
「そして、天国から見ている父さんと母さんを絶対に誇らせる!」




