black side 2
中華街は、今日も多くの人で賑わっている。観光客、修学旅行らしい学生、獣人、エルフ。一番多いのは、普通のおっさん。
甘い菓子の匂いに、焼いた肉の匂い。香油と八角の香り。赤い看板が並ぶ通りを、俺と摩耶は歩いていた。
「黒ちゃん、お腹すいた」
「さっき食べただろ」
「肉まん一個だよ?」
「十分だろ」
「育ち盛りなんだけど」
「横に?」
「殺すよ?」
摩耶が笑顔で俺の脇腹を殴った。
「痛えよ」
「乙女に横とか言うからだよ」
「乙女は人形に針を刺さねえだろ」
「ミミちゃんは喜んでるよ」
摩耶が抱えている人形を俺に見せる。
相変わらず不気味だ。悪いがそれが正直な感想だった。コケシと日本人形とチャッキーを混ぜた感じだ。それが包帯だらけで、少し笑っている。分かるか? 分からんよなあ……。
「それ、本人に聞いたのか?」
「聞いたよ」
「何て?」
「嬉しいって」
「病院に行け」
「黒ちゃんがね」
「なんでだよ」
くだらない話をしながら歩く。
人込みは好きじゃない。身体がぶつかるし、騒がしい。
ぞろぞろと群れる奴らはいつも歩くのが遅い。
まあ、摩耶も速いとは言えないが。
やはりあまり来たくなかった。
それでも、中華街には用事がある。
俺が所有する店の一つが、この先にあるのだ。
別に大した店ではない。
1階が普通の飲食店。もちろん中華だ。
2階が事務所。
表向きは、それだけだ。
「黒さん!」
店の前で声をかけられた。
振り向く。
通りの端に、派手なシャツを着た男が立っていた。隣にも二人いる。
三人とも、見た目だけなら観光客が避けて通りそうな連中だ。事実、人の流れが彼らを避けるように流れている。
「お疲れさまです!」
男たちが俺に頭を下げる。
「ああ」
「この前は、ありがとうございました。親父も助かったと言っていました」
「俺は何もしてねえよ」
「いやいや、黒さんが話を通してくれなかったら――」
「もういいって。好きでやったことだ」
「はい! また店にも顔を出してください!」
「気が向いたらな」
手を上げて別れる。
少し歩く。
「人気者だねえ、黒ちゃん」
「うるせえ」
「今ので今日何人目?」
「知らねえよ」
「五人目」
「数えてんじゃねえよ」
この辺りを歩いていると、たまにこうなる。
俺を知っている奴がいる。店の人間だったり、仕事で関わった奴だったり、昔、揉めた奴だったり。
別に、全員と仲がいいわけじゃない。
ただ――。
「おい」
今度は知らない声だった。
前を見る。
若い男が三人。
道の真ん中に広がっている。
俺たちと同じくらいか、少し上だ。
「お前、さっきから調子に乗ってねえか?」
「……は?」
何の話だ。
「こっちを見て笑っただろ」
「見てねえよ」
「は?」
男が一歩近づいた。
酒臭い。
昼間からよく飲むな。
「謝れよ」
「なんで?」
「黒ちゃん」
摩耶が俺の袖を引いた。
止めるのかと思った。
「わたし、あっちで肉まん買ってていい?」
「好きにしろ」
「はーい」
止める気はないらしい。
摩耶が手を振って離れていく。
摩耶の背中を眺めていると、男が俺の胸ぐらをつかもうと手を伸ばした。
「お前、舐め――」
俺はその手を見た。太く醜い腕。くすんだ赤や掠れた緑色の入れ墨が入っている。下品な金色のブレスレットが手首に鈍く光る。この腕で、何をする気なんだろう。
俺はその手をじっと見ていた。
それだけだった。
「……」
男の手が止まる。
「何? どうすんだ?」
俺は聞いた。
「…………」
男は急に黙った。
後ろの二人も同様だった。
……何だ?
足元で、俺の影が揺れている。
風はない。影は蠍の尻尾のようにゆらゆらと動いている。
「続きは?」
「あ、……いや」
男が一歩下がった。
「なんでもないっす」
「いや本当、なんでもないんです」
「へー? そう」
「す、すんませーん」
三人が足早に去っていく。
妙に足が速い。
そこに、摩耶が肉まんを持って戻ってきた。
「終わった?」
「何もしてねえのに、終わったわ」
「知ってる」
「じゃあ聞くな」
「黒ちゃん、怖いもんねえ」
「普通だろ?」
「普通の人を見ただけでチンピラ三人は逃げないよ」
「知らねえよ」
差し出された肉まんをかじる。
摩耶が俺を見て、にやにやしていた。
「何だよ」
「別にぃ?」
気持ち悪い笑みを浮かべる摩耶に呆れながら、目的地に向かう。
「行くぞ」
「はーい」
歩き出した。
その時だった。
「黒ー!」
……聞き覚えのある声。
足が止まった。
人込みの向こうで、白いものが跳ねている。
二本。
白くて長い耳。
人の頭よりずっと高いところで、ふわふわした白い耳が揺れていた。
「黒ー!」
このウサ耳、間違いなくハイネだ!
俺に、手を振っている!
「……」
「黒ちゃん?」
「お、おう! ハイネか」
思ったより大きな声が出た。
ハイネが人込みをすり抜けてくる。
白い髪。白い耳。
今日は淡い水色のワンピースを着ていた。
なんだ、あれ。かわいいな。いや、いつもかわいいんだけど。今日は特に――。
「偶然じゃん!」
「おう」
「中華街に来てたんだ?」
「まあな。人込みに疲れてたところだよ」
「何してたの?」
「ちょっと店に顔出しにな」
「黒、お店持ってるもんね」
「まあ」
何で「まあ」しか出てこねえんだ。
もっと何かあるだろ。俺。
「へえ……」
ハイネの隣にいた女が、俺を見ている。
確か、麻子だ。
何度か写真では見たことがある。直接会ったことも――一度くらいあった気がする。
「よっ、こんちは」
俺が麻子に言う。
「ひゃ、はい!」
何でそんなに怯える。
「麻子、どうしたの?」
「いや、だって……」
麻子が小声で何か言っている。
さっきの連中を見ていたのかもしれない。
「そうだ」
ハイネが俺を見る。
「九十八階、おめでとう!」
「おう!」
また声が大きくなった。
「すごいじゃん。もうすぐ百階だね!」
「ま、あれくらいならな」
「快挙だって、ニュースでも黒のこと見たよ!」
「次に行けば九十九階くらい――」
「白もね!」
また、アイツの名前がぶっ込まれた。
「……」
「白も、九十五階まで行ったんだよ!」
「……お、おう」
何で今、そいつの話になる。
「白も今日、中華街に来てるんだって」
「ふーん」
「会えるかも!」
「そう」
横から視線を感じる。
摩耶だ。
「…………ぷぷ」
「何だよ」
「別にぃ?」
さっきと同じ言い方。
何なんだ、こいつ。
「そうだ、紹介するね」
ハイネが摩耶を見る。
「麻子、こっちは摩耶ちゃん。黒と一緒にダンジョンに潜ってる子」
「摩耶でーす」
「麻子です」
「よろしくね」
摩耶はこういう時だけ愛想がいい。
「その子、かわいいね」
ハイネがミミを見る。女の子にはかわいく見えるのだろうか? 意味が分からない……。
「でしょー!」
摩耶の顔が一気に明るくなった。
「ミミちゃんっていうの」
「ミミちゃん!」
ハイネが人形に手を振る。
「こんにちは」
「ハイネちゃん、分かってるねえ!」
「何が?」
「この子のかわいさ」
「かわいいよ?」
「でしょ!」
二人で盛り上がり始めた。
……何なんだ。
「黒、この子かわいいじゃん」
ハイネが言う。
「いや……、不気味だろ?」
「は?」
摩耶の声が低くなる。
「かわいいよ。よしよーし」
ハイネがミミの頭を慈しむように撫でる。ミミは眼球を飛び出しながら喜んでいるようだ……。
「ほら! ハイネちゃんもかわいいって」
「良かったな」
「黒ちゃんには分からないんだよ」
「分からなくていいよ」
麻子が小さく笑った。
さっきよりは警戒が解けたらしい。
そのまま四人で歩くことになった。
別に約束したわけじゃない。何となくだ。
摩耶と麻子が少し前を歩く。俺とハイネが後ろを歩く。
悪くない。むしろ――。かなりいい。
「黒」
「ん?」
「澪ちゃん、その後どう?」
「ああ」
そういえば話していなかった。というか俺のチームメンバーまで気遣ってくれるハイネ。いい女だよな。
「病院で診てもらったよ。脳にも問題はないって。昨日の夜には目を覚ましたんだ」
「よかったぁ……」
ハイネが胸に手を当てた。
本気で安心している。天使か?
「黒が帰るって決めたんでしょ?」
「誰から聞いたんだよ」
「摩耶ちゃん」
前をちらりと見る。
摩耶が振り返り、親指を立てた。
コイツ……。
「やっぱり黒は優しいね」
ハイネが言った。
「違う」
「えー、何が?」
「別に優しくねえよ」
「またまた」
「本当に」
「照れてる? バレてるよ」
「照れてねえ」
ハイネが笑う。
俺も、つられて笑った。
その時。
前を歩いていた摩耶が、急に振り返った。
「ねえ、ハイネちゃん」
「なに? 摩耶ちゃん」
「白くんとは、どういう関係なの?」
「は?」
俺の声が出た。
三人が俺を見る。
「え、何? 黒ちゃんどうしたの?」
摩耶が言う。
「いや、別に」
「何?」
「……なんでもねえよ」
「そう?」
摩耶がにやにやしている。絶対にわざとだ。
「白?」
ハイネが首を傾げる。
耳も一緒に傾く。くぅ、触りたい……。
「友達だよ」
「へえー」
摩耶がにやにやしながら俺を見る。
見るな。
「昔から?」
「うん。小さい頃から。黒と会ったのも同じ頃だよねー」
ふいにハイネの笑顔を向けられて、うまく言葉が出ない。
「お、おう……」
摩耶が俺を押しのけてハイネの顔を覗き込む。
「それで、白とは仲いいの?」
「いいよー」
「へええええ。それって恋心もあったりするのかな?」
「摩耶」
「なに? 黒ちゃん」
「お前さ」
「ん? 何かな?」
殺すぞ。とは言わなかった。ハイネの前だから。それに、俺も気にならないわけでもないし?
「白って面白いんだよ。今度会ってみれば?」
言いながらハイネが俺を見る。
今までだって何度もその話はされたし、実際に会おうとしたこともある。別にいいんだ。俺は別に……。
「……別にいいけど」
「ほんと?」
「おう」
「じゃあ、日にち決まったら連絡するねー」
会いたくないわけじゃない。
何度も名前を聞いている。ダンジョンでも、ニュースでも、ハイネからも。だからどんな奴なのか、少しくらい興味もある。少しだけ。
「ふたりが、会ったらどうなるのかな? だって白と黒だよ、モノクロじゃん!」
「お前はいったい何を言ってるんだ」
ハイネが嬉しそうに笑った。
まあ。
それでハイネが喜ぶなら、いいか。
「ね! 写真撮ろ!」
突然、摩耶が言いだす。
「なんで?」
「せっかく会ったんだから。もう二度と今日は来ないんだよ?」
「いいね。撮ろ撮ろ!」
ハイネが即答する。
麻子も照れながら頷いた。
「黒ちゃんも」
「俺はいい」
「はいはい。じゃここに立って」
「聞けよ」
摩耶が俺の腕を掴んだ。
「ほら、後ろ」
「面倒くせえな」
「早く」
結局、ハイネと麻子が前。
俺と摩耶が後ろ。
摩耶がスマートフォンを構える。
「もっと寄って」
「これでいいだろ」
「黒ちゃん、顔怖い」
「普通だよ」
「笑って」
「無理」
「ハイネちゃん、何とかして」
「え? うーん……」
ハイネが振り返った。
俺を見る。
少し考えて。
両手のひらを頭の上に掲げ、指を広げて耳のように立てた。
「うさぎ!」
「…………」
「ぶっ」
笑ってしまった。
何だ、それ。
元からお前はウサギの獣人だろ。
「今!」
パシャ。
「あっ!」
「撮れたー」
「お前な! 今のは反則だろ」
ハイネがドヤ顔で振り返る。
摩耶が画面を見る。
「いいじゃん」
「見せて」
ハイネが覗き込む。
俺も横から見る。
写真の中でさえ、ハイネはかわいい。
麻子も普通に笑っている。
摩耶は変な顔。
俺は――。
「俺、切れてんじゃねえか」
写真の端だった。
顎と口元くらいしか写っていない。
「いいじゃん。黒ちゃんなんてこれくらいで」
「何のために入れたんだよ」
「あ、待って」
摩耶が何か思いついた顔をした。
嫌な予感がする。
「ねーねー、ハイネちゃん」
「なに?」
「これ、白くんに送ってあげなよ」
「は?」
俺が言った。
「あ、そうだね!」
ハイネがスマートフォンを受け取る。
「中華街にいるって言ってたし」
「何で送るんだよ」
「何でって、友達だから?」
ハイネが不思議そうに俺を見る。
「……まあ、そうか」
摩耶を見る。にやにやしてやがる。こいつ、絶対にわざとだ。
「何?」
「何でもねえよ」
「じゃあ送ろー」
ハイネが写真を選ぶ。
文字を打つ。
『中華街きたよー!』
「これでいい?」
「いいんじゃない?」
摩耶が答える。
「送信!」
ハイネが画面を押した。
「…………」
まあ、いい。
俺には関係ない。
白が写真を見ようが見まいが、どうでもいい。
四人でまた歩き出す。
五秒。
「……既読ついた?」
ハイネが画面を見る。
「まだ」
「ふーん」
また少し歩く。
赤く塗られた門が頭上を流れていく。
十秒ほど経った。
「……今は? 白もう見た?」
その言葉に聞き耳を立ててしまう。
俺の様子を見ていた摩耶が吹き出した。
「ぶはっ!」
「何だよ!」
「いや、別にぃ?」
「うるせえ!」
ハイネと麻子も笑っている。
俺は舌打ちして、前を向いた。
白。どんな奴かは知らねえけど、今度会ったら――。
まあ。一度くらい、話してみてもいいか。




