#08|兄妹って、どこまで口出していい?
家族だから言えることと、
家族だから言われたくないこと。
その境目って、けっこう難しいですよね。
今回は、悠真がみのりの美容室にやってきます。
椅子に座るなり、悠真は鏡越しにみのりを見て、スマホを差し出した。
「これ」
画面にはメモが開いていた。みのりは受け取って、読み上げた。
「『一、朝、何もしなくていい。二、二か月もつ。三、横が広がらない。四、切っている間、話しかけない』」
みのりは、スマホを返した。
「四は無理」
「なんで」
「美容師だから」
「三は」
「三も無理」
「なんで」
「悠真の髪だから」
悠真は、鏡の中で眉を寄せた。
「一と二は」
「一と二は、頑張る」
みのりは、手のひらを差し出した。
「眼鏡」
悠真は眼鏡を外して、みのりの手のひらに置いた。みのりはそれを鏡の前の台に置いてから、ケープの首元を留めた。鏡の中の悠真は、急に輪郭のぼやけた人の顔になって、目を細めていた。
みのりはコームを取って、悠真の髪をすくった。硬くて、量が多くて、根元から少し癖がある。指の間から、跳ねるように逃げていく。このまま横を短くすると、三日もしないうちに、耳の上がふくらんでくる。
「横は、少し残したほうがいいと思う」
「広がらないようにしろって書いた」
「残したほうが広がらないの」
「短くしたほうが、広がる余地がないだろ」
「悠真の髪は、短くすると立つの。立って、広がるの」
「立たない」
「立つよ。自分で見えてないだけ」
「今は本当に見えてない」
悠真は、それには答えずに前を向いた。みのりはハサミを取った。まずは後ろから。ハサミの音が、しばらく続いた。
つむじのあたりに指を入れたとき、みのりは手を止めた。
「……寝てないでしょ」
「寝てる」
「つむじの周り、硬い」
「つむじで人の生活を判断するな」
「判断できちゃうんだもん」
「四に書いただろ。話しかけるな」
「四は無理って言った」
店の奥で、ドライヤーの音が止まった。一瞬、静かになった。
その静けさの中で、小さな音がした。
くう、と。
みのりの、お腹のあたりからだった。
悠真が、鏡の中でみのりを見た。
「……今の音」
「ハサミ」
「ハサミはそういう音はしない」
「するよ。いいハサミだから」
悠真は、少しも表情を変えなかった。
「昼は」
「食べた」
「何を」
みのりは、毛先を揃えるふりをして、少し黙った。
「……ラムネ」
「何粒」
「……三粒」
「それは昼じゃない。薬の飲み方だ」
「ブドウ糖だから、ちゃんとエネルギーになるの」
「だいたい、お前は昔から忙しいと食べない。忙しいのは分かるが、食べないで倒れたら、忙しいどころじゃ――」
チャキ、とハサミが鳴った。耳のすぐ横だった。
「横、もう少し短くしようか」
悠真は、口を閉じた。
一秒。二秒。
「……ラムネは、ブドウ糖だから、理にはかなってる」
「でしょ」
みのりはハサミを下ろした。悠真は前を向いたまま、動かなかった。
しばらく、ハサミの音だけが続いた。みのりは耳の後ろを整えながら、鏡の中の兄を見た。顔色は悪くない。ただ、目の下が少し青い。
「夜、寝る前にスマホ見てるでしょ」
「見てない」
「見てる。目の下」
「目の下で判断するな」
「見たら、寝られなくなるよ。明るいから」
「……それは、口出しだ」
「感想だよ」
悠真は、鏡の中でみのりを見た。
「さっき俺が言ったのも、感想だ」
「悠真のは口出し」
「どこが違う」
「私がハサミ持ってる」
悠真は黙った。反論を探している顔だった。見つからない顔でもあった。
みのりは、悠真の横の髪をすくい上げて、手のひらで軽く押さえた。それから、ぱっと離した。髪は、手の形のまま、ふわりと横に浮いた。
「ほら」
悠真は、鏡のほうへ目を細めた。
「見えない」
みのりは台の上の眼鏡を取って、かけさせはせずに、悠真の目の前にかざした。レンズ越しに、鏡の中の頭が見えるように。
悠真は、しばらく黙っていた。耳の上だけ、屋根みたいに張り出していた。
「……広がるな」
「でしょ。これを短くすると、こうじゃなくて、こう」
みのりは指で、髪がまっすぐ横に突き出す形を作ってみせた。
悠真は、少しの間それを見ていた。
「……残せ」
「うん」
みのりは、さっきより少しだけ上機嫌に、ハサミを入れた。
横の長さを整えていると、今度は悠真のほうが口を開いた。
「次の予約、十五分後だろ」
みのりの手が止まった。
「……なんで知ってるの」
「入口のボードに書いてあった」
「見ないで」
「見える場所に書くな」
「お客さんは見ないの」
「俺は客だ」
悠真は、ぼやけているはずの鏡の中のみのりを見たまま続けた。
「俺の後、十五分で片づけて、次の準備をして、昼を食べる時間はない。ラムネ四粒目で終わりだ」
みのりは、ハサミを持ち直した。
「……横、短く――」
「短くしたら広がる」
悠真は、平らな声で言った。
「広がった頭で俺が歩いてたら、困るのはお前の腕の評判だ」
みのりは、ハサミを持ったまま、鏡の中の兄を見た。兄は、鏡の中の妹を見ていた。
店の奥で、また誰かのドライヤーが鳴り始めた。
みのりは、何も言わずに、横の毛先を丁寧に揃えた。
仕上げにワックスを少しだけつけて、眼鏡を返す。悠真がそれをかけるのを待って、合わせ鏡で後ろを見せた。悠真は顔をわずかに左右に動かして、耳の上に手をやった。
「……短くないな」
「残せって言ったでしょ」
「少しって意味だ」
「少しだよ」
「お前の少しは、単位がない」
「悠真のメモも、単位なかったよ。二か月って、長さじゃないから」
ケープを外すと、悠真は首を一度回して立ち上がった。受付で財布を出して、きっちり代金を置いた。
「領収書」
「……え、いるの」
「くれ」
みのりは、黙って領収書を書いた。宛名を聞こうとして、やめた。聞いたら、「白石悠真様」と真顔で言われる気がした。
悠真はそれを受け取ると、財布にしまって、何も言わずに店を出ていった。ガラスのドアの向こうで、一度だけ、自分の頭が映るのを見た気がした。
みのりは、椅子の周りの髪を掃いた。硬い髪が、ほうきの先でまとまって、なかなか離れなかった。
十分ほどして、ドアが開いた。
悠真だった。
手に、コンビニの袋を提げていた。受付の前まで来ると、袋の中から、おにぎりを二つ取り出して、カウンターに並べた。
鮭と、梅。
「……何これ」
「選べ」
みのりは、二つのおにぎりと兄の顔を、交互に見た。
「……口出しじゃん」
「差し入れだ」
「同じだよ」
「選べ」
みのりは、少し考えて、鮭を取った。
悠真は残った梅を袋に戻して、そのまま店を出ていった。今度は、振り返らなかった。
次の予約まで、五分あった。
みのりは控えの椅子に座って、おにぎりの包装を開けた。ひと口かじったところで、エプロンのポケットでスマホが震えた。
悠真からだった。
『耳の上、左右で長さ違わないか』
みのりは、おにぎりを持ったまま返した。
『違わない』
すぐに、返事が来た。
『今、測った』
みのりは、少しだけ画面を見つめた。
『測らないで』
既読がついて、それきり返事は来なかった。
みのりはスマホをポケットに戻して、もうひと口かじった。
鮭は、ちょうどいい塩気だった。
おにぎりを届けて終われば、
ちょっといい兄だったんですけどね。
最後にちゃんと髪の長さを測っていました。
悠真でした。笑
それはそれとしまして、
皆さんなら、家族に髪型まで口を出されたら気になりますか?




