#16|悠真が来ない週
『今週は行けない』
悠真から届いたのは、それだけでした。
今回は、悠真が来ない一週間のお話です。
月曜の夜、四人のグループに、悠真から一行だけ届いていた。
『今週は行けない』
理由は書いていなかった。誰も聞かなかった。
「今週、来ないって」
みのりが、カウンターに座るなり言った。
「見た」と満。
「見ました」と凛。
それで、その話は終わった。
満はみのりの一杯を作って、凛はグラスを拭いて、みのりは店のお客さんの話をした。前髪を切りすぎて落ち込んでいた高校生が、帰り際には「これはこれでいいかも」と言っていた話。凛が「切りすぎたのは誰ですか」と聞いて、みのりが「本人。自分で切って、直しに来たの」と答えて、満が笑った。
いつもの夜だった。
ドアベルが鳴ったとき、満の手が、棚のいつもの瓶に伸びた。
入ってきたのは、一見の若い男性だった。
満は、瓶に触れる前に手を止めて、別の棚へ手を移した。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
凛は、それを見ていた。何も言わなかった。
◇
水曜の夜、満は新しいメニューを出した。
柚子とジンジャーの、炭酸のカクテルだった。小さなグラスに三杯作って、みのりと凛の前に並べた。
「試作。飲んでみて」
みのりが一口飲んで、目を丸くした。
「おいしい」
「おいしいです」と凛。
「でしょ」
満は、嬉しそうに頷いた。それから、二人の顔を見て、少し待った。
みのりは、もう一口飲んだ。凛は、グラスを光にかざした。
満は、まだ待っていた。
「……みっくん、どうしたの」
「いや」
「何か待ってますよね」と凛。
「……原価、聞かないの?」
みのりと凛が、顔を見合わせた。
「知らない」とみのり。
「興味ないです」と凛。
「そっか」
満は、少しだけ肩を落とした。
「おいしいって言ったのに」
「おいしいって言われたのに、原価聞かれないと落ち込むんですか」
「落ち込んではない。……ちょっと物足りない」
凛は、グラスを置いた。
「じゃあ、原価いくらですか」
「え、聞いてくれるの」
「店長が聞いてほしそうなので」
「……百二十円くらい」
「へえ」
「……へえ、で終わり?」
「終わりです。原価を聞いたあと何を言えばいいか、私、知らないので」
満は、何か言おうとして、やめた。何を言ってほしかったのか、自分でもよく分かっていない顔だった。
その夜、新しいコースターを二種類から選ぶことになった。満が業者から見本を二枚もらっていた。紺と、生成り。
「どっちがいい?」
「紺」とみのり。
「紺です」と凛。
「俺も紺」
決まった。
満は、見本の生成りのほうを、少しの間手の中で回していた。
「……早くない?」
「何がですか」
「決まるの」
「三人とも紺だったので」
「いや、いつもさ、ここから二十分くらい揉めない?」
「揉めませんよ。コースターですよ」
満は、紺のコースターを見た。それから、いつもの席の、誰も座っていない椅子を見た。
「……揉めてたんだよ、いつもは」
みのりが、少しだけ笑った。
「悠真なら、生成りって言ってたかもね。汚れが目立たないとか言って」
「紺のほうが汚れ目立たないですよ」
「だから揉めるんだよ」
◇
金曜の夜は、店が少し混んだ。
凛は、注文をさばきながら、満の手元を見ていた。満は、一杯作るたびに、製氷機から氷をスコップで一回すくって、グラスに入れて、残りを戻していた。一杯ごとに、製氷機を開けて、閉めていた。
「店長」
「ん?」
「その氷、効率悪いです。何杯分かまとめてバケツに出しておいたほうが、早いです」
満の手が、止まった。
カウンターの端で飲んでいたみのりが、グラスを置いた。
「……今の、ちょっと悠真」
「言ってないです」
「言ったよ。効率悪いって」
「私も効率悪いって思ったから言っただけです」
「悠真も、効率悪いって思ったから言うんだよ」
凛は、カウンターの端のコースターを、一枚ずつ揃え始めた。もう揃っていた。
満は、しばらく製氷機を見ていた。それから、アイスバケツを出して、氷を一気にすくって入れた。
「……ほんとだ。早い」
「でしょう」
「凛、それ、悠真に言われるまで誰も言わなかったやつだよ」
「悠真さん、言ってないじゃないですか。今週いないのに」
「いないから、凛が言ったんだよ」
凛は、答えなかった。揃えたばかりのコースターの角を、指でもう一度合わせた。
閉店後、三人でカウンターを片づけながら、みのりが言った。
「今週、静かだったね」
「そうですか?」と凛。「普通でしたよ」
「普通だったね。普通に静かだった」
「それ、普通じゃないってことですか」
「どうだろ」
満は、グラスを棚に戻しながら、少し考えた。
「なんかさ、今週、話が早く終わるんだよな」
「早く終わるのは、いいことじゃないですか」
「いいことなんだけどさ」
満は、最後のグラスを棚に置いた。
「終わるの早いと、次の話、始まるの遅くない?」
みのりと凛は、少し黙った。どちらも、それが何のことか分かるような、分からないような顔をしていた。
◇
翌週の月曜、悠真はいつもの時間に、いつもの席に座った。
「おう」と満。
「ああ」と悠真。
それだけだった。
満は、棚のいつもの瓶に手を伸ばして、いつもの一杯を作った。今度は、手を止めなかった。
悠真は、グラスを受け取って、一口飲んだ。それから、カウンターの上の、新しい紺のコースターを見た。
「コースター、変えたか」
「変えた。紺と生成りで、紺にした」
「生成りのほうが、汚れが目立たないだろ」
みのりが、グラスで口元を隠した。凛は、手に持っていたグラスを、一度だけ持ち直した。
「……紺のほうが目立たないですよ」と凛。
「生成りだ。酒の染みは、濃い色のほうが輪になって残る」
「紺だと輪は見えないです」
「見えないだけで、残ってる」
「見えなければ、いいじゃないですか」
「残ってるものは残ってる」
満が、声を出して笑った。
「なんだよ」と悠真。
「いや。二十分くらい揉めそうだなって」
「揉めてない」
「揉めてます」と凛。
悠真はもう一口飲んで、今度はメニューの端に、手書きで足された一行を見た。
「柚子とジンジャー。新しいのか」
「うん。水曜から」
「原価は」
満の顔が、ぱっと明るくなった。
「百二十円くらい」
「高い。柚子を生で使ってるだろ。シロップにすれば半分になる」
「生の柚子がいいんだよ」
「なら、値段を上げろ」
「上げたくないんだよ」
「なら、原価を下げろ」
満は、本当に嬉しそうに言い返していた。みのりは、それを横で見ていた。
「……悠真、先週、何してたの」
「家のことが溜まってた」
「そっか」
それで、その話は終わった。
悠真は、グラスを傾けて、ふと満の手元を見た。満は、アイスバケツから氷をすくっていた。
「氷、変えたか」
「変えた」
「効率がよくなった」
凛が、グラスを棚に戻しかけた手を止めた。
「……それ、私が言いました」
「そうか」
悠真は、それ以上何も言わなかった。凛の顔を一度だけ見て、グラスに戻った。
満は、アイスバケツの氷を、グラスに一回で入れた。カウンターの向こうで、みのりと凛が、何か小さく言い合っていた。紺か、生成りか。まだ終わっていなかった。
今回、個人的に好きなのは、
一週間ぶりに戻ってきた悠真の、
「原価は」です。
満があんなに嬉しそうに答えるとは思いませんでした。笑
それはそれとしまして、
皆さんにも「いないとちょっと調子が狂う人」っていますか?




