white side 1
金属の擦れる音。
続いて、重い足音がひとつ。
階段へ続く回廊の奥から現れたのは、全身を鎧で覆った人型の何かだった。
目に当たる部分に光はない。ただ、虚ろな穴が二つ、こちらを見据えている。
「――来たね」
僕は剣の柄に手をかけた。
腰元から声がする。
「ようやく出番か。待ちくたびれたぜ」
ラディッシュだ。ヘルメスばあちゃんから譲り受けた、意思を持つ剣。
「さっきも戦ったでしょ」
「三十分前だろ。俺様にとっては三日だ」
「はいはい」
抜くと同時に、刃が淡く発光した。
「シエナ」
「一体だけ。少なくとも、見える範囲にはね」
シエナの長い耳が、ぴくりと動く。
その瞳には、僕には見えない精霊たちの光が映っているらしい。
「ドラン、正面をお願い」
「任せろ!」
竜人のドランが僕らの前に出た。
鎧の敵が踏み込む。
速い!
その外見からは想像できない速度だった。
巨大な剣が振り下ろされる。
ドランが両腕を交差させた。
金属と竜鱗がぶつかり、甲高い音が回廊に響く。
「ぐっ……重いぞ、こいつ!」
「トウヤ!」
「あ……うん!」
今日から正式にパーティへ加わったトウヤが、慌てて両手を構える。右手には片手剣。
左手には短い魔法杖。
「《光壁》!」
杖の先から淡い光が広がり、ドランの前に薄い壁を形成した。敵の二撃目がぶつかる。
光壁に亀裂が走った。
けれど、一秒あれば十分だ。
僕は敵の懐へ飛び込んだ。
横一閃。
光を纏った刃が、鎧の継ぎ目を正確に捉える。
「トウヤ、今!」
「分かってる!」
トウヤが右手の剣を突き出す。
同時に、左手の杖が光った。
「《光矢》!」
至近距離から放たれた光の矢が、僕の斬撃によって生じた隙間へ突き刺さる。
鎧の内側から、淡く輝くコアが露出した。
「白!」
後方からユイの声が響く。
振り向く必要はなかった。
「そこ!」
シエナも叫ぶ。
僕はラディッシュを突き入れた。
甲高い音が響く。
光が弾けた。
鎧の巨体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
静寂が戻った。
「や……」
トウヤが右手の剣を握ったまま、呆然と立ち尽くしている。
「やった……?」
「やったね」
「俺が?」
「半分くらいは」
「ほとんど白だっただろ」
ドランが笑った。
「言うなよ!」
「でも、最後の一撃はよかったよ」
ユイが駆け寄ってくる。
「怪我をしている人は?」
「俺は平気だ」
ドランが腕を見せる。
竜鱗に薄い傷が一本入っていた。ユイはそれを見逃さない。
「座って」
「これくらい――」
「座って」
「……はい」
ドランが大人しく座った。
シエナが笑う。
「うちで一番強いの、ユイかもね」
「否定できないなあ」
僕も笑った。
その先に、上階へ続く階段が見えている。
階段脇には、小さな祭壇のような装置が設置されていた。九十五階のチェックポイントだ。
僕はそこへ手を触れる。
淡い光が指先を包む。
――登録完了。
これで次に来る時は、ここまで直接戻ってこられる。
「よし」
トウヤが階段へ向かう。
「次、行こうぜ」
僕はその肩を掴んだ。
「今日はここまで」
「え?」
トウヤが振り返った。
「まだ行けるだろ?」
「体力に余裕はある? 魔力は?」
「全然平気だね」
トウヤはそう言うとシエナをチラリと見た。
僕は彼にまた同じ事を説明しなければいけない。
「ミーティングで話したろ? 帰りのエレベーターは九十階か百階にしかない。体力が残っているうちに帰らないとな」
九十五階は事前情報どおりだったので、ほんの数時間で、攻略できてしまった。広大なマップの出口が実は入り口のすぐ後ろにあるパターンだった。トウヤが余裕に感じるのも無理は無いか。
「本当、誰が作ったんだろうな、こんな建物」
僕のつぶやきに、ドランが答えた。
「こんなの建物と呼べないだろ」
いろんな世界が繋がってしまう現象。
高いビルの上層階が、わけのわからない空間に繋がってしまう。日本では唯一の、そして世界では五例目となる現象だった。
最初に降りてきた人たちは良い人達だった。だけど、次第にわけのわからない生物が出てくるようになった。
僕たちはそんなランドマークタワーに登り、その『わけのわからない生物』を駆除したり、それらがもたらす『資源』を得る活動をしている。学校の部活としてだ。
「……」
「初めての実戦だったんだから、今日はもう十分だよ」
「でも、まだ九十五だろ?」
「九十六階は群馬県サイズの迷路だぞ? 一気に行くのは無理だろ」
僕がそう言うと、トウヤが悔しそうに階段を見上げる。
「だって例の黒ってやつ、九十八まで行ってるって――」
「トウヤ」
シエナが低い声を出した。
「な、なんだよ」
「余計なことを言わない」
僕は苦笑した。
「別にいいよ」
黒。
名前は何度も聞いた。
ずいぶん強いらしいが……。
会ったことは、一度もない。
「競ってるわけじゃないからさ」
「でも、気にならないのか?」
「そりゃ、少しはね」
「会ってみたい?」
僕は考えた。
会いたいかと問われると、そこまで会いたいわけではない。でも。
「まあ、会ってもいいかな」
それくらいだった。ハイネもやたら会わせたがるしね。
「それより帰ろう。体力を使い切ってからじゃ遅いよ」
「白はいつも冷静だよな」
「臆病なだけだよ」
「それはない」
ドランが即答した。
「さっき真っ先に突っ込んだ奴が言う台詞じゃねえ」
「それはラディッシュが行けって言ったからだ」
「俺様のせいにすんな!」
笑い声が回廊に響いた。
僕たちは二日ほどかけて九十階まで歩いた。倒した敵はそのままだし、道もわかっている。危険も少ないぶん、足取りは軽い。
それでも体力は少しずつ削られていく。帰りのエレベーターは十階ごとにしか使えない。このシステムは本当に不便だ。
だから、余力を残しておく。九十九階まで行っても、帰り道に死ぬ可能性だってあるのだ。探索者なら当然のことのはずなのだけれど、トウヤは……。
今後のミーティングについて、考えながら歩いた。エレベーターホールへ着くと、僕は周囲を見回す。
「あれ?」
気づくと一人足りない。
「ドランは?」
「先に降りるって言ってたよ」
トウヤがやれやれといったジェスチャーをしながら答えた。
「やめといたほうがいいと思うん――」
その口が、背後から伸びてきた白い手に塞がれた。
「むぐっ!?」
シエナだった。
「この馬鹿!」
「むぐぐ!」
トウヤの肩先まで伸びた長い耳を、シエナがむんずと掴む。
「いだだだだ! 耳! 耳はやめろ!」
「ほら、帰るよ!」
「耳を引っ張るなよ! お前もエルフだろ!」
「だから痛いところを知ってるの!」
トウヤは耳を引っ張られたまま、エレベーターへ連行されていった。
扉が閉まる。
静かになった。
残ったのは、僕とユイだけだった。
「……」
ユイは俯いている。
しかし、時折、上目遣いで僕を見ていた。
「ユイ、どうかした?」
「あの……白くん」
いつもより少し硬い声だった。
制服の裾を握りしめる手に、ぎゅっと力が入っている。
「話を聞いてもらえますか」
「もちろん。帰ってから?」
「……今、ここで」
エレベーターホールの白い灯りが、僕たちを照らしていた。ユイが一度、大きく息を吸う。
何処か覚悟を決めた顔を上げた。
頬が赤い。
白い肌が、はっきり分かるほどピンク色に染まっている。怯えているようにも見える。
しかし、それ以上に何かを期待して、僕を見ていた。
何かを僕に伝えようとしている。
その表情を見て。
僕は――
――ハイネが、こんな顔で僕を見てくれたらな。
そう思ってしまった。
まだ、ユイが何を言おうとしているのか、知りもしないまま。僕は、彼女の勇気よりも、ハイネを欲しがった。
「好き……なの。白のこと。ずっと、前から。このチームに入るずっと前、小学生の頃から!」
ユイは固く握った拳をぶんぶん振りながら、いかに自分のことを好きになったか、どれだけ好きかということを教えてくれた。
その一生懸命さが、断る言葉を考える僕の脳を非難する。だけど、だからこそ言わなくてはいけない。
「僕には、好きな人がいるんだ。だから、ごめんなさい」
降りたはずのエレベーターから、「あーあ」という声が聞こえてくる。ユイは涙をたくさん溜めた瞳で、僕の顔を見ていた。
ユイが肩を震わせて泣いている。僕はどうしていいのか、わからない。
悪びれた顔もせず、ドランたちがエレベーターからぞろぞろ出てくる。口々に軽口を叩きながら。
「やっぱ駄目だったか」
「私は行けると思ってた」
「やっぱもう少し露出を増やしたほうがいいだろ」
「トウヤ? 馬鹿はだまってて」
シエナに抱き寄せられ、肩を震わせるユイ。何も言葉を出せないまま、立ち尽くしている僕。
剣の鞘に括り付けられた、白いウサギ。
それだけが小さく揺れていた。




