幕間:三日前
ルクサーンに首都を置く、エルフ諸族を統べる大国プルメリア。始祖たる偉大な魔女ヨルカによって建国されてから、七百年近い時が流れていた。
「やはり、お母さまの予言どおりになるのね」
「はい、アメージア様。もはや疑いようがございません。星読みでなくとも、この目で落ちてくる星々が見えます。猶予はございません」
窓の外を見れば分かる。まだ昼だというのに、空にはいくつもの光が走っていた。流れ星などという可愛らしいものではない。あれは、これから世界を焼く光だ。
建国の魔女である母は、奔放な人だった。唯一の娘である私を産んだ後も、その前の六百年も、ずっと好き勝手に生きていた。
気に入らなければ、国ごと滅ぼしてしまう。そんな気まぐれで、恐ろしい魔女。
もっとも、彼女がずいぶん落ち着いてから、何百年も経って産まれた私には、ただつかみどころのない人としか思えなかった。
膨大な魔力によって長命となり、高すぎる知能のせいで、母はずっと孤独だった。そして孤独の中で、生涯、一人の男を追い求めた。
「……お兄ちゃんに会いたい、か」
母が時折、寝言のように口にしていた言葉だ。今となっては、母の姿を見られるのは壁画や彫像の中だけ。
その長い人生の初期、ほんの数年間だけ共に過ごした、異世界から来たという男。
母はずっとその男を探していた。母の目の前で死んだ男を。愛していたのだろう。そして、喪失の悲しみを千年も抱え続けた。
私が生まれたのは気の迷いだと、本人は公言している。その男と添い遂げたかったのだと、何度も私に言って聞かせた。
子どもの頃の私は、それを随分ひどい話だと思ったし、「過ち」と呼ばれる父を憐れんでもいた。
けれど今になって思えば、あれでも家族仲は悪くなかったのかもしれない。父も私も、笑っている日のほうが多かったのだから。
孤児だったはずの母は、確かに誰かから「幸せな家族」の形を教わっていたようだった。子供ながらに、私はそう考えていた。
「アメージア様。各長、揃っております」
「分かりました。すぐに参ります」
私は母がかつて着ていたという戦装束に袖を通した。いくつもの魔法効果を織り込んだ古い衣装だ。母のものだったはずなのに、今の私には少しも大きく感じない。
向かった先には、大広場を見下ろすテラスがある。眼下にはプルメリア各地の長、軍の将官、魔導士、友好国の王族。
普段なら優雅に茶でも飲みながら政治の話をしているような者たちが、今日は誰一人笑っていない。世界が滅ぶと確信してからずっとだ。皆が、世界の終わりを空に見ている。
それでも彼らは、伝説の魔女が残した得体の知れない秘術に、最後の望みを懸けて集まった。
私はテラスの前に立った。二千人を超える群衆が広がっている。
「ようこそ、お集まりくださいました」
いつもどおり、優雅に礼をする。時間などほとんど残されていない。それでも、余裕を失った者から判断を誤るものだ。
「ご覧のとおりです。どうやら、母の遺した予言は当たりそうですね」
天を指すと、ざわめきが起こった。そんなことは知っている、と言いたげな顔ばかりだ。恐怖。怒り。諦め。
それでも彼らは、最後の可能性に賭けてここにいる。だから私は告げる。
「準備は整いました」
広場が静まる。
「今、この時。我らプルメリア王国は新天地へ進撃し、人々に活路を示し、我らの繁栄を永久のものとします!」
広場に戦意が漲った。テラスの上からでさえ、生き残る意思をたずさえた人々の熱が感じられる。これは演説ではない。このまま、各組織の長へ進撃を指示する。
「約定どおり、まず精鋭部隊を降下させます。接続先を確保し、順次戦闘部隊を投入。その後、市民を移動させなさい」
将軍の一団が「おう」と応える。未知の世界への侵攻。敵戦力の情報はなく、隣に立つ者が明日も生きているかさえ分からない。
私は一人ひとりの顔が視界に入るよう、ゆっくりと人々を見回した。
「行動、開始!」
事前の取り決めどおり、開門の準備が進められていく。兵士たちが突入に備えた装備を身につけ始める。使う門は三つ。
一度に全員を送れればそれが一番いいが、門には限界がある。向こうへ続く通路は狭い階段で、何より、あれは開けたままにしておくほど危険になるものだ。
「可能な限り速やかに。最後の一人まで、この世界から退避させなさい」
「ハッ!」
将軍たちの声が重なり、広場から歓声が上がった。まだ誰も助かっていない。それでも、人は出口らしきものを見つけただけで歓声を上げられるらしい。
悪くない。そのくらいでいい。この人数だ、全員が無事に渡りきれるかは分からない。希望が必要だった。
私はテラスを離れ、広場の中央へ向かった。そこに、青白い光を放つ門がある。各国の魔法理論の重鎮を集め、五年をかけて母の残した術式を解読し、巨大な物理魔法陣として組み上げたものだ。
門の中央では青白い光が揺れ、その向こう側は見えない。
緑色の長い髭を三つ編みにした老魔導士が、私の姿を見つけて駆け寄ってきた。
「やはり姫様が第一陣に加わる必要はありません!」
「ダナンね」
私は少しだけ眉を上げた。
「私にはもう娘がいるのよ。姫様はやめてちょうだい」
「しかし!」
幼い頃から、本当の祖父のように接してくれた男だ。この人も今日、死ぬかもしれない。もちろん、私も。
「私が行って死ぬような場所なら、誰を送っても生き残れないわ」
「それは……」
「それに」
私は空を見上げた。巨大な星が、空一面に拡がっている。
「ここに残っても、未来はないもの」
隕石そのものを生き延びたとしても、その後がある。何十年続くか分からない寒冷化。飢餓。国家の崩壊。予言を巡る混乱だけで、既にいくつもの国が争いを起こしている。
他国の『人間』たちは、世界が滅びるこの瞬間にも争っているのだ。知性が低い。そう言わざるを得ない。
この馬鹿げた戦争さえなければ、もっと多くの人間を救えただろうに。
「ですが、アメージア様。第二陣、第三陣でも貴女様の力が必要です」
「そちらは任せるわ、ダナン。私はこれでも、この国の元首。そして、大魔女ヨルカの娘ですもの。戦では、先陣を切りたいのよ」
ダナンは諦めるように首を振った。
「ご武運を。勇者を送り出す地です。どのようなツワモノがいるか、油断はできませんぞ」
「これは賭けだけれど。私、勇者様がそんなに凄いとは思えないの」
私はダナンに別れを告げ、門の脇に置かれた台座へ手を置いた。一度だけ振り返る。数え切れないほどの瞳が、こちらを見ていた。
母が完成させた、世界を渡る魔法。この魔法を完成させた後、母はあの異世界人を探す旅に出た。
国も。家族も。
……私も。全部置いていった。
なんて身勝手な母親だろう。それでも、私たちのために残してくれたものがある。
この魔法と、いくつかの『予言』だ。
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王国歴六百九十九年。
七の月。
天より、恐怖の大王が降りてくるだろう。
マルスは平和の名のもとに、支配するだろう。
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ふざけた話だわ。母は、それを難解な詩の形で残した。もっと普通に書けばいいものを。
だがその予言は当たり続けた。だから最後に残された『世界の終わり』を示すとされるこの詩も、百年もの間、議論され続けてきた。
当然、娘である私は何度も尋ねられた。
――魔女ヨルカは、何を知っていたのですか。
知らない。そんなこと。母は普段ほとんど家に帰ってこなかった。たまにふらりと現れては、ソファに座って食べ物の話ばかりしていた。予言の意味なんて、一度も教えてくれなかった。
ただ、最後に会った時だけは違った。
◇
「アメージア。ごめんね。計算してみたら、もう会えないみたいなの」
元夫と、娘のヘルメスと三人で食事をしていた時だった。玄関が突然開き、母がいつものように勝手に入ってきて、椅子にも座らずそう言った。
「えー。おばあちゃん、もう会えないの?」
「うん。そうなんだ。ごめんね、ヘルメス」
「やだあ」
母はいつも勝手だった。そして最後まで、本当に勝手だった。私は混乱するより先に腹が立った。
「母さん。それ、どういうことなの? 最後くらい、ちゃんと説明してちょうだい」
「説明ね」
母は少し考えた。
「ゲートで世界を渡るとね。時間が経つほど、ゲートが長くなっていくの」
やはり分からない。母に説明を求めて、一度で理解できたことなどほとんどない。大抵、必要な説明が三段階くらい飛ばされる。
「つまり、新しく作った『ゲート』という魔法で別の世界へ行くから、もう戻って来られなくなるということ?」
「ふふ。アメージアはぼくに似て賢いね」
母は私の頭を撫でた。昔から変わらない。母はいつも優しかった。そして、どこか乾いていた。
「ママ、なでられてる」
ヘルメスが楽しそうに笑う。元夫は黙ったままだった。この国の元首であり、伝説の魔王とも呼ばれる母を前にすると、最後までどう接していいのか分からなかったらしい。私も同じ気持ちだった。
「母さん。結局、どこに行くの?」
「勇者様が召喚されてくる、元の世界があってね」
「……何それ」
「そこへ行く方法を見つけたの」
この世界が大きな危機に陥ると、時折、異世界から『勇者』が現れる。そんなおとぎ話を、昔、父から聞いた。
それは実際にあることだとも。ただ、母さんが強すぎて他の魔王が存在できないから、もう千年近く勇者は召喚されていないのだとも。
「……分かったわ」
何を言えばいいのか、少し考える。結局、
「今まで、ありがとう」
それくらいしか出てこなかった。母は笑った。
「あんまり母親できなくて、ごめんね。アメージア」
「本当よ」
「ふふ」
「笑うところじゃないでしょう」
「あとね」
母は私の額を指でつついた。
「いつかゲートを使うなら、気をつけてね。戻るの、大変になるから」
「何が?」
「さっき言ったでしょ。長くなるの」
「だから何が長く――」
そこまで聞いた時には、母はもうヘルメスを抱き上げていた。
「おばあちゃん! また、恋ばなしてー」
「大きくなったらね」
「うん!」
話を聞きなさい。私はそう言おうとした。結局、あれが母と交わした最後の会話になった。九十九年ほど前の、ある日のことだった。
◇
私たちは今日、母の言っていた『ゲート』を使う。
数年かけて、何度も小規模な実験を行った。分かったことは多い。分からないことは、それ以上に多い。
起動には膨大な資源が必要であること。私たちが再現した術式で安定して接続できたのは、強い魔力を帯びた高層建造物であること。
接続先の星そのものはある程度狙えるが、年代を狙うのは極めて難しいこと。門を開く前段階の魔法で接続先を見ると、過去と未来の像が揺らいで見えるのだ。
そして実際に門を開くと、二つの世界の間にある空間は、開けたまま時間が経つほど拡大していった。何日も階層に変化がないこともある。
ある朝に一階層増えていることもある。一度に十階、数十階。百階近く増えた例さえあった。規則は見つからず、百階ごとに強力な魔物が現れることも、この時に分かった。共通しているのはただ一つ。減ったことは、一度もない。
「母さんの言っていたことよね。でも、どうすれば」
当初、私たちは途方に暮れた。それでも危機感を共有する各国の有志を集め、調査を続けた。
全員を一つの門から送ることはできない。通路の幅には限界があり、時間がかかれば階層が増えていく。百階を超えれば強力な魔物も現れるだろう。
私たちは三つに分かれる。それしかなかった。資源も、三門分が限界だった。
軍人を多く含む私たち第一陣。工作や植民の技術者たちの第二陣。最も多くの一般市民を含む第三陣。どの集団も数千人にのぼる。
その全員が、狭い階段を降りていくことになる。降りている間にも階段は伸び続け、後ろへ行くほど道は険しくなるだろう。
だから軍人は第一陣とした。魔物にも、場合によっては未知の世界との戦争にも備え、後続のために出口を確保するのが私たちの役目だ。
三つの集団は、少しだけ時間をずらして各門へ突入する。順番は、これで間違いないはずだ。今までの研究結果もそう示している。
私はもう一度、目の前の門を見た。青白い光が揺れている。向こう側に何があるのか。高度な文明があるのか。言葉は通じるのか。私たちより強い者たちがいるのか。何一つ分からない。
決めているのは、一つだけ。
強い文明であれば、助力を求める。
――そうでなければ。
我々が、支配する。
この背中には、一国どころではない、この世界に残された命が乗っている。甘えも甘さも、私には許されていない。
「起動します」
誰かが言った。
私は台座に手のひらをのせ、魔力を流し込んだ。
大地が震え、青白い門の光が一気に広がる。五年分の準備。各国から集めた資源。二度と用意できないほどの魔力結晶。
全てが、一瞬で消費されていく。この結晶をもう一度集めなおす時間は、もう存在しない。
……やり直しはない。
最後に空を仰ぐ。そこに希望はなかった。地上へ降り注ごうとする巨大な星の光が、空を走っている。急げ、と言われているようだった。
私は剣に手を置いた。
「行きます」
ダナンが何か言おうとした。聞かなかった。
門をくぐる。景色が変わる。足元に、階段があった。暗闇の中、どこまでも下へ続く巨大な階段。
この時の私は、まだ知らなかった。もう、この世界へ帰ってくることはできないことを。私たちが最初に辿り着いたその場所が、エンパイアステートビルと呼ばれていることも。
――三日後。
私は人間たちの手によって、火刑台に括り付けられていた。
この三日間、私たちは魔法と魔導具で、彼らの軍も警察も圧倒してきた。階段を降りてくる後続の受け入れは部下に任せ、私は少数の護衛だけを連れて周辺一帯の調査をしていた。
そこを、軍人崩れの一団に襲われたのだ。
圧倒的な数の銃火器を浴びせられ、護衛は全員が命を落とした。
油断だった。愚かにも。
当初、私たちは彼らの建築技術に圧倒された。だが蓋を開けてみれば、そこにいるのは『人間』だけ。あの武器も、上級の防御魔法の前では意味をなさない。
ただ、魔法はいつまでも展開し続けられるものではない。数には勝てなかった。
彼らの使う銃火器や爆薬の多様さは、第二陣の技術者たちを大いに喜ばせるだろう。もっとも、あれで命を絶たれた同胞が多いのも事実だ。
彼らは魔法を持たない。母から聞いた話でも、そう予想していた。
……本当に、そうかしら?
そんな風に何処かで恐れてもいた。私の母を千年も魅了し続ける、あのふざけた勇者が来た世界だから。
だけど。
こうして拘束されて初めて、落ち着いて『人間』の顔を見ることができた。
なんの冗談か、十字の形に縛り付けられていた。
私は空を見上げた。
ああ、ダナン……。
安心して、降りて来てね。
どうやら、私たちは賭けに勝ったわ。
こちらの人間たちも、知性が低く、精神汚染への抵抗方法も持たない。
ひどく低俗で、
……そして、弱い。




