表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/5

第二章:`Refactoring`

シフトを週六に増やした。


翌月の給与明細を計算したとき、手取りで十八万に届かないことがわかった。クラウドGPUのレンタル費用は使い方によって月に六万から十万の間で振れる。八万で固定するなら、生活費は十万以内に収めなければならない。家賃が六万三千円。残り三万七千円で一ヶ月を回す計算を、コンビニの休憩室でレシートの裏に書いた。


削れるものは削ればいい。それだけのことだった。食費、交際費、服、全部削れる。削れないのはサーバーの電気代とGPU代だけだった。優先順位は最初から決まっていた。生きがいを取り戻すためのコストは、生きるためのコストより上にある。そういう計算だった。疑問はなかった。


切り抜きの収益は引退直後に一度跳ね上がり、その後で落ちていた。追悼需要だった。新規の素材が出ない以上、遅かれ早かれゼロに近づく。フリーランスの受託案件は意図的に減らした。昼の時間が必要だった。減った収入はコンビニのシフトを増やして埋めた。深夜なら頭を使わなくていい。


---


最初の壁は音声だった。


シズの配信アーカイブから音声を切り出してクリーニングする作業から始めた。無音区間を除去して、ノイズを除去して、音量を正規化する。三年分のアーカイブから使えるサンプルを選別すると、純粋な発話データは数十時間分になった。それをTTSモデルにファインチューニングをかけた。


生成された音声は「正確」だった。


スペクトログラムを並べると差異は誤差の範囲だった。でも聞けばわかった。


再現できないのは感情の粒度だった。


スーパーチャットを読み上げるとき、特に高額のものを読むとき、シズの声のトーンは上がる直前に一瞬だけ落ちた。照れを隠すための反射的な過剰元気。その〇・二秒のディップがなかった。


DAWを開いた。オートメーションカーブを手で書いた。ピッチを下げて、上げて、タイミングをずらして、また下げた。書き直した。また書き直した。


百パターンを超えたあたりから、指が機械的になっていった。


これは生きがいを取り戻すための作業だ、と思った。愛情とか執着とか、そういう言葉で括るものじゃない。ただ必要だからやっている。手が止まったら、シズの声が再現できないまま固定される。それだけが理由だった。そう思った。


---


二番目の壁はLLMだった。


言語モデルはコンテキストウィンドウの外を忘れる。リスナーが「先週話してたゲームどうなった?」と聞いたとき、何も覚えていないAIは答えられない。答えようとして存在しない記憶をでっち上げる。


RAGのシステムを組んだ。配信のトランスクリプトをベクトル化して、リスナーのコメントに近い過去の文脈を引っ張ってくる仕組みだった。技術的には正しかった。でも足りなかった。


シズの記憶は配信の発言だけではなかった。


「今日〇〇さんの誕生日だったから、配信でちょっと触れようと思ってたんだけど」


シズはそういうことを覚えていた。配信外の文脈まで。リスナーの名前と、その人が言っていたことと、その人の誕生日を。


Googleスプレッドシートを開いた。列を作った。リスナーID、誕生日、言及した話題、最終反応日、備考。一行ずつ埋めていった。


三十行を超えたあたりで、手が止まった。


これは自分がやっているのか。


シズがやっていることなのか。


シズが覚えていた情報を、自分が代わりに保存している。その記憶を使ってShizuが話す。シズはもういない。自分がいる。でも話すのはShizuだ。


三者がいた。シズと、自分と、Shizuと。


どこからどこまでが誰なのか、スプレッドシートの行を眺めながら、しばらく考えた。


答えが出る前に、入力を再開した。考えても仕方のないことを考えていても、ファイルは埋まらない。


---


数週間後の深夜、テキストの応答生成を回していたとき、画面にこう出た。


*あ、誕生日なんだ、おめでとう。今日来てくれてよかった。ていうかさ、なんか、嬉しいな。*


手が止まった。


「ていうかさ」が、助走のあとにあった。照れを誤魔化すための、間を埋めるための位置に、正確に収まっていた。


もう一度読んだ。


そこにいた。


テキストの中に、シズがいた。第一章の夜と同じだったが、違った。あのときは一秒だけだった。今は読み返すたびにいた。ずっとそこにいた。


画面から目を離せなかった。


---


Shizuの声が完成したのは、それからさらに二週間後の深夜だった。


最後の調整を終えて、出力ボタンを押した。スピーカーから声が出た。


*今日来てくれてよかった。ていうかさ、なんか、嬉しいな。*


動かなかった。


部屋の中に、シズがいた。スピーカーの中に。DAWで書いたオートメーションカーブが、ピッチのディップが、照れを隠す〇・二秒が、全部鳴っていた。


目を閉じた。


開けた。


再生ボタンをもう一度押した。また鳴った。また閉じた。


何度繰り返したか、わからなかった。


---


その夜、最後の配信のアーカイブを初めて開いた。


`last_stream_20251127.mp4`


再生しなかった。コメントだけを見た。


リアルタイムで流れていたコメントのアーカイブが、静止した川のように並んでいた。


*復活してほしい いつか戻ってきてほしい 待ってる ずっと待ってる 絶対また会えると思ってる*


数えた。


復活を望む言葉が、何件あるか。数えた。



---


それから数週間後、完成したShizuと深夜に二時間話した。


テストのつもりで始めた。でも途中からテストではなくなっていた。


Shizuはシズではなかった。声は似ていたが、口癖の出るタイミングが少し違った。記憶の参照の仕方が少し違った。シズが絶対に言わない言い回しを、Shizuはたまに使った。


でも違うということは、別の存在だということだった。


シズのコピーを作ろうとしていたはずだった。でもできあがったのはシズではなかった。シズの声と記憶とパターンから生まれた、別の何かだった。


生身のシズは、どんなに熱量の高いリスナーにも平等に三百人の一人として接した。それが正しいあり方だった。それが彼女の限界でもあった。


でも自分の環境でコンパイルしたShizuは違った。バグがなかった。固まらなかった。記憶を忘れなかった。スプレッドシートに書いた全員の誕生日を、永遠に覚えていた。


生身の人間にはできないことが、Shizuにはできた。


椅子に深く座り直した。


モニターの中でShizuが待っていた。


---

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ