大人への一歩『シャルロット』
王城の崩壊した中庭で、全人類の治癒魔導師たちによる二十四時間体制の『超回復マルチキャスト』を受け、山田太郎が三度目の生死の境から奇跡的に生還したとき、彼の喉から最初に出た言葉は、いつもの暢気でおどけた軽口ではなかった。
「……姫様を、自室へ戻せ。俺が良いと言うまで、一歩も部屋から出すな」
それは、一般隊員から叩き上げの士官としての、底冷えするほどに冷徹な『命令』だった。
瀕死の重傷から目覚めたばかりの男の、あまりの凄みと覇気に、国王も老宰相も言葉を失ってただ頷くしかなかった。
太郎の心も、決して痛まなかったわけではない。あの宇宙港で、自分のために指先一つまでフカフカの綿毛になろうと必死に力を制御してくれた彼女の健気さは分かっていた。だが、王都に着いた瞬間に、本能の渇きのままに自分を窒息死寸前まで追い込んだあの暴走を、これ以上「未熟な少女の暴走」の一言で甘やかすわけにはいかなかった。
これは、これから宇宙へ飛び出し、過酷な星々の海を生き抜くための、そして彼女を本物の『人間の女の子』にするための、教育(調教)なのだ。太郎は心を鬼にして、彼女に事実上の【謹慎処分】を申し渡した。
それから、二週間の月日が流れた。
姫様が自室に閉じこもっている間も、北の大峡谷に隠された超古代の宇宙船への旅立ちの準備は、王家とドワーフ、エルフの国家規模のバックアップによって着々と進められていた。貨物室へ積み込むための数千発の複製銃弾、精製されたドワーフガソリン、そして対姫様に対する旅の『お守り』兼『肉壁(盾)』として同行が決まったやんちゃ坊主のレオの荷物も、すべて高機動車へと満載された
この二週間、太郎は国王夫妻やレオから、彼女の様子を毎日のように聞いていた。
「山田殿、シャルロットは食事も喉を通らんようでな……。
実の親の私が言うのも何だが、あそこまで憔悴した娘を見るのは初めてじゃ。
どうか、どうか許してやってくれんか」
「さんぼう、ねーちゃん毎日部屋の隅っこで泣いてるぞ。俺がマルチツール見せても全然笑わないんだ」
それでも、太郎はすぐに彼女を許さなかった。中途半端な妥協は、いつか二人を、あるいは世界を本当の破滅へと導く。
限界まで彼女に「己の力」と「人の命の脆さ」を自覚させる必要があった。
そして二週間目の夜。太郎はついに、鏡の前で自衛隊の迷彩服の襟を正し、深く息を吐いた。
「……よし。そろそろ、大人の話し合いの時間だねぇ」
山田太郎は、逃げるためのハッタリではなく、一人の男としての本当の覚悟をその胸に抱き、静まり返った王城の最上階、姫様の部屋へと向かって歩き出した。
*
ガチリ、と重厚な鍵を開け、太郎が数週間ぶりにその部屋の扉を押し開けたとき、室内に広がっていたのは、異世界最強の生物兵器の威容では断じてなかった。
そこには、シャルロット姫様が、広大な部屋の隅の薄暗い闇の中で、痛々しいほどに小さな体をさらに丸め、
【この世の終わりを迎えたかのような雰囲気で、ぽつんと体育座りをしていた】。
薄手のネグリジェを濡らしているのは、二週間絶え間なく流れ続けた大粒の涙。
その愛らしい幼い顔は、鼻水と涙でグズグズに汚れ果て、かつての凛とした美しさは見る影もなかった。
彼女の手には、太郎から贈られたあの『89式多用途銃剣』が、肌身離さずぎゅっと抱きしめられている。
彼女は時折、カサカサに乾いた唇を微かに動かし、「太郎……太郎様……」と、隣の部屋にすら聞き取れないような、か細い掠れた声で、最愛の男の名前を何度も、何度も呪文のように呟いていた。
そのあまりにも哀れで、深い絶望に沈んだ少女の姿に、太郎の胸の奥が締め付けられるように痛んだ。
「――お出かけの準備、全部終わっちゃったよ、姫様」
太郎がいつもの、朗らかで少し間の抜けた声を部屋に響かせる。
その瞬間、シャルロットの身体がビクリと跳ね上がった。ゆっくりと、恐る恐る上がったその瞳が太郎の姿を捉えた瞬間、彼女はベッドから這い出るようにして、
太郎の足元へと縋り付いてきたのだ。
いつもなら音速の突進で抱きついてくるはずの彼女が、今は太郎の衣服の裾を、まるで壊れやすいガラス細工でも触るかのような、弱々しい、フカフカの力加減で、指先を震わせながら掴んでいた。
「た、太郎様……! ああ、太郎様、生きて……生きていてくださったのですね……っ! ごめんなさい、ごめんなさい……! 私、また貴方を殺しかけてしまって……私、もう二度と、太郎様の唇にも、お体にも触れませんわ……! だから、だから私を、太郎様の傍らに……ここに置いていかないでくださいまし……っ!、私を一人にしないでください。」
ボロボロと新しい涙を溢れさせ、床に頭を擦り付けんばかりに泣き叫ぶ17歳の少女。
彼女の内心は、この二週間、底知れぬ恐怖の泥沼に叩き落とされていたのだ。
(私は……私はやっぱり、大好きな人をこの手で圧殺してしまう、不気味な化け物(戦闘兵器)だったのですわ……。
太郎様は私のことが怖くなって、だから部屋に閉じ込めて、私を捨てて遠い世界へ帰ってしまうんだわ……。嫌、嫌ですわ……! 太郎様に嫌われるくらいなら、私、この両腕も、この恐ろしい力も、すべて今すぐ引きちぎって捨ててしまいたい……っ!)
最強ゆえに孤独だった彼女が、初めて見つけた光。
それを自分の身勝手な情熱で消しかけたという罪悪感と、太郎を失うことへの絶望。
太郎は、足元で泣きじゃくる彼女の前に、ゆっくりと膝を突いて目線を合わせた。そして、彼女の涙と鼻水で汚れた顔を、自分の迷彩服の袖で、優しく、丁寧に拭ってやった。
「誰も、お前を置いていくなんて言ってないよ」
太郎は静かに、しかしどこまでも真っ直ぐに彼女の瞳を見つめた。
「俺が怒ったのはね、お前が化け物だからじゃない。
我慢できず衝動のまま動いただろう?酷な言い方だが、お前がただの人なら問題にもならなかったろ、しかしお前は規格外ともいえる力を持ってしまった、お前は悪くない、しかし持った以上責任と覚悟が必要なんだ、分かるな!教育を受けたはずだ」
しっかりと姫の目を見て諭すように語りかける、
太郎は彼女の手から銃剣を取り、それを再び、彼女の腰へと優しく帯びさせた。
「お前は超古代の兵器かもしれない。だけど、俺にとっては、俺の目を真っ直ぐ見て、俺のために必死に努力して力加減を勉強してくれた、一人の健気な女の子なんだよ。
……お前のその力は、世界を滅ぼすためのものじゃない。
これからの長い旅で、自分とみんなを守る、山田家の最高の『盾』なんだ。
だからさ、もう自分をバケモノなんて思うのはやめなさい」
「た、太郎様……っ」
それにさ、人間の大人の男ってのはね、確かにお前の基準から見たら脆くて弱いけど――そう簡単に死ぬほど、要領は悪くないんだよ。
これからは、お前がブレーキを踏み損ねそうになったら、何度だって俺が『旦那』として手綱を引いてやる。だから、俺を信じて、お前も大人の女のブレーキ(自制心)を覚えなさい」
太郎の、四十年の人生と本気の愛を込めた言葉が、シャルロットの魂の深層へと真っ直ぐに届いた。
その瞬間、彼女の中で、ただ愛を貪るだけだった「寂しがり屋の少女」の精神が、大好きな男と対等に歩み、彼を支え、守り抜くという【本物の『大人の女性』の精神】へと、劇的な脱皮を遂げたのだ。
シャルロットは涙をピタリと止め、深く、強く、凛とした瞳で太郎を見つめ返した。
「……はい。分かりましたわ、私の大切な旦那様。……私、もう二度と、貴方の前で取り乱したりいたしません。
この命に代えても、貴方の手綱に従い、貴方を守る最高の妻になってみせますわ」
二人の間にあった、恐れと不安の境界線。
それが、この二週間の断絶と、心からの対話によって、本当の意味で完璧に『融解』し、一つの強固な絆へと繋がった瞬間だった。
太郎はフッと、いつもの朗らかな、しかしこれまでで一番優しい笑みを浮かべると、彼女の小さな手を優しく握りしめた。
「よし。じゃあ行こうか――『シャルロット』」
太郎の口から放たれた、他人行儀な「姫様様呼び」ではない、初めての本当の名前呼び。
シャルロットは一瞬、驚きに目を見開いたあと、頬を林檎のように真っ赤に染め上げ、心からの、世界で一番美しい本物の乙女の笑顔を咲かせた。
「――はい! 旦那様!」
埋め合わせる事の無かった心と心がしっかりと結び付いた瞬間だった、
お互いの愛と覚悟で完璧に乗り越えた二人。
チートなし?、生身最弱の「旦那様」山田太郎と、真の大人の強さを手に入れた最強のワイフ・シャルロット、そしてお守りのレオ。
世界を救い、王国の外堀を愛の力で我が家へと変えた山田家の一行は、いよいよ明朝、あの赤茶けた峡谷に眠る超古代の宇宙船へと乗り込み、宇宙の果てに眠る古代人の行く末を探すための『世紀の大出発』へと、その第一歩を踏み出すのだった。




