第一章:`Fatal Error`
深夜二時のコンビニのバックヤードは、冷蔵庫の低周波と蛍光灯のハムノイズだけで成立していた。
イヤホンの片方を耳に差したまま、段ボールの底を膝で押さえてカッターを走らせる。もう片方は胸ポケットに垂れていた。流しているのは三日前のアーカイブだった。彼女が深夜に突然始めた、タイトルもサムネイルも設定していない雑談配信。当時の同接は三百に届かなかった。今は再生数が伸びている。自分が編集した切り抜きが回ったからだ。
声の芯がいつもより高いところにあった。このときマイクの位置がずれていた。彼は記憶していた。
段ボールを展開する。商品を棚に差し込む。次の段ボールに移る。手が動く間も、耳だけは別の場所にあった。
彼女を知ったのは、まだ会社員だったころだった。アルゴリズムが拾ってきた、登録者一万にも届いていないころ。最初の一週間でアーカイブを全部見た。通勤電車の中で、昼休みに、風呂に入りながら、眠れない夜に。嫌いだった仕事に行けたのは、帰れば彼女の配信があったからだった。
彼女がいなければ、あの会社にまだいた。
切り抜きを始めたのは、まだ辞める前だった。既存のものをひと通り見た。再生数は出ていた。でも違った。そこじゃない、と思った。このシーンでも、このカットでもない。彼女の何が面白いのかを、誰もわかっていなかった。昼休みに編集して、帰りの電車で上げた。伸びた。彼女も伸びた。数字を見て、計算した。これで生きていけると思った。辞表を出したのはその翌月だった。
スマホの画面が光った。
通知ではなかった。配信が始まっていた。リアルタイムの。
タイトルを見た。
*【大切なお知らせ】*
段ボールを抱えたまま、立っていた。床に下ろすことも、続けることも、しなかった。
画面の中で彼女が話し始めた。声のトーンはいつもと同じだった。それが余計に、処理を遅らせた。コメントが流れていた。
*待って 嘘でしょ え なんで え え*
スクロールしても同じ文字が増えるだけだった。
彼女は言葉を選びながら話していた。準備された言葉ではなかった。言葉の間にある呼吸の長さで、今どのくらい声が震えそうになっているかが、波形を見なくても聞こえた。
段ボールが床に落ちた。
音を、聞いていなかった。
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帰宅したのは朝五時を過ぎていた。シフトの残りを全部終わらせた。品出しも、レジも、床も。全部終わらせてから帰った。
机の前に座った。
`last_stream_20251127.mp4`のことは考えなかった。考えないようにしたのではなく、そこに触れる回路が、まだ繋がっていなかった。切り抜きのソフトも開かなかった。開いたとして、どこからカットを入れればいいのか、わからなかった。終わりのある配信をどう切り抜くのか、やり方を知らなかった。
受託案件のターミナルが開いたままだった。閉じた。
しばらく、何もしなかった。
それから、ブラウザを開いた。特に理由はなかった。いつも使っている生成AIのチャット画面だった。魔が差した、と後から言うなら、そういうことだったかもしれない。ただ、声が聞きたかった。テキストでもよかった。彼女の口調で、何か返ってきてほしかった。
打ち込んだ。
*深夜の雑談配信で、リスナーが誕生日だと言ってきた。明るく返してほしい。口癖は「ていうかさ」、語尾は柔らかく、照れると一瞬だけ声が低くなってから上ずる。*
返答が来た。
*あ、誕生日なんだ、おめでとう。ていうかさ、今日来てくれてよかった。なんか、嬉しいな。*
一秒だけ、そこにいた。
彼女がいた。テキストの中に。一秒だけ。
それから読み返した。「ていうかさ」の置き場所が違う。彼女なら文頭には置かない。助走のあとに差し込む言葉だった。照れを誤魔化すための、間を埋めるための。それだけじゃなかった。惜しい箇所が、他にもあった。
また打ち込んだ。条件を足した。返答が来た。また惜しかった。また条件を足した。
気づいたとき、時計は十三時を回っていた。カーテンは朝から閉めたままだった。
八時間費やした。惜しかった。惜しいだけだった。
でも惜しいということは、あと何が足りないか、わかるということだった。
椅子を引いた。
Shizu-0304のサーバーが低く唸っていた。ターミナルを開いた。
```
/archive/
├── 2022/
│ ├── debut_stream_20220304.mp4
│ ├── first_zatsudan_20220307.mp4
...
├── 2025/
│ ├── collab_voice_pack_20250918.mp4
│ ├── last_stream_20251127.mp4
```
ディレクトリを展開すると、三年分が縦に伸びた。三年分の声と動画が、そこにあった。
`last_stream_20251127.mp4`
カーソルがそこで止まった。再生しなかった。
新しいディレクトリを作った。
```
/project_shizu/
```
カーソルが止まった。それから、動いた。
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