日常の試練
反破壊神同盟艦隊をたった一隻の残骸を残して文字通り「消滅」させた無敵の破壊神、シャルロット姫様は、全宇宙を恐怖のどん底に叩き落とした直後、弾かれたように愛しの太郎のもとへと引き返していた。
彼女にとって、全宇宙の平和も、反破壊神同盟の正義も、自分を崇める帝国軍の兵士たちも、太郎以外のすべては等しく「その辺を這い回る虫ケラ」と何ら変わりはない。
先ほどの苛烈な戦闘の余波により、彼女の衣服は跡形もなく弾け飛び、一糸まとわぬ完全な全裸姿になっていたが、そんなことは一ミリも気にならなかった。
むしろ、これから太郎と行う最高のスキンシップ(愛の暴走)においては、服など最初から邪魔な障壁でしかないとすら考えていたのだ。
「太郎様、太郎様……! 今すぐ戻りますわ、私の愛しい旦那様……!」
ただただ、一秒でも早く太郎の温もりに触れたい。
戦艦へと帰還したシャルロットは、エアーロックが完全に開く時間すらもどかしく、残った魔法障壁の余波で強引に隔壁を押し開けると、そのまま全裸のド迫力ボディで艦橋へと勢いよく飛び込んできた。
「た、太郎様ぁーーーっ!!」
「うおっ、シャルロッ、ちょっ、全裸――」
太郎が何か言葉を発するよりも早く、ブリッジを震撼させる突撃が炸裂した。
まさに抱き潰す、という表現が相応しい圧倒的な質量と膂力で太郎を抱きしめると、彼女は狂おしいほどの情熱を込めて、激しいディープキスを敢行した。
だが、それは人類の、それも四十歳の中年男性の脆弱な肉体で耐えられるものではなかった。
気圧の急変動と、破壊神の濃厚すぎる愛のエネルギー(魔力)を直接脳に流し込まれた太郎は、白目を剥き、一瞬で意識を失ってその場に崩れ落ちた。
「……あら? 太郎様? 太郎様、しっかりなさってくださいまし……?」
腕の中で完全にぐったりとしてしまった太郎に、シャルロットは戸惑いの声を上げた。
おかしい。いつもなら、抱きついた直後くらいはまだ微かに意識を保って、困ったように笑ってくれるはずなのに。
なぜ、今日に限ってこれほどまでに「脆弱」なのか。
怪訝に思ったシャルロットが、太郎の胸元に鼻を近づけ、フンフンと匂いを嗅いだ。
その瞬間、彼女の背筋に爆発的な怒りの導火線が走った。
太郎の身体から、自分以外の、ひどく濃厚で、甘ったるい、しかしよく知る最悪の香水の匂いがプンプンと漂ってきたのだ。
「――っ!!」
シャルロットの顔がが、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
巨乳を、怒りのままに激しく波打たせ、彼女は破壊神同盟を塵に変えた時以上の絶叫をブリッジに響かせた。
「泥棒猫ーーーーーーーーーーーッッ!!!???」
自分が外で太郎様のために悪役(破壊神)を演じてお土産をこしらえている間に、あの小癪なメス猫め、私の大切な聖域(太郎様)に、これでもかと自分の不潔な縄張り(匂い)を擦り付けおったな!
シャルロットは白目を剥いて気絶している太郎を軽々と横抱き(お姫様抱っこ)にしたまま、髪を逆立ててブリッジ内を鋭い眼光で見回した。
「どこですか! どこに隠れました、あの泥棒猫はっ! 今すぐその猫耳を引きちぎって、宇宙の塵にして差し上げますわ!」
しかし、ブリッジにはゴブリンのメカニックと、ガタガタと震えるゴブリンのオペレーターしか残っていなかった。
当のアリスお嬢様は、シャルロット艦にが接近した瞬間に、本能的な野生の危機察知能力を働かせ、専属メイドたちと共に「とっくの昔に」戦艦の最深部へと逃走した後だったのだ。
「チッ……逃げ足だけは速いメス猫ですわね……!」
怒りの矛先を失ったシャルロットだったが、そのドロドロとした独占欲と怒りのエネルギーは、すべて腕の中の太郎へと向けられることになる。
アリスの匂いを一滴残らず、自分の愛で上書きして消し去らねばならない。
「こうなれば……太郎様、覚悟してくださいまし。あなたの中に残る、あの泥棒猫の残滓を、私の愛で徹底的に、骨の髄まで洗い流して差し上げますわ……っ❤」
蕩けるような、しかし完全に目の奥が据わった笑顔を浮かべ、シャルロットは太郎を抱えたまま、猛然と寝室へと向かって廊下を突き進んでいった。
*
ドゴォォォン……! バキィィィン……!
寝室の重厚な装甲扉の向こうから、戦艦の構造フレームすら歪みかねない凄まじい衝撃音と、激しい愛の地響きが廊下にまで漏れ聞こえていた。
「おい、ゴブリンども! 心臓蘇生の魔力結晶はまだあるか!? 参謀殿のバイタルが、さっきから『死』と『再生』の境界線を一秒間に往復しとるぞ!」
「ギギッ! 術式全開! 強壮剤の点滴、最大出力で待機中! いつでも扉を蹴破って突入できるよう、ストレッチャーを構えろ!」
廊下に配備されたエルフの治療長、若いドワーフ、そしてゴブリンの治療士8名は、そのいつも以上の、地獄のサバイバルさながらの激しい「営み」の気配に、全身をガタガタと震え上がらせていた。彼らにとって、これこそが宇宙大戦以上のデスゲームだった。
*
それから、数時間が経過した頃。
嵐が去った寝室の中は、静寂に包まれていた。
ベッドの上では、幾度となく死線を行き来し、治療士たちの懸命な魔法と薬の乱用によってなんとか一命を取り留めた太郎が、包帯を巻かれ、点滴を打たれながら、弱々しく呼吸をしていた。
そして――。
部屋の明かりが落とされた薄暗い隅っこで、シャルロット姫は全裸にシーツを一枚だけぐるぐる巻きにした状態で、膝を抱えて「体育座り」をしていた。
「……うう、私って、本当に駄目な妻です……」
先ほどまでの破壊神の威厳はどこへやら、17歳の許嫁は、またしてもやり過ぎてしまった自分に対する猛烈な自己嫌悪の海に溺れていた。
ひたすら小さくなって、シーツに顔を埋めながら、ぽろぽろと大粒の涙を床にこぼしている。
「太郎様を愛しているのに、アリスへの嫉妬のせいで、また太郎様の骨を何本も折って、心臓まで止めかけてしまって……。
私、いつか本当に、世界で一番大切な人を、この手で殺してしまうんだわ……。うう、太郎様に嫌われてしまったら、私、今度こそ世界なんてどうでもよくなってしまう……」
ひたすらぐずぐずと泣きながら、部屋の隅で反省(引きこもり)を続ける最強のワイフ。
そんな彼女の泣き声を聞きながら、ベッドの上の太郎は、脱水症状をおこし、まだ少し痺れる体に鞭を打って、ゆっくりと上体を起こした。
全身の関節がミシミシと悲鳴を上げ、折れた骨がつながりきらず悲鳴をあげる。
自衛隊のレンジャー訓練でも、ここまでボロボロになった記憶はない。
太郎は魔法ポーションの点滴のチューブを引きずりながら、ベッドから這い出し、部屋の隅にいるシャルロットのもとへと這うようにゆっくりと歩み寄った。
「……シャルロット」
「ひゃぅっ!? た、太郎様、起き上がっては駄目です! まだ骨が完全にくっついて……!」
慌てて顔を上げたシャルロットの前に、太郎は静かにしゃがみ込み、まだ震える手を伸ばして、彼女の涙に濡れた頬を優しく包み込んだ。
そして、困ったような、しかし心の底から愛おしそうな笑顔を浮かべた。
「いいんだよ。お前のおかげで、アリスの香水の匂いは綺麗に消えた。
……ほら、今はもう、お前の匂いしかしないだろう?」
「太郎様……っ」
「俺をそれだけ愛してくれているんだろ。嬉しいさ。
だから、そんなに自分を責めないでくれ。
俺はお前の旦那様(安全装置)なんだから、これくらいじゃ死なないよ。
……まぁ、治療士の皆さんには、後でたっぷりお礼を言わなきゃならないがね」
太郎が優しく頭を撫でてやると、シャルロットは子供のように「う、うわぁぁぁん!」と声を上げて泣き出し、今度は力加減を(必死に)コントロールしながら、太郎の胸へと飛び込んできた。
「太郎様、大好き、大好きです……! もう絶対に、無茶はしませんわ……っ!」
「ああ、分かっているよ、シャルロット」
部屋の隅で、泣きじゃくる17歳の最強の嫁を、四十歳の中年参謀が優しく抱きしめ、慰める。
全宇宙を恐怖させた『神聖シャルロット帝国』の最高権力者たちの、これが歪で、しかし確かな愛の、いつもの日常の結末であった。
(続く)




