異世界?
およそ実戦の気配とは程遠い、間の抜けた音が演習場の山林に響いていた。
「うわ、出た。また直属の小言メール。……あー、見なかったことにしよ」
迷彩服に身を包んだ男――山田太郎一等陸尉、四十歳。
彼は高機動車の運転席で、支給された端末を放り出した。
表向きは朗らかで剽軽、浅く広く何でもこなす趣味人。
女性からは「掴みどころがない猫系男子」などと評されるが、
その本質は一般隊員から泥をすすって這い上がってきた叩き上げの自衛官だ。
本人の座右の銘は『結果良ければすべて良し』。
好きなことには全力を尽くすが、それ以外は徹底的に適当。
要領が良すぎるため、グレーゾーンを器用に泳いでいつも期待以上の成果を出す。
そのため、年の離れた上層部の将官たちからは「太郎、また面白いことをやってくれたな」と孫のように可愛がられていた。
彼らは親しみを込めて太郎を「参謀」と呼ぶ。
逆に、規律と前例を重んじる歳の近い直属の上司からは、「命令通りに動かない不届き者」として目の敵にされていた。
しかし、現場の部下たちからの人気は絶大だ。なぜなら、太郎の指揮下にいると徹底的に「楽ができる」からだ。無駄な苦労をさせず、最大の戦果をかっさらう。
階級以上の仕事を裏で回しているため、同僚や部下からは敬意と畏怖を込めて「特務」と呼ばれていた。
「さてと、偉い人たちの喧嘩に巻き込まれる前に、ちょっとサボるか」
太郎がそう呟き、高機動車のエンジンをふかした、その時だった。
突如として、視界が真っ白な光に包まれた。
電子機器が悲鳴を上げるような高音の耳鳴り。
車体が激しく揺れ、空間そのものがねじ切れるような感覚。
「おいおい、演習の演出にしちゃ派手すぎ――」
言葉は途切れた。
次の瞬間、山田太郎と、彼が乗るフルの歩兵装備を満載した高機動車は、日本の演習場から完全に消失した。俗に言う『神隠し』の瞬間だった。
*
「……ま、そうなるよね」
数分後。
太郎はエンジンを切った高機動車の車内で、周囲の景色を観察しながら溜息をついた。
窓の外に広がるのは、日本の植生ではあり得ない、巨大なシダ植物や発光する苔が群生する深い原生林。空気の匂いも違う。
何より、スマホも自衛隊の無線も、すべての電波が完全に不通だった。
太郎は剽軽に肩をすくめると、即座に「要領よく生き残るための自衛官モード」へ思考を切り替えた。
ガサリ、と草むらが揺れた。
太郎は音のした方へ、音もなく視線を向けた。素早く高機動車の陰に身を潜める。
気配を殺す技術は染み付いている。
現れたのは、三匹の『生き物』だった。
身長は一メートルそこそこ。緑色の醜悪な皮膚。異様に長い耳と、不釣り合いに裂けた口。そこから覗く黄色い牙。腰にボロ布を巻き、手には錆びついたナイフや、先を尖らせただけの粗末な木槍を握っている。
「……ゴブリン、ってやつか?」
ファンタジーの知識は博学な趣味人として持ち合わせている。
三匹の緑色の怪物は、クカカ、と不快な鳴き声を上げながら、見たこともない鋼鉄の乗り物(高機動車)に興味津々で近づいてくる。
その目はギラギラとした捕食者の欲望と、残虐な悪意に満ちていた。
太郎は冷徹に観察する。
言葉が通じるか? ……いや、無理だな。
あれは意思疎通をする顔じゃない。
人間を『肉』としか見ていない顔だ。対話の努力をするだけ時間の無駄。
リスクが高すぎる。
会話が成立しないと思った時点で、太郎の脳裏から「躊躇」の二文字は消え失せた。
「悪いね。俺、痛いの嫌いだから」
太郎は高機動車の後部から、手慣れた手つきで『89式5.56mm小銃』を引き抜いた。弾倉を叩き込み、ボルトハンドルを引く。金属質の鋭い音が静かな森に響いた。
「クカ?」
音に気づいた先頭のゴブリンが振り返った瞬間。
パン、パン、と、乾いた銃声が二度、森の空気を切り裂いた。
精密な指の動き。
太郎が放った銃弾は、先頭のゴブリンの眉間と胸に寸分の狂いもなく着弾した。怪物は悲鳴を上げる暇すらなく、操り人形の糸が切れたように泥に崩れ落ちた。
「ギギッ!?」
残りの二匹が硬直する。仲間が死んだ理由すら理解できていない。
現代兵器の圧倒的な初速と破壊力は、異世界の野生児にとって「目に見えない神の雷」に等しい。
「はい、次」
太郎は表情一つ変えず、銃口を滑らかに横へスライドさせた。
引き金を引く。
残りの二匹の胸部へ、それぞれ正確に鉛の弾丸が叩き込まれた。
肉が弾け、骨が砕ける鈍い音が響き、緑色の身体が激しくのけ反って地面に転がる。
数十秒の前。あれほど凶暴な殺気を放っていた怪異は、今や物言わぬ三つの肉塊と化していた。
銃口から立ち上る硝煙の匂いを嗅ぎながら、太郎はふぅ、と息を吐き、小銃の安全装置を掛けた。
「ふむ。チートはなくても、現代の科学技術があれば、奇襲とハメ技でなんとかなりそうだな」
先ほど射殺したゴブリンの死体を観察した際、その肉体が異常であることに気づいた、重いのだ!
推定体重は人間の子供ほどしかないはずなのに、引きずろうとすると大人の男並みに重い。
ゴブリンが小説等のイメージだと人間の子供程度の身体能力のイメージだがこの世界では違い筋肉ムキムキのパワー系…………
このゴブリンがイメージ違いだけならよいが……逆に地球人、自身の身体スペックがこの世界では低ければ……
あの緑色のチビ助にすら苦戦する可能性がある。
……恐ろしい世界だね、まったく!
ゴブリンでこれなら異世界人はどうなのだ!?
ラノベ等に出てくる異世界人は人類からすれば超人的な能力の持ち主、異世界人基準で行けば自分など10歳程度の身体能力しかないんじゃないか?
更には確実な現実が突きつけられたからだ。
(小銃の弾薬、ガソリン、物資……すべてに限りがある。肉体スペックが子供の俺にとって、この車と武器は命綱だ。無駄打ちはできない。
早めに、この世界の『知性を持つ側』と接触して、安全な足場を確保しないと干からびるな)
これからのサバイバル。どうやって楽をして、どうやってグレーゾーンを攻めて生き残るか。
「参謀」としての本領を発揮すべき舞台は、すでに幕を開けていた。
異世界人――特に、言葉の通じる「人間種」と遭遇した時のために、太郎が施した『仕込み』は、徹底して実戦的かつ即物的なものだった。
相手がこちらの文字を読める保証などどこにもない。
ならば、通じるのは「物理的な破壊の恐怖」だけだ。
太郎は高機動車の後部から、C4プラスチック爆薬の塊と信管を取り出した。
手慣れた手つきでそれを捏ね、運転席の足元と、車の心臓部であるエンジンブロックの隙間に設置する。
それらを起爆装置に素早くセットしてタイマーをセット、さらに運転席のシート下に仕込んだ圧力起爆スイッチへと繋がれた。
「よし。もし俺が車から引きずり出されて殺されるか、一定時間内に信管を解除しなかったら、この車ごと半径数十メートルが木端微塵だ。異世界の超人サマがどれだけ頑丈か知らないけど、現代兵器の至近距離自爆に耐えられるかな?」
生身で勝てない以上、これは最低限の「道連れ(仕返し)」の担保だ。
さらに太郎は、迷彩服のポケットに『91式手榴弾』を忍ばせた。
ハッタリをかますなら、口で説明するより、目の前で「神の雷」を見せつける方が早い。ただし、相手に「攻撃された」と勘違いされてその場で首を跳ねられたら元も子もない。
(攻撃と思わせず、かつ『こいつを怒らせたらヤバい』と思わせる絶妙なグレーゾーン……。
よし、あそこにちょうどいい標的があるな)……
適当な、お披露目用の標的を物色しつつ車を走らせていると、明らかに整備されていると思える舗装されていない道に出た。
街道に出た太郎の前に立ちはだかったのは、二本角の巨馬に跨る、金属鎧の騎士たちの一団だった。
初老の隊長らしき男が、剣を引き抜きながら鋭い声を上げる。
「止まれ! ……なんだ、あの鋼鉄の器は!? 貴様、何者だ!」
その瞬間、太郎の脳裏に電流が走った。
言葉の響き自体は聞いたこともない未知の言語のはずなのに、なぜかその意味が、頭の中で直接日本語に翻訳されて響いたのだ。
(――あ、言葉が通じる。良かった……!)
太郎は内心で、深く、大きく安堵の息を吐き出した。
もし言葉が通じない獣のような相手であれば、手持ちの弾薬が尽きるまで殺し合いを続けるしかない。
だが、意思疎通ができる「人間」が相手なら話は別だ。
言葉さえ通じるなら、自分の得意な交渉術、ハッタリ、そして上司に取り入る『人たらし』の技術で、いくらでも状況をコントロールできる。
最弱?の肉体しか持たない太郎にとって、会話が可能という事実は、何よりも強力な生存の切札だった。
太郎はすぐにいつもの朗らかな、剽軽な笑みを顔に貼り付け、窓から両手を振った。
「おっと、そこの立派な騎士団の皆さん! 刀を収めて大人の話し合いをしませんか? 私はただの迷子。怪しい者じゃありませんよ?」
見たことも聞いたこともない、けったいな馬車らしきもの?…馬はどこにいる?
馬具は?御者は何処に?中に乗っている者は?
(衣服の仕立ては見たこともないが、極めて上質で機能的だ、どこかの大国の高貴な身分か、あるいは富豪の商人か……?)単なる変態?
初老の隊長は太郎の迷彩服や高機動車を見て、内心で値踏みする。
だが、太郎の態度があまりに軽薄なため、若い兵士が激昂して馬を一歩進めた。
「黙れ、素性の知れぬ男め! 降りて平伏せ、さもなくば一刀の下に両断する!」
太郎は「やれやれ」と肩をすくめながら、ポケットの中で手榴弾の安全ピンを抜いた。レバーを指で固定したまま、窓の外へ右腕を突き出す。
その手には、ただの「小さな鉄の塊」が握られている。
「お若い兵隊さん、そうカッカしないでください。
私はただ、この森の危ない生き物を退治して一息ついていたところなんです。
たとえば――あそこにある、大きな岩。あそこに隠れている敵を仕留める『魔道具』を持っていましてね」
太郎は街道の脇にある、巨大な岩を指差した。騎士たちの視線が一瞬、その岩に向かう。
「ちょっと失礼」
太郎は手榴弾を放した。レバーが跳ね飛び、パチンと小さな音が響く。
彼らに攻撃したと思われないようにかなり投げずらい姿勢ながら、慎重に投擲した、元々の投擲技術は本物だ。手榴弾は綺麗な放物線を描き、騎士たちから十分に離れた巨大岩の『裏側』へと正確に落ちた。
「なっ、何を投げ――」
若い兵士が声を上げた、その4秒後だった。
――パァァン!!!
鋭く高い爆音と、一瞬の閃光が岩の裏で弾けた。
それと同時に、シュシュシュシュッ!と風を切る無数の風切り音が響き、岩の周囲にあった太い木々の幹に、目に見えないほどの速度で飛散した鉄の破片が深く突き刺さる。パラパラと木の葉や削られた樹皮が舞い散った。
巨馬たちが鋭い音に驚いて前足を上げて暴れ出す。
「うおっ!? 馬を抑えろ!」
「爆発……!? いや、魔力の気配がなかったぞ!?」
土煙が晴れた時、初老の隊長は背筋に冷たいものを感じていた。
岩そのものは破壊されていない。
しかし、岩の裏側の地面はえぐれ、周囲の木々はまるで無数の不可視の刃で切り刻まれたように蜂の巣になっていた。
もしあそこに人がいれば、鎧ごと肉体をズタズタに引き裂かれていただろう。
魔法の詠唱も、魔力の集束も一切感じられなかった。ただの小さな鉄の塊が、一瞬で必殺の罠と化したのだ。
太郎はすかさず、自身の「要領の良さ」と「人たらし」の牙を剥いた。
運転席のシートに深く腰掛けたまま、初老の隊長にだけ視線を合わせた。
まるで、年の離れた自衛隊の将軍に、おどけて報告を上げる時のように。
「ね? 私の故郷の道具は、ちょっとばかし気難しくてね、ちなみに、この鉄の馬の中には、今のやつが何百発分も詰まってまして。
もし私が悲鳴を上げたり、心臓が止まったりすると、挨拶代わりにこのあたり一帯に今の破片が降り注ぐように『仕付け』てあるんです。……物惣ですよねぇ」
太郎の口調はどこまでも軽口だ。だが、その目は一切笑っていない。
初老の隊長は、暴れる馬を力ずくで抑え込みながら、刻まれた樹木と、太郎の顔を交互に見比べた。
(得体の知れぬ男だ。だが、あの鉄の箱が危険な兵器であることは間違いない。
命を賭してここで戦うのは得策ではないな……)
やがて、初老の隊長はゆっくりと剣を鞘に収めた。
「……見事な脅しだ。だが、その危険な道具を我らに向ける意思はない、と見ていいのだな?」
「もちろんですとも! 私は平和主義者ですから、できれば、温かいスープと、柔らかいベッドがある場所に案内していただけると嬉しいんですがね、あ、私のことは『参謀』とでも呼んでください」
「サンボウ……? 変わった名、いや、役職か?」
隊長が聞き慣れない響きに眉をひそめる。
「ええ、私の故郷での役割ですよ。戦わずに勝つための計画を立てる、お気楽な係です」
太郎は緊張の糸を微塵も感じさせない笑顔で、パチンとウィンクをしてみせた。
初老の隊長は、ふっと厳格な顔を緩め、どこか呆れたように笑った。
「ふっ……。大物なのか、ただの不届き者なのか分からん男だ。私はこの地の警備隊長、バルトロ、良いだろう、『参謀』殿。お前のその奇妙な馬ごと、我が砦へ招待しよう。ただし、妙な動きをすれば我が手勢が総出でお前を叩き潰すぞ」
「ハイハイ、御意に召すまま、バルトロ隊長殿」
年のいった上司の受けが良い、という太郎の天性がさっそく発揮された瞬間だった。
こうして、現代の歩兵装備を満載した高機動車と、身体能力チート無しの「参謀」山田太郎は、異世界の権力構造の懐へと、要領よく滑り込んでいくのだった。




