星系シャルロット
虎の牙を抜く「お使い」
神聖シャルロット帝国の首都星として再定義され、その名を改めた『星系シャルロット(旧・虎の獣人星)』。
太郎の冷徹な「魔王演説」と大商会による迅速な事務処理により、表面上の統治体制は整ったかのように見えた。
だが、実態は困難を極めていた。
「報告します。本日も旧主星の第三区にて、小規模なサボタージュが発生。帝国の配給物資の受け取りを拒否する虎族の集団が確認されました」 エルフの女性護衛が、渋い顔でデータ端末を太郎に差し出す。
虎の獣人たちは、元来プライドがエベレストよりも高い戦闘種族である。
しかも彼らの多くは、先の決戦や過去の戦いにおいて、身内や同胞の誰かしらがシャルロット姫の手にかかって命を落としていた。
太郎の圧倒的な恐怖政治の前に、表立って叛逆の狼煙を上げる度胸はなかったが、街を行き交う彼らの目は決して死んでいなかった。
隙あらば魔王の首を据えかねない、静かな憎悪の火床が星全体に満ちていたのだ。
「……なるほどな。力で押さえつけるだけでは、いつかゲリラ戦に発展する。自衛隊の治安維持活動(PKO)の教本にもある通り、まずは奴らの『心を折る』必要がある」 執務室――もとい、バイタルセンサーに囲まれた総合診察室のような部屋で、四十歳の参謀・太郎は、顎をさすりながら一計を案じた。
「よし、シャルロットを呼んでくれ。彼女に『お使い』を頼む」 太郎がとった戦術は、常人の斜め上を行く狂気の心理戦術だった。
なんと太郎は、星中の虎族が最も恐れ、最も憎んでいる「恐怖と破壊の象徴」であるシャルロット姫様を、主星の中で完全に『放し飼い』にしたのである。「えっ? 太郎様、私、お買い物に行ってきてもよろしいのですか?」 お姫様育ちの17歳の許嫁は、太郎からお小遣い袋を手渡され、純粋に目を輝かせていた。
実のところ、シャルロット自身は、周囲の悪意に対してはとことん無頓着だった。
彼女は無敵の破壊神である。
虎族の生き残りが陰から怨嗟の目を向けようが、暗殺者が戦艦の主砲を持ち出して彼女を不意打ちしようが、無敵の肉体には痛くも痒くもない。
服が戦闘の余波で弾け飛んだとしても、「お姫様育ち」の彼女にとって、服などいくらでもあるし、大好きな太郎様にまた新しい可愛いドレスを買ってもらえるだけのご褒美でしかなかった。
彼女が破壊神としての暴力を振るうのは、ただ一条件――『太郎が関係した時』だけである。
太郎に関する些細な悪口も、彼のポスターを傷つける不敬も、彼女は絶対に許さない。
そして、そんな彼女の「ちょっとしたお仕置き(軽いデコピンや足払い)」であっても、普通の生命体にとっては例外なく「即死」を意味した。
そんな歩く大量破壊兵器が、普段着のドレスを着て、普通に街中の市場を歩き、お惣菜やお菓子を買い物するのだ。
虎族の住民たちからすれば、たった今しがたまで宇宙の彼方に見えていたはずの『絶対的な死神』が、いきなり自分のすぐ隣を鼻歌交じりで歩いているようなものである。
恐怖以外の何物でもなかった。「あ、これ美味しそうですわね。太郎様のお夜食に買いましょう❤」 シャルロットが笑顔で露店の店主に話しかけるだけで、虎族の店主は恐怖のあまり泡を吹いて卒倒し、周囲の群衆は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
さらに恐ろしいことに、シャルロットの移動手段は常軌を逸していた。
彼女は首都圏以外の地域へ行く際、宇宙船などに乗るのを面倒くさがり、自らの強靭な脚力を利用した『生身の弾道飛行』で主星中を飛び回ったのだ。
ドゴォォォン!!と音速を超える衝撃波を撒き散らしながら、地平線の彼方から笑顔のシャルロットが弾道ミサイルのように飛来し、ズドォォォン!!と地表をクレーター状に凹ませながら着地する。
そして何事もなかったかのように「こんにちは」と街の果物屋に現れるのだ。星全体の住民にとって、これ以上の脅威は存在しなかった。
時たま、恐怖のあまり理性を失った馬鹿な虎族の若者たちが、街頭に貼られた『魔王・太郎』のポスターを破り捨てたり、太郎への罵詈雑言を叫んだりする事件が発生した。
その瞬間、お買い物中だったシャルロットの笑顔が消える。「――今、私の太郎様のことを何と言いましたかしら?」 次の瞬間、その一帯の区画ごと、敵の影も形も残らない凄まじい「殲滅戦」が平然と行われた。
そんな絶望的な日常が数ヶ月にわたって積み重ねられた結果、誇り高き虎の獣人たちは、ついに理解した。
あの魔王の逆鱗に触れれば、星ごと消される。
自分たちの誇りなど、あの怪物の前には塵に等しい、と。
こうして、反破壊神同盟の切り込み隊長だった虎の牙は、一本残らず完全に抜き取られ、神聖シャルロット帝国の首都星は完璧な静寂(絶対的服従)へと至るのだった。
星系シャルロットの治安が文字通り物理的に平定されてから、月日は流れ、気づけば太郎が異世界に流れて着いてから1年という歳月が経過しようとしていた。 それは同時に、本来の約束であった、シャルロット姫と太郎の正式な『結婚式』の日取りが近づいていることを意味していた。
「太郎様! 本国(シャルロットの故郷の王国)の両親から通信が入りましたわ! 式の段取りはすべて整った、いつでも帰ってきなさい、とのことです!」 ブリッジに飛び込んできたシャルロットが、嬉しそうに太郎に抱きついた。
大商会長や日本政府の調整により、結婚式は大規模に『新帝国の帝都(星系シャルロット)』と『シャルロットの故郷の王国』の二回に分けて執り行うという、国家規模の大イベントとしての段取りが急速に進められていた。
だが、このめでたい決定が下された瞬間、新帝国の裏で、もう一つの、そして今までで最も熾烈な戦争が勃発した。
「――どちらが先に、太郎様のお子を授かるか。勝負ですわね、シャルロット様」 アリスお嬢様が、ふさふさの猫耳をピクピクと攻撃的に動かしながら、応接室のテーブルを叩いた。
「ハッ、笑わせないでください、泥棒猫! 太郎様の第一の正妻は私です! 最初に太郎様の血を引く可愛い赤ちゃんを産むのも、この私に決まっていますわ!」 シャルロットも顔を真っ赤にして巨乳を突き出し、一歩も引かない。
ここから、二人の「どちらが先に太郎の子を生むか」を巡る、熾烈極まるマウント合戦が幕を開けた。 純粋な戦闘力(物理)では、不老不死の破壊神であるシャルロットに逆立ちしても勝てないアリスお嬢様だったが、彼女には猫妖精大商会の令嬢としての「知力」と、そして何より「太郎の健康管理」という絶対的な盾があった。
シャルロット様。太郎様は脆弱な地球人なのです。
あなたのように、本能のままに夜のベッドで太郎様を襲えば、お子を授かる前に太郎様が『腹上死』して、帝国の未来が終わりますわよ? その点、私であれば、適切な体位、適切なバイタル管理の元、安全かつ確実に太郎様に最高の子宝を授けることができますの。
……ねぇ、太郎様?❤ アリスはお嬢様らしい気品を保ちながら、データ端末の数値を盾に、理路整然とシャルロットへ精神的マウントを仕掛けた。
「な、ななな……っ、何を破廉恥なことを……っ! 太郎様の愛の受け皿は私です! 泥棒猫に太郎様の夜の管理を任せるなど、言語道断ですわ!」 知力で攻め立てられるシャルロットは、顔を真っ赤にして、今度は「物理的な妨害工作」へと走った。
シャルロットは、太郎に気づかれないよう、自らの圧倒的な魔力と空間把握能力を駆使し、アリスお嬢様が太郎の自室や執務室(病院)へ近づこうとするのを全力で阻止し始めたのだ。
アリスが太郎の部屋へお茶を運ぼうと廊下を歩けば、突如として空間が歪み、アリスの目の前の扉が「ガッチャン!!」と文字通り超重力で溶接されて開かなくなる。アリスがメイドたちと秘密のルートから夜這いを仕掛けようとすれば、廊下の床が突如として爆発的な風圧(シャルロットのデコピンの風圧)によって吹き飛ばされ、アリスたちは戦艦の最深部まで吹き飛ばされた。
「ちょっとぉー! シャルロット様、これは職権乱用、いえ、武力の不当行使ですわよ!」「知りませんわ! 太郎様の防衛ラインは、第一夫人である私が死守いたします!」 当然、この過激なキャットファイトの最大の被害者は、間に挟まれる太郎だった。
アリスが仕掛けた知的なマウント(夜の誘惑)のせいで、背後のシャルロットの嫉妬ゲージが跳ね上がり、結果として太郎の部屋が突発的な重力波で半壊したり、アリスを追いかけ回すシャルロットの余波に巻き込まれて、太郎の肋骨が風圧だけでミシミシと悲鳴を上げたりした。
「……もう駄目だ。このままだと、俺は結婚式の前に二人の愛の板挟みで圧死する……」 限界を迎えた太郎を見かねて、大商会長とエルフの治療長が仲裁に入り、最終的に、新帝国の最高機密として以下の恐るべき妥協案が可決された。
『参謀殿の命の維持のため、夜のお相手は【周替わり】で交互に行うこととする。ただし、担当週でない側は、寝室のICUのガラス越しにいかなる妨害・監視も行ってはならない』 全宇宙の命運を握る「魔王」の寝室のスケジュールが、こうして一週間のローテーションで管理されるという、あまりにも物々しく、そして情けないサバイバル体制が確定した瞬間だった。
しかし、その「周替わりベッド戦記」が始まってからというもの、戦艦内に極秘常駐している地球(日本)からの精鋭医師団、および遺伝子学者たちは、毎週末になるたびに、この世の終わりを見たかのような戦慄と絶望に包まれていた。
「……信じられない。これが、毎週繰り広げられている『営み』の後のバイタルデータだというのか……?」 日本から派遣された救急救命の権威である白髪の医師が、ハイテク魔導ICUのモニターを見つめながら、ガタガタと手を震わせていた。 そこには、担当週を終えた太郎の、文字通り「死線」を行き来したカルテが刻まれていた。
心拍数は一時的に人間の限界値を大幅に超え、細胞組織は破壊とエルフの再生魔法による超高速修復を数十回ループし、ゴブリン特製の超強力強壮剤によって脳内の神経伝達物質は麻薬以上の過剰分泌を起こしている。
普通の地球人なら、最初の5分でショック死していてもおかしくない地獄のバイタルだった。 だが、医師団をさらに驚愕させ、絶望させたのは、
第一夫人の週ではなく、
第二夫人候補であるアリスお嬢様の週だった。
「……エルフの治療長。一つ、確認させてくれ」 地球の生理学者が、顔を青ざめさせながらコンソールを叩く。
「アリスお嬢様は、内政実務を担当する『普通の猫耳の女の子』だと聞いていたんだが……この、彼女が興奮した際の骨格密度、および筋肉の瞬間出力(収縮率)のデータは、一体何なんだ?」
「あ、それですか?」 ドワーフの若いメカニックが、スパナを回しながら平然と言った。「お嬢様はケット・シーの王族の血筋じゃからな。あのしなやかな細腕でも、本気で獲物を捕らえる時の瞬間最高筋力は、我がドワーフの重機戦車を素手で引き裂くレベルじゃよ。
地球の基準だと、完全な『超人』、あるいは生体兵器の部類じゃな」
「重機戦車を、素手で……っ!?」 地球人医師団は、全員が頭を抱えて絶望した。
シャルロット姫様が「無敵の破壊神(怪物)」なのは知っていた。だが、大人しそうに見えたアリスお嬢様もまた、その気になれば四十歳の中年男性の腰骨など、小指一本で粉砕できるほどの、生物的な圧倒的超人だったのだ。
「何故だ……何故、太郎参謀はこの二大超人を相手にして、未だに肉体が五体満足で繋がっているんだ? 何故、死なないんだ……!?」「医師長、これはもう、医学や生理学の領域じゃない……。超常の存在の賜物か、あるいは、彼の彼女たちへの『愛』が引き起こしている、純然たる奇跡だと言うほかない……!」 週末のICUで、ボロボロになりながらもゴブリンの強壮点滴を打ち、なんとか生き延びて「ふぅ……今週も生き延びたな……」と弱々しく微笑む太郎の姿を見て、地球の医師団は畏怖の念を抱き、泣きながらキーボードを叩いた。
その後、地球の日本政府の最高幹部、および自衛隊の防衛秘密本部に、一通の極秘レポートが送信された。
『――新帝国より極秘報告。太郎参謀の生理状態および夜間のバイタル解析完了。結論から申し上げます。参謀殿を取り巻く寝室環境は、地球上のあらゆる紛争地帯を凌駕する、宇宙で最も過酷な生存環境です。
彼が未だに生存していること自体が、我が国の防衛医学を超越した【奇跡】としか表現できません。我が医療団の技術を以てしても、彼の命を繋ぎ止めるのが限界であり、子作りを成功させるための余力を持たせることは極めて困難であると締めくくります』 数日後。 地球の日本、市ヶ谷の秘密執務室にて、その絶望的なレポートを読み終えた太郎の元上司――自衛隊の「一佐」は、深刻な顔で深く椅子に背をもたれ掛けさせた。
「……そうか。我が国の最先端医学を投入しても、太郎の夜の営みを楽にしてやることはできんのか……」 一佐は、宇宙の命運を握る元部下のために、自分たちが国家として「何もしてやれない」という無力感に苛まれた。だが、彼はしばらく考え込んだ後、引き出しから一通の封筒を取り出し、戦艦へ向かう高速隠密船の連絡員へと手渡した。
「これを、太郎に届けてくれ。……今の彼に必要なのは、医学ではない。これだ」 パレードが終わり、首都星の統治が固まりつつある戦艦のハイテクICU(寝室)。 ベッドの上で点滴を打たれていた太郎の元に、地球からの極秘物資として、その封筒が届けられた。
太郎が不思議そうに封筒を開けると、中から出てきたのは、日本の有名な神社で買い求められたと思われる、古風な刺繍が施された一枚の『子宝の御守り』だった。 そして、元上司である一佐からの、短い手紙が添えられていた。
『太郎へ。地球の医学は敗北した。あとは神頼み(日本の神々)だ。生きて、何としても跡継ぎを残し、宇宙の平和を守り抜け。健闘を祈る』
「……一佐。自衛隊の元上司が、元部下に送る作戦資材が『御守り』って、一体どういうことなんですか……」
太郎は、日本の伝統的な御守りを握りしめながら、天井を見上げて遠い目を吸った。 外ではシャルロットが故郷での結婚式のドレスを選び、内ではアリスが来週の「自分の週」に向けて爪を研いでいる。 宇宙の歴史を変える戦勝演説を終えた魔王の、これが、あまりにも過酷で、あまりにも命がけな、次なる新章への幕開けであった。




