white side 15
討伐登録は終わった。
登った階段を降りて、エレベーターで帰る。それだけだ。
二つの担架が持ち上げられた。白の身体は白チーム、黒の身体は黒チームが運ぶ。その周囲を残った仲間が固めていた。白の腰にはラディッシュが鞘に収められ、黒の身体には柴田の上着がかけられている。
トウヤが、担架に横たわる白の身体を見下ろした。
「中身は、やっぱり黒なのかな?」
シエナが、トウヤにだけ聞こえる声で呟く。
「……父さんなら、鑑定魔法で何か分かるかも」
トウヤは一瞬だけシエナを見て、それ以上は何も言わなかった。今ここで考えても答えは出ない。白なのか、黒なのか。目を覚ました時には元に戻っているのか、それともこのままなのか。分からないことはいくらでもあった。
それでも、二人は生きている。まずは帰る。それだけでよかった。
広場にはまだ何本も虹色の亀裂が残っている。全員が足元を確かめながら、一歩ずつ階段を降り始めた。
◇
エレベーターまでの距離は、たいしたことはない。普通に歩けば、数分もかからなかったはずだ。
けれど、誰も普通には歩けなかった。百階までの戦闘に、階層支配者との戦い。魔力も体力も使い切って、腕も脚も鉛のように重い。そのうえ、今は意識のない二人を運んでいる。
眼下には、ひどく壊れたフィールドが広がっていた。虹色の狭間があちこちに口を開けている。
「なるべく階段の真ん中を歩きましょう」
柴田の言葉に、牙狼が頷いた。
黒の身体を載せた担架は、牙狼と柴田が持っている。摩耶と澪がその左右につき、少し前を白チームが進んでいた。白の担架をドランとトウヤが運び、ユイとシエナが周囲を警戒している。
エレベーターは、もう見えていた。あと少し。本当に、あと少しだった。
やっと帰れる。その言葉を口にしたら何かが壊れてしまいそうで、誰も言わなかった。
摩耶は歩きながら、何度も前の担架を見てしまう。金色の髪、白の身体。けれど入れ替わっていたのなら、あそこにいるのは黒ちゃんだ。
ハイネに、何て言えばいいんだろう。
黒ちゃんが白くんになって、白くんが黒ちゃんになって、二人とも起きない。そんな説明でハイネが納得するわけがない。そもそも自分だって、まだ何も分かっていないのに。
その時、シエナが弾かれたように顔を上げた。
「みんな止まって!」
全員の足が止まる。
「何? どうしたの」
ユイの問いにも答えず、シエナは階段ではなく、自分たちが入ってきた巨大な黒い門を見つめていた。開いたままの門と、その奥の暗闇。
カッ、と石を叩く音がした。もう一度、カッ。
シエナの顔色が変わる。
「アイツらが来る! 突進する奴!」
階段の下、門の奥に、赤い光が六つ灯っていた。低い位置に三組の目。次の瞬間、三つの黒い塊が闇から飛び出した。
「一旦、白を下ろせ! 片付けるぞ!」
ドランが叫んだが、担架を置くより先に、それは来た。
三体の犬型の魔物が階段を駆け上がってくる。一匹目は一行の頭上を軽々と飛び越え、上の段へ着地して背後を塞いだ。残りの二匹は下から迫る。完全に挟まれていた。
背後の一匹の牙を、柴田と牙狼がかろうじてかわす。その横で摩耶がミミを巨大化させ、振り下ろした。一匹目が叩き潰される。ドランは担架から片手を離して盾を構え、突っ込んできた二匹目を金属音とともに弾き飛ばした。
「まだっ!」
ユイの叫びと同時に、三匹目がトウヤへ跳んだ。トウヤは担架を握ったまま身体を捻って牙をかわす。絶対に、担架から手は離さない。その代わり、身体ごと大きく振られた。
ぶつり、とベルトの切れる音がした。
白の身体を固定していたベルトの一本が、千切れていた。
「あっ――」
担架が傾く。白の身体がずるりと滑り、肩から床へ落ちた。そのまま止まらない。手すりのない階段の縁へ向かって、ずるずると滑っていく。
その下には、大きな虹色の光があった。
「駄目!」
ユイが飛びついた。腹ばいのまま腕を伸ばし、指が届く。掴んだ。白の身体が縁から落ち、宙にぶら下がる。
腕が引き千切れそうだった。白自身の体重に、銀色の鎧と、ラディッシュの重みまで加わっている。それでも、離すなんて選択肢は最初からなかった。
「……ドラン!」
「今行くっ!」
ドランが盾を捨て、トウヤも担架を放り出して走る。二人が来れば引き上げられる。摩耶も白のほうへ駆け出そうとした。
「摩耶!」
牙狼の怒鳴り声に振り向くと、三匹目が向きを変え、黒の身体の担架へ牙を剥いていた。
「もうっ! 邪魔しないで!」
黒の身体。でも、その中にいるのは白くんかもしれない。そして向こうでぶら下がっている白くんの身体には、黒ちゃんがいるのかもしれない。どっちを守ればいい。一瞬、頭がおかしくなりそうだった。
違う。両方だ。両方、生きて帰す。
摩耶はミミへ魔力を流し込み、黒い針を突き立てた。大量の魔力がごっそり抜ける感覚とともに、担架へ飛びかかろうとしていた三匹目の眉間に大きな穴が開く。魔物はその場へ崩れ落ちた。
黒ちゃんは無事。そう確かめた瞬間、背後からユイの絶叫が刺さった。
「もう駄目っ! 早く、掴んで!」
ユイは白の手首を握ったまま、身体ごと階段から引きずり落とされかけていた。シエナが後ろから腰にしがみつき、トウヤも腹ばいになって白へ手を伸ばしている。あと少し。あと少しで届く。
ユイの指は、白の腕に食い込んでいた。爪が皮膚を傷つけても構わない。
白が何度危険な場所へ向かおうとしても、ずっと心配してきた。好きだと伝えて、断られた。それでも諦めるつもりなんてなかった。帰ったら、また話せる。また笑える。だから、ここで終わるなんて絶対に嫌だった。
「白、もう少しだから……!」
その時、階段の下で、ドランに弾き飛ばされた二匹目が床へ爪を立てた。頭を低く下げる。狙っている。
「おい! そっちに行ったぞ!」
牙狼の声と同時に、犬型の魔物が駆け出した。真っすぐ、ぶら下がる白へ。
「早く引き上げてくださいっ!」
柴田が叫ぶ。ドランが走る。トウヤの指先が、白の腕まであとわずかに迫る。間に合う、と思った。
摩耶がもう一度ミミを振るい、黒い針で二匹目の眉間を潰した。確かに殺した。
なのに、止まらなかった。
「え……」
死んだ身体が、そのまま飛んでくる。速度だけが残っていた。
「どけっ!」
トウヤの放った光矢は、わずかに逸れた。次を撃つ時間はなかった。
「駄目ーー!!」
ユイの声が響き、そこから先だけ、時間がひどくゆっくりになった。
頭を失った魔物が空を飛んでいる。もう死んでいて、何も考えていない。白を狙ってすらいない。ただ、勢いだけが残っている。
その身体が、白にぶつかった。
鈍い音。
白の身体が大きく揺れた。
ユイの肘が階段の縁に擦れ、皮膚が裂けて血が滲む。痛くなかった。そんなもの、どうでもよかった。
握る。もっと強く。
「白っ……!」
けれど、血で濡れた自分の手の中で、白の腕が少しずつずれていく。
「嫌……」
指を締める。
「嫌だ」
もう一度。
「嫌っ!」
離すものかと思っていた。白の命が自分の手にあるのなら、腕が千切れても掴んでいるつもりだった。
それなのに。
指先から。
白が。
滑る。
「白!」
一度だけ、白の手がユイの指に引っかかった。ほんの一瞬、確かに触れていた。
次の瞬間、なくなった。
「あ――」
ユイの手が、空を掴む。
金色の髪。
銀色の鎧。
腰のラディッシュ。
白の身体が、ゆっくり、ゆっくりと遠ざかっていく。
「嫌ぁあああああああああ!!」
届くはずがないのに、ユイは階段から身を乗り出した。シエナが腰にしがみついて引き止める。
「ユイ!」
「白っ! 白ぉっ!」
摩耶も走っていた。何をするつもりだったのか、自分でも分からない。ただ、あの身体の中に黒ちゃんがいるかもしれない。
「そんなっ……黒ちゃん!」
ドランが縁へ飛びつき、トウヤも、牙狼も、柴田も、澪も、全員がその光を見た。
白の身体が、虹色の狭間に触れる。
一瞬だけ、輪郭が七色に染まった。
そして。
消えた。
何も残らなかった。
落ちた身体がどこかにぶつかる音も、悲鳴も、ラディッシュの声も。何ひとつ、聞こえなかった。
「おい……嘘だろ……」
牙狼の声が掠れた。
「白ぉお!」
「黒ー!」
二つの名前が、虹の底へ消えていく。
落ちたのは、白なのか。黒なのか。それすら、誰にも分からなかった。
ユイは階段に伏せたまま、狭間へ手を伸ばしていた。そこにはもう、何もいないのに。
摩耶も動けなかった。ついさっきまで、帰れると思っていた。二人とも生きていると信じていた。あとはエレベーターに乗るだけだった。
本当に、あと少しだった。
ユイの嗚咽が漏れた。誰も声をかけられなかった。誰も「大丈夫」とは言えなかった。
狭間だけが、何事もなかったみたいに、虹色の光を揺らしていた。




