王都への随行
ガラム辺境伯の本拠地である城へと到着した山田太郎は、さっそく最上級のスープと柔らかいベッドを堪能していた。
砦での大逆転劇を経て、アルベルト辺境伯からは「一目置かれる武力を持った奇妙な男」としてのポジションを要領よく勝ち取った。
だが、異世界の権力構造の懐に入ったからこそ、余裕を持って状況判断ができた、
そして現実的な問題が太郎の前に立ちはだかっていた。
(……やばいね。燃料が、思ったよりカツカツだ)
城の広い厩舎の隅に駐車された高機動車を見つめながら、太郎は計算を弾いていた。
高機動車の外部ラックには、自衛隊お馴染みの【20リットル入りのジェリカン(予備燃料タンク)が4つ】、計80リットルが満載されている。
本体の燃料タンクと合わせれば、まだしばらくは動かせる。
しかし、この世界にガソリンスタンドなどない。
この備蓄が尽きれば、鋼鉄の馬はただの重い鉄の箱になる。
(この世界にはガソリンの代わりは無いだろうな、この世界の植物油とかでエンジンが回らないかな?……。ま、それは後だ。今は使えるリソースを節約しつつ、次の手を打たないとね)
太郎がそんな冷徹な計算をしていると、背後からドスドスと騒がしい足音が近づいてきた。
「おい! 貴様がじいちゃんの言ってた『さんぼう』か!」
振り返ると、そこにいたのは十歳前後の、仕立ての良い服を着たやんちゃ坊主だった。アルベルト辺境伯の孫、レオだ。
レオは太郎の珍しい迷彩服を見るなり、いたずら小僧特有のギラギラした目で、手にした泥団子を投げつけようと振りかぶった。
「おっと、危ない」
太郎はひょいと首を傾げてそれをかわすと、朗らかな笑みを浮かべた。
「辺境伯の坊っちゃん、初手から手荒い挨拶だねぇ、でも、泥団子じゃ俺には当たらないよ?」
「なんだと! じゃあこれはどうだ!」
レオが次々と掴みかかろうとしたり、蹴りを入れようとしたりするが、太郎は一切力を使うことなく、猫のように身軽なステップで全てをいなしていく、かつて「猫系男子、(意味がちがう!かって太郎にそう言った婦人自衛官たちなら叫んだはず)」と呼ばれた気まぐれな身のこなしに、やんちゃ坊主は翻弄され、やがて息を切らしてその場にへたり込んだ。
「く、くそっ……! なんで当たらないんだよ!」
「大人の要領の良さを舐めちゃいけないよ、坊っちゃん」
太郎はレオの目線に合わせてしゃがみ込むと、自身の両手を差し出した。
「そんなに暴れたら疲れちゃうでしょ。道具のいらない、もっと面白い勝負を教えてあげる。――『ジャンケン』って言うんだけどね、勝ったらお菓子をあげるよ」
「じゃんけん……?」
グー、チョキ、パー。
道具も力も一切使わず、心理戦だけで勝敗を決める地球の遊びは、異世界のやんちゃ坊主にとって新鮮そのものだった。
太郎はおどけた調子でわざと負けて見せたり、絶妙な心理誘導でレオを勝たせたりしながら、あっという間に少年の心を掴んでしまった。
「すげえ! これ面白い! もう一回、もう一回やろう、さんぼう!」
「へいへい、お安い御用で」
年のいった上司(辺境伯)だけでなく、その孫まで秒速でたらし込む。太郎の「人たらし」の牙は、子供相手でも遺憾なく発揮されていた。
だが、そんな平和な時間は長くは続かなかった。
「……フン。国境の砦を救った英雄と聞いてみれば、子供相手に小細工で媚を売る胡散臭い男か」
冷ややかな声と共に、数人の若い騎士たちが歩み寄ってきた。
彼らは、規律を重んじる、太郎が元の世界でも最も苦手としていた「歳の近い直属の上司」に近いタイプの若手エリートたちだった。
異世界人の圧倒的な身体スペックと、騎士としてのプライドを持つ彼らにとって、魔力も感じられず、ふらふらとした態度の太郎は「詐欺師」のように見えて不愉快極まりなかったのだ。
「山田殿。我が辺境伯閣下を騙せても、我々の目は誤魔化せん、砦での功績が本物だというなら、私と手合わせ願いたい、その衣服の下に、どれほどの力を隠しているのか見せてもらおうか」
リーダー格の若い騎士が、模擬戦用の木剣を太郎に突きつける。
周囲の空気があっという間に緊迫した。
レオが「おい、やめろよ!」と叫ぶが、騎士たちは引かない。
(あーあ、めんどくさいなぁ。これだから若くて真面目な兵隊さんは苦手なんだよ。生身の筋力じゃ勝負にならないっての)
太郎は内心で深く溜息をついた。
だが、ここで逃げれば、せっかく築いた城での楽なポジションが崩れる。
「分かりましたよ。でも、私は平和主義者なので、剣は使いません、素手でそちらの攻撃を『受け止める』だけでいいですか?」
太郎は木剣を持たず、朗らかな笑顔のまま、だらりと両手を下げて構えた。
「舐めるなッ!」
若い騎士が激昂し、地を蹴った。異世界人の超人的な踏み込み。
おお!早い!‥しかし、想定内。
一瞬で距離を詰め、太郎の胸元へ向かって剛腕を伸ばし、組み伏せようとする。
だが、太郎の身体は、彼が突っ込んでくるよりも早く、その場から「消えた」。
(――『四方投げ』)
太郎が使ったのは、地球の古流武術の流れを汲む【合気道】だった。
合気道は、相手の攻撃する力をそのまま利用し、関節の構造と重心の移動だけで相手を制する武術だ。
力の強さは関係ない。
むしろ、相手の突進する力が強ければ強いほど、その破壊力はそのまま本人に跳ね返る。
若い騎士が伸ばした腕の手首を、太郎はほんの少しの力で、滑らかな円を描くように掴み、捻った。
「なっ――!?」
騎士は、自分が太郎を押し込んでいるつもりだった。
しかし気付けば、自分の突進の勢いのまま、世界の天地が逆転していた。
骨が悲鳴を上げるような不可思議な激痛が手首に走り、抗う間もなく、自身の巨体が宙を舞う。
――ドサァァァン!!!
中庭の土煙が舞う中、若い騎士は背中から激しく地面に叩きつけられ、絶句していた。
何が起きたのか、完全に理解できていない。
力比べですらない、
まさに『初見殺し』の技だった。
「おっと、大丈夫ですか? ちょっと足元が滑りやすかったみたいですねぇ」
太郎は涼しい顔で、自分の服の埃を払った。
周囲で見ていた他の若手騎士たちは、完全に恐怖の表情を浮かべて硬直していた。魔力も使わず、ただ手を触れただけで、自慢の同僚が軽々と投げ飛ばされたのだ。
(……何だあの技は!? 触れた瞬間にこちらの体の自由を奪う、禁忌の暗殺術か!?)
若手たちの脳内で、太郎の『ハッタリ』がまたしても恐ろしい神話へと書き換えられていく。
彼らは一斉に姿勢を正し、太郎へ向かって深い敬礼を捧げた。
完全に心服した瞬間だった。
だが、太郎の内心は冷や汗でダラダラだった。
(うわぁ、完璧に決まっちゃったよ、これ、もう一回やり直してって言われたら、技の構造を見切られてバレて死ぬな……。絶対に二度目はやらないぞ)
「いやぁ、私の故郷の『あいき』という魔法は一日に一回しか使えなくてね、これにてお開き!」
太郎は要領よくその場をハッタリで煙に巻き、そそくさと退散した。
*
その日の午後、アルベルト辺境伯から急な呼び出しがあった。
執務室に入ると、老将軍は昨日までの厳しい表情から一転、非常に苦渋に満ちた顔で手紙を見つめていた。
「『参謀』殿。状況が変わった。……王都の王家より、急な召集令状が届いた。
魔物の森の異変と、それを一瞬で制圧した貴様の『武力』について、国王陛下が直接説明を求めておられる」
アルベルトは太郎を見つめ、静かに告げた。
「我が孫のレオも、王都の学舎へ通う時期だ。共に連れて行く、山田太郎、貴様も私の『随行員』として、王都へ来てもらう」
「おやおや、今度は王様ですか、出世街道が急すぎて目が回りそうですね」
太郎はおどけて笑ったが、その目は冷静だった。
城の図書室を要領よく調べ回ったものの、結局、自分がこの世界に迷い込んだ『神隠し』に関する明確な手がかりは見つからなかった。
この世界の最高権力である「王家」に向かうということは、より古い歴史の闇や、地球へ帰るための本質的な手がかりに近づく絶好のチャンスだ。
「分かりました、辺境伯閣下。その王都への長旅、私の『鉄の馬』も喜んでお供しましょう。……ただし、途中でガソリン、あ、いえ、『馬の飲み水』を補給する面白い方法を、旅の間に一緒に考えてもらえると助かるんですがねぇ」
外部の予備燃料タンクはあと4つ。残り少ない現代のリソースを睨みつけながら、四十歳の叩き上げ士官は、やんちゃ坊主と頑固な老将軍を乗せ、異世界の心臓部である「王都」へと、要領よく次の一歩を踏み出すのだった。




