#18|二杯目からが、本当の自分
「とりあえず、生で」
よく聞く注文ですが、
考えてみると不思議な言葉ですよね。
今回は、最初の一杯と二杯目のお話です。
その夜、続けざまに三人の客が、同じ言葉で注文した。
「とりあえず生」
「とりあえずハイボールで」
「じゃあ、とりあえず生で」
満は、三杯目のジョッキを出したところで、ふと手を止めた。
「……なんでだろ」
「何がですか」
凛が、グラスを拭きながら聞いた。
「今日、三人とも、最初『とりあえず』って言った」
「よくあることじゃないですか」
「よくあるんだけどさ。この店、メニュー結構あるんだよ。カクテルも、ワインも」
「知ってます」
「なのに、最初は、みんな同じ方向に行くんだよな。とりあえず生。とりあえずハイボール」
凛は、グラスを棚に戻した。
「決めるの、面倒だからじゃないですか。とりあえず頼んどけば、間違いないので」
「間違いない、か」
満は、布巾を持ったまま、少し考える顔になった。
「……その『間違いない』って、誰にとって?」
「え」
「その人が本当に飲みたいものって意味では、間違ってるかもしれないじゃん。とりあえず、で頼んでるんだから」
凛は、少し黙った。
「……深く考えすぎです」
「そう?」
「そうですよ。ただ、メニュー見るの、面倒なだけです」
ドアベルが鳴って、みのりが入ってきた。
「みっくん、こんばんは。とりあえず、いつもの」
「はい、いつも――」
満は、グラスを取りかけた手を、途中で止めた。
「……みのりも、とりあえずって言った」
「え、言ったけど」
「今日、それで四人目」
みのりは、きょとんとした顔で座った。
「四人目って、何が」
「今日来た人、みんな最初、『とりあえず』って言うんだよ」
「言うでしょ、普通」
「普通なんだけどさ。なんでみんな、最初だけ同じ方向に行くんだろうって」
みのりは、少し考えて、答えた。
「最初は、場を作るための一杯って感じじゃない? 本当に飲みたいものは、そのあとで考える」
「場を作る」
「うん。乾杯するのに、迷ってたら始まらないし」
満は、その言葉を、しばらく転がしていた。
「……じゃあ、最初の一杯は、その人自身の好みじゃないってこと?」
「そこまでは言ってないけど」
「二杯目から、本当の自分が出てくるってこと?」
満は、止めていた手を動かして、みのりの「いつもの」を作った。みのりはそれを一口飲んで、カウンターに置いた。
みのりが、笑った。
「みっくん、なんかスイッチ入った?」
「入ってない。……入ったかも」
ドアベルがまた鳴って、悠真が入ってきた。
「スコッチ、ロックで」
満は、グラスを取りながら、ふと手を止めた。
「……悠真、今日もそれなんだ」
「いつもこれだ」
「悠真は、最初から『とりあえず』じゃないよね」
「言わない」
「毎回、ちゃんと選んでる」
「選んでる」
凛が、代わりに事情を説明した。悠真は聞き終えると、グラスを受け取りながら言った。
「単純に、注文までの時間が短いからだろう。選択肢が多いと、決めるコストが上がる。とりあえず、と言えば、その場で悩まなくていい」
「コスト」
「時間的なコストだ。全員が同じ答えに寄るのは、合理的な結果だ」
満は、少し頷いた。
「合理的、なんだ」
「合理的だ」
「じゃあ、悠真が毎回スコッチのロックなのは?」
「これが好きだからだ」
「最初から好きなの、分かるんだ」
「分かる。メニューを、先に見てるからだ」
「見るタイミングの問題?」
「そうだ」
「じゃあ、悠真も、メニュー見なかったら、とりあえずって言う?」
悠真は、それには答えなかった。
満は、カウンターに両手をついた。
「……じゃあ、試してみない?」
「何を」と凛。
「今日は、いつもと違うやつ、頼んでみる。それぞれ」
三人は、顔を見合わせた。
「面白そうですね」と凛。
「私、いいよ」とみのり。
「意味があるのか、それ」と悠真。
「分かんないけど、やってみたい」
満は、みのりと悠真にメニューを差し出した。凛には、カウンターの内側から同じページを見せた。
「凛は、飲めないから、指差すだけでいいよ。もし飲むならどれ」
凛は、少し悩んで、辛口のジンジャーカクテルのページを指さした。みのりは、名前も聞いたことのない、赤いリキュールのカクテルを選んだ。悠真は、しばらくメニューを睨んでから、いちばん度数の低い、甘めのワインを選んだ。
満は、みのりと悠真の分を用意しながら、途中で小さなスプーンで一口ずつ味を確かめた。作る側の癖だった。
「……凛は、なんでそれ?」
「分かりません。今日、気分でそれを指差しただけです」
「気分」
「気分です。明日はまた違うの指すかもしれないです」
満は、少し考えて、頷いた。
「……じゃあ、本当の自分って、毎回違うのかもな」
みのりが、赤いカクテルを一口飲んで、目を丸くした。
「おいしい。……でも、次はまた、いつものでいいかな」
「戻るんだ」
「戻る。これはこれで、今日だけでいい」
悠真は、甘いワインを一口飲んで、何も言わずにグラスを置いた。
「……どうですか」と凛。
「甘い」
「感想、それだけですか」
「甘い、以上の感想が、今はない」
満は、自分の手元を見た。味見に使った小さなスプーンが、そこに置かれている。
「……で、店長だったら何選ぶんですか」と凛。
満は、手を止めた。
「……あれ」
「考えてなかったんですか」
「みんなのこと考えてたら、自分のこと忘れてた」
「自分のこと、いちばん後回しなんですね」
「後回しっていうか……なんだっけ、俺」
みのりが、声を出して笑った。悠真も、少しだけ口の端を上げた。
ドアベルが鳴った。新しい客が二人、入ってくる。
「いらっしゃいませ」
満が声をかけると、片方の客が、メニューも見ずに言った。
「とりあえず、生二つで」
満は、それを聞いて、少しだけ笑った。何も言わずに、グラスを二つ用意し始めた。
みんなに「いつもと違うものを選んでみよう」と言い出した満。
最後に自分の番になったら、
「みんなのこと考えてたら、自分のこと忘れてた」
でした。
なんだか満らしいなと思います。
それはそれとしまして、
皆さんには、つい毎回選んでしまう「いつもの」ってありますか?




