#09|推しに月5万円使うのは無駄?
「推しに月5万円使うのは無駄?」
そんな話を悠真に振ったら、
当然のように計算が始まりました。
今回は、推し活とお金のお話です。
「月五万だって」
みのりが言ったのは、悠真が一杯目を半分ほど飲んだころだった。
「今日のお客さん。推しに、毎月五万くらい使ってるんだって」
「へえ」と満。
「それで、お母さんに『無駄』って言われたんだって。本人、ちょっと落ち込んでた」
満がグラスを拭く手を止めた。凛は、カウンターの内側で顔を上げた。
「五万は、使う人は使いますよ」と凛。
「そうなの?」とみのり。
「ライブ行って、グッズ買って、配信見て、ってしてたら、普通に行きます」
「凛ちゃんも?」
「私は違います」
凛は即答した。即答が少し早すぎた気もしたが、悠真は何も言わなかった。
「好きなら、いいじゃん」と満。「本人が楽しいなら」
「楽しいとは言ってたよ」とみのりは言った。「ただね、毎月カードの明細を見るとき、ちょっとドキッとするんだって。やめたいわけじゃないけど、って」
悠真は、グラスを置いた。
「収入による」
「出た」と凛。
「当然だろ。手取りの一割と半分じゃ、同じ五万でも意味が違う」
「それは、そうなんですけど」
「あとは、何に対して払ってるかだ」
悠真は指を折り始めた。
「ライブ、グッズ、配信。配信を毎日一時間見るなら、月三十時間。ライブが月二回で、一回三時間なら六時間。合わせて三十六時間」
「悠真さん」
「五万を三十六で割ると、一時間あたり千四百円くらいだ」
「推しを時給で割らないでください」
「時給じゃない。時間単価だ」
「同じです」
満が、布巾を持ったまま首をかしげた。
「千四百円って、高いの?」
「映画を二時間見て二千円なら、一時間千円。それより少し高い程度だ」
「え、安くない?」
「安くはない。ただ、極端に高くもない」
みのりが、悠真を見た。
「悠真が、擁護した」
「擁護じゃない。計算だ」
「計算で擁護したんですね」と凛。
「計算の結果が、そうなっただけだ」
悠真はグラスを持ち上げた。数字は数字だ。高いか安いかは、比べるものがあって初めて決まる。そう思っていたところで、凛が言った。
「じゃあ、ここは?」
悠真は、グラスを口の手前で止めた。
「……ここ?」
「悠真さんが、この店で使ってるの。一時間いくらですか」
満が、布巾を置いた。みのりが、おしぼりを持ったまま悠真を見た。
悠真は、グラスを置いた。考えるまでもなかった。家計簿アプリの画面は、毎月見ている。
「先月は四万八千円。ここにいた時間が、だいたい二十四時間だから、一時間二千円だ」
言い終わってから、三人の顔を見た。
「……推しより高い」と満が言った。
「悠真さん」と凛。「推しより高い店に、通ってます」
「四万八千円って、ほぼ五万だよね」とみのり。
「五万じゃない」
「二千円違うだけです」
「二千円は違う」
満が、カウンターに両手をついて身を乗り出した。
「え、じゃあ悠真にとって、ここって推し?」
「推しじゃない」
「俺が推し?」
「お前は推しじゃない」
凛が、布巾をたたみながら言った。
「で、悠真さん。ここ、無駄ですか」
悠真は、答えなかった。
無駄だ、と言えば、目の前の店主がいる。無駄じゃない、と言えば、それはさっき自分が数字で済ませようとしたものと同じ種類の答えになる。
「……会話の質を考えれば」
「え、俺と話すの、価値ある?」
満が、ぱっと顔を明るくした。
「お前じゃない。小野寺とみのりだ」
「え」
「え」と凛も言った。
「え、私?」とみのり。
満が、布巾を拾い上げて、ゆっくりと胸の前で握った。
「……俺の店なんだけど」
「店の価値と、お前の価値は別だ」
「別なの?」
「別だ」
「俺、店主なんだけど」
みのりは、何も言わずにグラスに口をつけた。凛は横を向いた。
「でもさ」
満が、布巾を握ったまま言った。
「俺からしたら、悠真の四万八千円で、この店、ちょっと開いてるんだよな」
悠真は、満を見た。
「その推しの人も、たぶんそうなんじゃない? 五万もらって、ちょっと続けられてる、みたいな」
満は、特に何か大事なことを言ったという顔はしていなかった。言ってから、自分でも「あれ、今いいこと言った?」という顔をして、凛を見た。
「店長、今のは、いいこと言いました」
「マジで」
「たぶん」
みのりが、グラスを置いた。
「でも、その人はドキッとするんだよね。明細見るとき」
「うん」と満。
「悠真は、ドキッとする?」
悠真は、少し考えた。家計簿アプリの画面を思い浮かべる。この店の名前が、月に何度も並んでいる。
「……しない」
「しないんだ」
「数字を見て、そうだろうな、と思う」
「じゃあ、そこが違うんじゃないですか」と凛が言った。「その人と、悠真さんの」
悠真は、答えなかった。
同じ五万でも、明細を見て「そうだろうな」と思う人間と、ドキッとする人間がいる。ドキッとする理由が、金額なのか、母親の一言なのか、自分でも分からない何かなのかは、ここにいる誰にも分からなかった。
「……ドキッとする理由は、本人にしか分からない」
「悠真にも?」とみのり。
「俺には、その人の明細は見えない」
「自分の明細は見えるのに」と凛。
「見えてる。だからしない」
凛が、少しだけ口の端を上げた。
「今の、ちょっと格好いいです」
「格好つけてない」
「格好いいって言っただけです」
みのりは、スマホを出して、何か打ち始めた。
「今日のお客さんに、送ろうかな。『悠真っていう人は、推しより高い店に通ってて、全然ドキッとしないらしいです』って」
「送るな」
「参考になるかもしれないよ」
「ならない」
満は、握っていた布巾を広げて、ようやくグラスを拭き始めた。拭きながら、ときどき悠真のほうを見た。
「……なんだ」
「いや。俺の店、推しより高いんだなって」
「店の価値と、お前の価値は別だ」
「それ、二回目」
閉店が近づいて、悠真は会計を頼んだ。財布を出して、きっちり払った。満はレジを打ちながら、いつもより少しだけ丁寧に「ありがとうございます」と言った。
店を出る前に、悠真はスマホを出した。家計簿アプリに、今夜の分を入力する。
画面の上に、この店への今月の合計が表示された。
五万千二百円。
悠真は、画面を閉じた。
ドキッとは、しなかった。少しだけ、した。
今回、個人的に好きなのは、
最後まで「ドキッとはしない」と言っていた悠真が、
最後に少しだけ、しているところです。
五万千二百円。
推しより高くなりました。笑
それはそれとしまして、
皆さんにも「人から見たら無駄かもしれないけど、自分には必要」な出費ってありますか?




