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それはそれとしまして。【月水金20時更新!】  作者: ゆぴろ ✎*


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20/26

#19|鍵、預かっといて

特別なことは、何も言われませんでした。


ただ、

「これ、持ってて」と鍵を渡されただけ。


今回は、そんな小さな出来事のお話です。

「宅配便、二時間しか受け取り時間なくて」


満はエプロンを外しながら言った。


「今日中に受け取らないと、明日また再配達になるんだよ。悪いんだけど、ちょっと店番、頼める?」

「いいですけど」


凛は、洗い終えたグラスを棚に戻しながら答えた。


「何時に戻りますか」

「九時前には戻る」


満は、レジの下から小さな鍵を取り出して、カウンターの上に置いた。


「裏の鍵、念のため持ってて。閉めるときの分」

「閉めることあるんですか、今日」

「ないと思うけど。念のため」


満は、それだけ言うと、エプロンを丸めて、店を出て行った。ドアベルの音が、少し長く尾を引いた。


凛は、鍵を見た。


いつもは満のポケットにある鍵だった。差し出されたとき、特別なことは何も言われなかった。ただ、カウンターの上に置かれただけだった。


凛は、それをエプロンのポケットに入れて、グラスを拭き続けた。


最初の客は、七時過ぎに来た。田村さんだった。


「あれ、マスターは」

「今日、ちょっと用事で。私だけです」

「へえ、珍しいな」


田村さんは、いつもの席に座った。凛は、いつもの一杯を出した。


「これ、味、いつもと同じか?」

「同じです。作り方は覚えてます」

「そうか」


田村さんは、それ以上何も言わずに、一杯を飲んだ。飲み終えると、「うまい」と一言だけ言って、二杯目を頼んだ。


八時になる少し前、若いカップルが入ってきた。メニューを見て、少し迷っている。


「あの、これ、甘さ控えめにできますか」


聞かれて、凛は少し考えた。満なら、いつもどう答えていただろう。レシピを厳密に覚えているわけではない。ただ、カクテルを作る手順は、何度も見てきた。


「できます。シロップ、半分にしますね」


凛は、カウンターの内側で、いつもより少し慎重にシロップを量った。半分、と言ったものの、正確に半分にする方法は決まっていない。目分量で、いつもより少なめに入れた。


出来上がったグラスを、客の前に置いた。


「ありがとうございます、おいしいです」


カップルの片方が言って、凛は「よかったです」とだけ返した。満なら、ここでもう少し何か気の利いたことを言うのかもしれない。凛には、それは思いつかなかった。代わりに、ただ静かにグラスを磨いていた。


八時半、レジの引き出しが、少し開きにくくなった。何度か開け閉めしているうちに、レールの部分に何か挟まっているのに気づいた。凛はしゃがみ込んで、隙間を覗いた。小さな輪ゴムが、レールの奥に入り込んでいた。


爪の先で、それを取り出す。レジは、また滑らかに開くようになった。


これくらいなら、自分で直せる。凛はそう思って、輪ゴムをゴミ箱に捨てた。前なら、満が戻るまでそのままにしていたかもしれない。


九時十分前、ドアベルが鳴った。


満だった。段ボール箱を一つ抱えている。


「ただいま」

「おかえりなさい」


満は、箱をカウンターの内側に置いて、店の中を軽く見回した。客は、田村さんとカップルが一組ずつ。特に変わった様子はなかった。


「レジ、開けにくくなかった?」

「ちょっとなってました。輪ゴムが挟まってたので、取りました」

「あ、それか。前から気になってたんだよな」


満は、エプロンをつけ直しながら、それだけ言った。凛がどうやって輪ゴムを見つけたかも、どう取り出したかも、聞かなかった。


田村さんが、満に気づいて声をかけた。


「マスター、今日の子、いい仕事するな」

「でしょう」


満は、特に驚いた様子もなく、当然のように答えた。


カップルが会計を済ませて、席を立った。片方が、凛に向かって言った。


「甘さ控えめ、ちょうどよかったです。ありがとうございました」

「よかったです」


二人が店を出ていくと、満が言った。


「さっきの、甘さ控えめ?」

「はい。頼まれたので」

「うまくいった?」

「たぶん」

「そっか」


満は、それだけ言うと、それ以上は聞かなかった。


十時を過ぎて、田村さんが帰り、店は少し落ち着いた。凛は、預かっていた鍵を、カウンターの上に置いた。


「これ、返します」

「ああ、悪いね」


満は、鍵を受け取って、いつものようにポケットに入れた。それから、ふと思い出したように言った。


「次、また頼むかも。宅配、再配達しつこいから」

「いいですよ」


凛は、それだけ答えて、グラスを棚に戻した。


満は、段ボール箱を開けて、中身を確かめ始めた。新しいグラスが、何個か入っていた。


「これ、割れたやつの補充」

「割れたんですか、また」

「また」


凛は、少しだけ笑って、開いたばかりの箱から、グラスを一つ取り出した。洗い場へ運ぶ前に、光にかざして、傷がないか確かめる。


満は、それを見て何も言わなかった。ただ、新しいメニューの仕込みを、いつも通り始めていた。

今回、個人的に好きなのは、


「今日の子、いい仕事するな」


と言われた満が、

「でしょう」と普通に返すところです。


褒められて驚くでもなく、

最初からそう思っていたみたいなのが、なんだか満らしいです。


それはそれとしまして、

皆さんは「任せてもらえたな」と感じた瞬間ってありますか?

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