↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
それはそれとしまして。【月水金20時更新!】  作者: ゆぴろ ✎*


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/26

#11|左も揃える

以前、みのりに

「次切るとき言ってね。左も揃えてあげる」

と言われた凛。


ちゃんと、言いに来ました。


今回は、そんなお話です。

土曜の昼の美容室は、ドライヤーの音と、知らない人の笑い声でいっぱいだった。


凛は受付で名前を言ってから、待合の椅子に浅く座った。雑誌を一冊取って、開いて、何も読まずに閉じた。


「凛ちゃん」


奥から、みのりが顔を出した。いつもの店で見るときとは違う、黒いエプロン姿だった。


「こっちどうぞ」


案内された椅子に座ると、目の前の鏡に自分の顔が映った。後ろにみのりが立って、ケープを広げる。首元で留める手つきが、慣れていて早かった。


「今日は、どうする?」


鏡越しに、みのりが聞いた。


凛は少しだけ黙って、それから、前髪に手をやった。


「……前髪、揃えてほしいです」


みのりは、凛の前髪を指先ですくった。左側を少し持ち上げて、鏡の中で見比べる。


「……凛ちゃん」

「はい」

「これ、自分で切ったよね。左」

「……切りました」

「今度は左だけ頑張ってる」


凛は、鏡の中の自分から目を逸らした。


「右を揃えたら、左が長く見えたので」

「それで、左を切ったら」

「右が長く見えました」

「うん」

「で、ここに来ました」


みのりは、声を出さずに笑った。肩が少しだけ揺れていた。


「言ってって言ったのに」

「言いに来ました」

「来るまでに、二回切ってるよね」

「……三回です」


みのりはコームを取って、凛の前髪をとかし始めた。


「明日、何時に出るの?」

「七時四十分の電車です」

「早いね」

「早いです」

「じゃあ、朝、自分で直せるようにしとこうか。崩れにくい感じで」

「お願いします。電車、長いので」


みのりは、それ以上は聞かなかった。何の電車なのか、どこへ行くのか。凛も、言わなかった。


ハサミの音が、耳の近くで小さく鳴り始めた。


凛は、鏡を見た。自分の顔が映っている。見ていると、だんだん知らない人の顔に見えてくる。目を逸らすと、今度は隣の席の知らない人と鏡越しに目が合いそうになる。凛は、もう一度自分の顔に戻った。


「……美容室って、目、どこ見てればいいんですか」

「どこでもいいよ」

「自分の顔見てると、変な気分になるんです」

「雑誌、読む?」

「雑誌読んでると、話しかけないでくださいって思われないかなって」

「思わないよ」

「でも、読んでたら話しかけないですよね」

「話しかけないね」


凛は、少し黙った。


「……話しかけないんですか」


みのりの手が、一瞬止まった。


「話しかけてほしいの?」

「そういうわけじゃないです」

「じゃあ、話しかけない」

「……それも、ちょっと」


みのりは、今度は声を出して笑った。凛は、鏡の中で眉を寄せた。


「凛ちゃん、美容室、苦手でしょ」

「得意な人、いるんですか」

「いるよ。三時間ずっと喋ってる人」

「その人は、美容室が得意なんじゃなくて、喋るのが得意なんです」

「そうかも」


みのりの指が、凛の前髪を少しずつ持ち上げては、下ろしていく。櫛の歯が額を撫でる感覚が、少しくすぐったかった。


「目、閉じてて」


凛は目を閉じた。


ハサミの音がした。細かい髪が、頬のあたりに落ちる感じがした。みのりの手が、左から右へ、ゆっくり動いていく。


目を閉じていると、店の音がよく聞こえた。遠くのドライヤー。シャンプー台の水の音。誰かが「すっきりしました」と言う声。受付の電話。みのりの、小さな呼吸。


「……みのりさん」

「ん?」

「バーで、いつも店長に何頼んでるんですか」

「え、なんで今?」

「目を閉じてると、思い出すので」

「何を」

「みのりさんが座ってる席とか」


みのりは、少しだけ手を止めて、また動かした。


「……いつもは、最初は軽いの。二杯目から、みっくんにおまかせ」

「おまかせなんですか」

「うん。みっくん、だいたい当てるから」

「外したことないんですか」

「一回だけある。すごく甘いのが出てきた」

「どうしたんですか、それ」

「悠真に半分あげた」

「悠真さん、飲んだんですか」

「『甘い』って三回言いながら、全部飲んだ」


凛は、目を閉じたまま、カウンターの内側からいつも見ている光景を思い浮かべた。みのりの前にグラスを置く満の手。隣で、同じ席に座っている悠真。そこに、そんな日があったことを、凛は知らなかった。


「……今度、甘いのが出てきたら、分かるようにします」

「分かってどうするの」

「悠真さんの顔、見てます」

「見なくていいよ」


ハサミの音が、止まった。


「はい、開けていいよ」


凛は、目を開けた。


鏡の中の前髪が、まっすぐだった。右も、左も、同じ長さで、同じ角度で、眉の少し上に落ちていた。


「……揃ってる」

「揃えたからね」


みのりは、ドライヤーで前髪を軽く流して、それから引き出しを開けた。小さな黒いピンを二本取り出す。


「明日の朝、ここ、少しだけ横に流して、これで留めて。こう」


みのりは、凛の前髪の横を指でつまんで、ピンを一本、見えない角度で差し込んだ。


「電車で寝ても、これなら崩れない」

「寝る前提なんですね」

「七時四十分でしょ」

「……寝ます」


みのりは、もう一本のピンを小さな紙袋に入れて、凛の手に乗せた。


「予備。二本あれば、一本なくしても大丈夫」

「なくす前提なんですね」

「前髪、三回切る人だから」


凛は、紙袋を握った。


会計のとき、凛は財布を開いた。お札の入っているところとは別の仕切りに、白い封筒が一枚、折れないように挟んであった。みのりの目が、一瞬だけそこへ行った。


「……新札、銀行で替えてきました」


聞かれてもいないのに、凛は言った。


「えらいね」

「普通です」

「普通のこと、ちゃんとやる人はえらいよ」


凛は、財布を閉じた。


店の入口まで、みのりが見送りに出てきた。自動ドアが開いて、外の空気が入ってくる。土曜の昼の、少し冷たい風だった。


「このあと、どうするの」

「シフトです。夜から」

「あ、土曜だもんね」


みのりは、それだけ言った。


凛は、店の前のガラスに映った自分を見た。前髪が、まっすぐだった。左に、手をやった。触ってみても、右と同じ長さだった。


「……みのりさん」

「ん?」

「……言いに来て、よかったです」


みのりは、少しだけ目を丸くした。それから、いつもの顔で笑った。


「明日、楽しんできてね」

「楽しんでくるかは、分かりません」

「じゃあ、楽しかったら教えて」

「……楽しくなかったら」

「それも教えて」


凛は頷いて、歩き出した。角を曲がる手前で、一度だけ、ガラスに映った前髪を確かめた。


揃っていた。

「楽しかったら教えて」

「楽しくなかったら」

「それも教えて」


今回は、このやり取りがけっこう好きです。


何があったかより、

あとで話せる相手がいるのもいいですよね。


それはそれとしまして、

皆さんにも「どっちだったとしても話したい人」っていますか?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。