#02|友達の結婚式、ご祝儀3万円って高くない?
「友達なら、ご祝儀3万円くらい普通」
そう言われても、3万円は3万円なんですよね……。
今回は、結婚式の招待状を前にした凛のお話です。
開店して一時間、客はカウンターの端に一人だけだった。常連の年配の男性で、いつもの一杯をゆっくり飲みながら、何もない壁をなぜか眺めている。この人が二杯目を頼むのは、だいたい九時を過ぎてからだ。
凛はグラスを拭き終えて、カウンターの内側でスマホを見ていた。仕事中にスマホを見るのは本来よくないのだろうけれど、この時間帯の満はそれを咎めない。咎めないどころか、在庫表を見るふりをして、たぶん動物の動画を見ている。
画面には、ウェブの招待状が開いていた。淡いベージュの背景に、細い花の縁取り。新郎新婦の名前の下に日付と会場があって、その下に「ご出欠のご返信をお願いいたします」の一文と、ボタンが二つ並んでいる。
出席。欠席。
凛はそれを、今日だけでもう四回開いていた。
「凛、さっきからそれ何回見てんの」
「見てません」
「四回目」
「数えないでください」
満は在庫表から顔を上げた。本当に在庫表を見ていたのかもしれない。
凛はスマホを伏せて、少し迷ってから言った。
「店長。結婚式のご祝儀って、三万ですよね」
「あー、だいたいそうじゃね」
「高くないですか」
「でも友達だろ? 友達なら三万くらいは出すもんじゃね。行きたいなら行けばいいじゃん」
軽かった。本当に軽かった。
「店長、大学生の三万円なめてません?」
「なめてはないけど」
「三万って、私がここで何時間働いたら三万になるか、店長が一番知ってますよね」
満は口を開けて、閉じた。
「……それ言われると弱いな」
ドアベルが鳴ったのは、そのときだった。
「なんだ、今日は静かだな」
悠真が、いつもの席に座りながら言った。後ろからみのりが入ってきて、「凛ちゃん、こんばんは」と笑う。満はもう、グラスに氷を落としていた。
「いいとこに来た。凛がさ、友達の結婚式で――」
「勝手に議題にしないでください」
「ご祝儀三万が高いって話」
「言っちゃってるじゃないですか」
みのりが「わあ、結婚式」と目を丸くした。悠真はグラスを受け取って、一口飲んでから凛を見た。
「三万だけの話じゃないだろ」
「え」
「会場どこだ」
「……電車で一時間半くらいです」
「往復の交通費。服はあるのか」
「……ちゃんとしたのは、ないです」
「買うかレンタル。髪は」
「セットするなら、美容室で何千円かはかかるかな」とみのり。
「二次会は」
「……あるって書いてます」
「なら三万で済む話じゃない。三万は入口だ」
凛はしばらく黙ってから言った。
「……数えないでください」
「数えないで決めるほうが危ないだろ」
この店には、数える人しかいないのだろうか。
「え、服って買うの?」
満が、本気で驚いた顔をしていた。
「買う子もいるし、レンタルの子もいるよ」とみのり。「毎回同じドレスで写真に並ぶのを、気にする子はいるから」
「髪も?」
「セットする子は多いかな」
「……あ、それは考えてなかった」
満はカウンターに手をついて、少し天井を見た。
「俺、全部スーツ一着で行ってたわ」
「みっくんは、ネクタイ曲がってても誰も気にしないから」
「気にしてよ」
悠真が、グラスを置いた。
「学生に三万は普通に高い。高いと思うのは当たり前だ」
凛は、思わず悠真を見た。
「……悠真さんが味方なの、ちょっと怖いんですけど」
「味方じゃない。事実だ」
それはそれで、この人らしかった。
「別に、祝いたくないわけじゃないんですよ」
凛は言った。言ってから、誰に向けて言ったのか自分でもよく分からなかった。
「行かないって選択肢もあるだろ」と悠真が続けた。「欠席して、お祝いは別で渡す。金額は下げられる」
合理的だった。凛がいつもなら、真っ先に言っている種類の答えだった。行きたくないなら行かなければいい。合わないなら、離れればいい。
「……そうなんですけど」
それ以上、言葉が続かなかった。悠真の口から聞くと、なぜか素直に頷けない。
「別に、祝いたくないわけじゃないんです」
みのりが、少し首をかしげた。
「うん。誰もそんなこと言ってないよ」
凛は止まった。
「凛ちゃん、それ、今日二回目」
「……みのりさんまで数えるんですか」
みのりは笑わなかった。いつもの柔らかい顔のまま、グラスの縁を指でなぞっている。
「祝いたいのと、高いなって思うのって、両方あってもいいと思うんだけど。凛ちゃん、どっちか一個しか持っちゃだめな気がしてる?」
カウンターが、少し静かになった。
凛はスマホを裏返したまま、その背を指で押さえていた。
「……高いって思った時点で、なんか、薄情な気がして」
声が、思ったより小さくなった。
「本当に仲いい友達だったら、三万くらい迷わないんじゃないかって。迷ってる時点で、私、そこまで真帆のこと大事じゃないのかなって」
「金額で友情を測ってるのは、お前のほうだろ」
悠真だった。
正しい。正しいけれど、今それを言うのか。凛は返す言葉を探して、見つからなくて、手元のグラスをもう一度拭いた。さっき拭いたばかりのグラスだった。
「悠真、言い方」
「他に言い方あるか」
「あるよ。いっぱいある」
兄妹のやり取りを聞きながら、凛はグラスを棚に戻した。
「その子とさ」
満が言った。
「最近、会ってんの?」
「……年に一回、会うか会わないか、です」
凛は少し考えてから続けた。
「高校のとき、ずっと一緒にいた子で。卒業してからは、なんとなく。結婚するのも、インスタで知りました。付き合ってる人がいたのも、知らなかったです」
「でも、呼ばれたんだ」
「……呼ばれました」
「そっか」
満はそれ以上何も言わなかった。時計を見て、カウンターの端へ歩いていく。九時を少し過ぎていた。常連の男性が顔を上げる前に、満はもう二杯目の準備を始めていた。
呼ばれた、と凛は思った。
招待状を送る相手を、真帆は一人ずつ選んだはずだ。年に一回会うか会わないかの相手を、リストから外すこともできたはずだ。そこに、自分の名前があった。
二十二で結婚。同い年の誰かが、もう次の場所へ行こうとしている。来年の今ごろ、自分がどこで何をしているのか――凛はそこで、考えるのをやめた。
「……で、どうすんだ」
悠真が言った。
「行かないで済ませたら、たぶん、それで終わりなんですよね。真帆とは」
「終わるかどうかは分からない」
悠真はグラスを揺らした。
「ただ、その関係を残したいと思ってるなら、それも金を使う理由の一つにはなる。高いのは変わらないけどな」
「高いのは変わらないんだ」とみのり。
「変わらないだろ。三万は三万だ」
凛は、少しだけ笑った。
高いと言っていい、と誰かが言い続けてくれるのは、思っていたより楽だった。
凛はスマホを表に返した。招待状ではなく、トーク画面を開く。最後のやり取りは、去年の誕生日だった。
少し迷ってから、打った。
「結婚おめでとう。インスタで見てびっくりした」
送信。
画面を伏せる間もなく、既読がついた。
「凛ーーー!!ありがとう!!!来てくれる???」
凛は画面を見つめたまま、動かなくなった。
「即レスだな」と悠真。
「嬉しかったんだね」とみのり。
「……圧がすごいです」
満が、カウンターの端から戻ってきた。
「で、二次会は?」
「それは行きません。即決です」
「早えな」
悠真が小さく鼻で笑った。みのりも笑った。凛は笑わなかったけれど、否定もしなかった。
満は布巾を肩にかけて、凛を見た。
「来月さ、シフト多めに入る?」
「それ、店長が人手欲しいだけですよね」
「……半分は」
「残り半分は」
「三万の足し」
凛は少しだけ黙って、それから言った。
「……土曜、空いてますけど」
「よし」
「時給上げろよ」と悠真。
「それは別」
みのりが声を出して笑った。常連の男性が、何事かとこちらを見た。
凛はもう一度、招待状を開いた。ボタンは相変わらず二つ並んでいる。真帆へのトーク画面には、まだ返事を打っていない。
返信期限まで、あと十日ある。
「高いと思ったら、友達を大事にしていないのかな」
凛はそんなところまで考えてしまいました。
個人的には、悠真の
「高いのは変わらないけどな」
がけっこう好きです。
それはそれとしまして、
皆さんが凛の立場なら、出席しますか? それとも欠席しますか?




