#20|みっくん、悠真に言っといて
「みっくん、悠真に言っといて」
悠真は、すぐ隣にいます。
今回は、モバイルバッテリー一個から始まった兄妹げんかのお話です。
みのりと悠真は、いつもより一つ分、席が離れていた。
「みっくん」
みのりが言った。
「うん?」
「そこのお通し、悠真に取ってって言って」
満は、みのりを見て、それから隣の悠真を見た。悠真は、こちらを見ずにグラスを傾けていた。手を伸ばせば届く距離に、小皿があった。
「……隣にいるけど」
「知ってる」
満は、少し迷ってから、悠真に向き直った。
「悠真、それ、みのりに取ってあげて」
「聞こえてる」
悠真は、みのりのほうを見ずに、小皿を満のほうへ押しやった。満がそれを受け取って、みのりの前に置いた。凛が、二人を交互に見た。
「……何かあったんですか」
「別に」とみのり。
「特に」と悠真。
満と凛は、顔を見合わせた。
十分ほどして、今度は悠真が口を開いた。
「小野寺」
「はい」
「みのりに聞いてくれ。俺のモバイルバッテリー、知らないかって」
凛が、みのりを見た。みのりは、グラスを見たまま答えた。
「凛ちゃん、それ、返したって伝えて」
「……返したそうです」
悠真は、みのりのほうを見ずに、凛へ言った。
「聞いてないって伝えてくれ」
「聞いてないそうです」
凛がみのりへ伝える。
「言ってないから」
みのりが、凛に向かって言った。凛が、それをそのまま悠真へ渡す。
「言ってないから、って言ってます」
「言ってないのに、返したことになるのか」
悠真が、凛越しに問い返す。凛が、それをみのりへ伝えた。
「言ってないのに、返したことになるのかって」
「コートのポケットに入れといたの。それで、返したことになるでしょって、悠真に」
凛は、みのりとの間で視線が忙しくなっているのを自覚しながら、それを悠真に伝えた。
満が、思わず口を挟んだ。
「あ、じゃあ、もう返ってきてたんだ」
「返ってきてた」とみのり。
「じゃあ、何の話なの、これ」
悠真が、満のほうを見て言った。
「気づかなかった。コートのポケット、毎日確認するわけじゃない」
「確認しないなら、入れとくだけじゃ伝わらないですよね」と凛。
「そう」と悠真。「だから、新しいの買った」
「え、買ったんですか」
満が、声を上げた。
「買う前に、一言聞けばいいのに」
「聞くほどのことでもないと思ってた。とっくに戻ってきてるはずだと思ってたから、見当たらないのは、自分がどこかへやったんだと思って探してた」
みのりが、凛に向かって言った。
「それ、私のせいみたいに言うのやめてって、悠真に言っといて」
「……みのりさん、悠真さんのせいだとは言ってないと思います」
「言ってるようなもんだよ」
満が、悠真に確認した。
「悠真、そんなつもりだった?」
「そんなつもりはない。ただ、一言あれば、無駄に新しいの買わずに済んだって話だ」
「一言って、報告?」とみのりが凛に。
「報告じゃない、と本人は言ってます」
「じゃあ何」
「返すよ、って一言だけでいい、と」
満と凛は、しばらく二人のやり取りを黙って見ていた。二人とも、互いには一度も顔を向けていなかった。
「……これ、いつまで続くんですか」と凛が小さく聞いた。
「分からない」と満。「ただ、モバイルバッテリー一個の話だよな、これ」
「一個の話です」
「なのに、二人とも、一回も直接喋らないんですよね」
「私たちを通して喋ってるだけです」と凛。
満が、カウンターに肘をついた。
「悠真、みのり、ちょっと聞いていい?」
二人とも、満のほうを見た。
「今、めちゃくちゃ怒ってる?」
すぐには、どちらも答えなかった。
「……もう、そんなに怒ってない」とみのりが、満に向かって言った。
「俺も、別に、そこまでは」と悠真も、満に向かって言った。
「じゃあ、なんで喋らないの」
「……なんとなく、今さら普通に喋るのも、負けた気がして」
みのりが、素直にそう言った。悠真は、それを否定しなかった。
凛が、深く息を吐いた。
「くだらないですね、二人とも」
「くだらなくない」
みのりと悠真の声が、同時に重なった。どちらも、凛のほうを見ていた。互いには、まだ目を合わせていなかった。
満が、グラスにお酒を注ごうとして、瓶を傾けすぎた。琥珀色の液体が、カウンターの上に少しこぼれた。
「あっ」
満が慌てて布巾を探した手が、隣の空のグラスに当たった。グラスが、みのりのほうへ倒れかける。
「危ない」
悠真が、反射的に手を伸ばして、グラスを押さえた。みのりの手も、同時に伸びていた。二人の手が、グラスの上で軽くぶつかった。
一瞬、静かになった。
「……ありがと」
みのりが、悠真のほうを見て、小さく言った。
「……別に」
悠真が、みのりのほうを見て、目を逸らしながら答えた。
凛が、目を丸くした。
「……今、喋りましたよね、二人とも」
「喋ってない」とみのり。
「喋ってた」と満。
「グラス、押さえただけ」と悠真。
「お礼、言ってました」
みのりは、何も言わなかった。悠真も、何も言わなかった。ただ、二人とも、さっきよりは少しだけ、隣の椅子のほうへ体が向いていた。
満は、こぼれたお酒を拭きながら、新しいグラスを出した。
「悠真、氷、少なめでいい?」
「……ああ」
悠真が、答えた。それから、少し間があって、みのりのほうを見た。
「……バッテリー、次から、渡すときは一言言え」
「……分かった。コートに入れとくのは、なし?」
「なしとは言ってない。言ってから入れろ」
「分かった」
みのりは、頷いた。それだけだった。謝罪の言葉も、仲直りの宣言もなかった。
凛が、満に小声で聞いた。
「……仲直りしたんですか、今の」
「さあ」
「さあって」
「多分、二人も、よく分かってないと思う」
カウンターの向こうで、みのりが「悠真、次何飲むの」と直接聞き、悠真が「同じの」と直接答えていた。いつも通りの声だった。
謝るでもなく、
「仲直りしよう」と言うでもなく。
気づいたら、
「次何飲むの」
「同じの」
と普通に話していました。
兄妹って、こういう戻り方もあるんだろうなと思います。
それはそれとしまして、
皆さんは喧嘩したあと、ちゃんと話して仲直りする派ですか?
なんとなく元に戻る派ですか?




