黒き泥水の奇跡と、職人の眼
「大地の底から湧き出る黒い泥水から、その鉄の馬を動かす聖水を作るだと? ……おい人間、職人をからかうのも大概にしろ」
ドワーフの街の最深部。ガスタ親方は、立派な髭を震わせながら太郎を厳しく睨みつけた。
彼らの案内で連れてこられた鉱山の奥深くには、異臭を放つ漆黒の粘り気のある液体――地球で言うところの『原油』がドロドロと湧き出ていた。
ドワーフたちにとっては、鉱石を掘る邪魔になり、素手で触ればなかなか落ちず、燃やせば酷い黒煙を上げるだけの「処分に困るゴミ」だった。
太郎は現役の自衛官であり、博学な趣味人だ。原油を熱して沸点の違いを利用すれば、ガソリンや軽油が抽出できるという『分別蒸留』の知識は持っている。
だが、現代の精巧なエンジンは不純物を極度に嫌う。
ただ燃える油を取り出すだけでは駄目だ。
精密な温度管理と、高度な精製を繰り返さなければ、高機動車の心臓部は一発で焼き付いて壊れてしまう。
口頭で『温度を変えて沸騰させれば、綺麗な燃料が手に入ります』って説明しても、頑固な職人さんは納得してくれませんよねぇ。よし、百聞は一見に如かず、だ!
太郎は剽軽に笑いながら、周囲を見回した。
ガスタ親方、それに姫様。
このゴミを神の燃料に変えるために、皆さんの最高の技術を私に貸していただけませんか?
……フン、面白い。お前がそこまで言うなら、この国の職人の意地を見せてやる。
何を作ればいい?
昼間にマルチツールの精密さを見せつけられているガスタは、不機嫌そうにしながらも、その職人魂に火を灯していた。
「太郎様のお願いですもの! どのような力仕事でも、このシャルロットにお任せください!」
ネグリジェからいつもの頑強な甲冑に着替えた姫様が、豊かな胸を揺らしながら、太郎の骨がミシミシと鳴る強さで腕を引いた。貞操の危機は継続中だが、今はその圧倒的な『怪力』が何よりも頼もしいリソースだ。
ありがとうございます。じゃあ、まずは親方。
この街で一番強いお酒と、それを造る時に使う『酒の蒸留機』を貸してください。
話はそこからです
*
ガスタの工房の中庭に、ドワーフの伝統的な酒の蒸留機が据え付けられた。
銅製の丸い釜に、細い管が伸びて冷却用の水槽へと繋がっている、地球の中世のものとよく似た構造だ。
ドワーフの弟子たちが、度数五十度を超える芋の猛烈な地酒を樽ごと運んでくる。
おい、山田。酒をどうする気だ? 蒸留なら俺たちの方が詳しいぞ。
火をかければ、より強い酒が上の管から垂れてくる。
それだけのことだろ?
ガスタが腕を組んで鼻で笑う。
「ええ、まさにその『それだけのこと』が、今回の奇跡のすべてなんです」
太郎は温度計(自衛隊の装備から持ってきたデジタル式の検温計)を釜に取り付けながら、火口の前に控えるドワーフの弟子たちに指示を出した。
「いいですか、火力を細かく調整して、この釜の中の温度を正確に『七十八度』でピタリと維持してください。
それ以上熱くしても、冷ましてもダメです」
「な……? 温度を固定するだと? そんなシビアな火加減、ベテランの職人の感覚じゃねえと――」
「そこは親方の腕の見せ所ですよ、さぁ、お願いします!」
ガスタが渋々フイゴを操り、長年の経験とドワーフの持つ魔法それを操る職人の絶妙な技で、釜の温度を太郎の指定するラインへとピタリと合わせた。
しばらくすると、冷却管の先から、トトト……と透明な液体が滴り落ち、太郎の用意したガラス瓶へと溜まっていく。
「さぁ、親方。この溜まった液体を飲んでみてください」
ガスタは不審げにガラス瓶を取り、恐る恐る口に含んだ。その瞬間、老ドワーフの目がカッと見開かれた。
なっ……なんだこれは!? 辛ぇ! 酒の味が全くしねえ、喉が焼けるような……ただの純粋な『火酒そのもの』だ!
それが『エタノール』――お酒の中のアルコール成分だけを純粋に抽出したものです
太郎は博学な知識を披露するように、指を一本立てた。
☆水は百度で沸騰しますが、アルコールは七十八度で沸騰して気体になります、だから、七十八度を維持して温めれば、お酒の中の水気や不純物は釜に残ったまま、アルコールだけが先に蒸気になって管を通り、冷やされて純度九九パーセントの綺麗な液体として絞り出せる。
……これが、私の故郷の科学の基本、沸点の違いを利用した『分留』です
ガスタ親方は、自分の手の中の純水のようなアルコールを見つめ、それから太郎の顔を見た。
「……沸点の違い。水と酒で、沸騰する温度が違うから、温度を操れば混ぜ物の中から『欲しいものだけ』を完璧に引き剥がせるってことか……!」
口で言っても信じなかった頑固な老職人の目が、職人としての深い理解と驚愕に色を変えていく。
「その通り。そして、あの鉱山の奥にある『黒い泥水』も同じなんです、あのドロドロの塊の中には、ガソリン、灯油、軽油、重油……様々な温度で沸騰する異なる性質の油が、複雑に混ざり合っているだけなんですよ」
太郎は中庭の地面に、拾った鉄の棒で簡単なスケッチを描き始めた。
それは、地球の石油コンビナートにある【蒸留塔(分別蒸留装置)】の簡易設計図だった。
親方。酒の蒸留機じゃ、一度に一つの温度しか扱えません、なまじ精巧な俺の『鉄の馬』を動かすには、泥水の中から『ガソリンの成分』だけを、一滴の不純物もなく完璧に、何度も繰り返して精製しなきゃならない。
だから、縦に長くて、内部にいくつもの階層がある、この『鋼鉄の塔』をイチから作ってほしいんです。
ドワーフの最高の鋳造技術があれば、絶対に作れるはずだ。
図面を見たガスタは、しばらく絶句していた。
魔力に頼らず、ただの金属の構造と温度の対流だけで、混ざり合った液体を自動で階層ごとに分離させる未知の巨塔。
おい、山田……。おめぇは、とんでもねえ男だな。
こんな構造、一体どうやって思いつきやがった……!
あはは、故郷の先人たちの受け売りですよ。
さぁ、時間がありません。高機動車の燃料のランプはもう消えかけてる。
姫様、材料となる耐熱レンガと頑丈な鉄材の運搬、お願いできますか?
はいっ! 太郎様のためなら、城の壁ごと引っこ抜いてでも集めてまいりますわ!
シャルロット姫様は、その愛らしい顔を輝かせながら、大人の男十人がかりでも動かせない巨大な鉄塊を、軽々と両手で持ち上げて工房へと運び込み始めた。
「へっ! エッ!……すっ凄まじいな、本当に……人間か?人間の範疇なのか?王国最強と聞いたが、この世界での立ち位置はどのへんなんだ?」
太郎はその人外の光景に改めて貞操の危機を感じて震えつつも、異世界の技術(ドワーフの鋳造)と、異世界最強の労働力(姫様)を要領よく組み合わせ、国家規模のエネルギー革命へと足を踏み出すのだった。




